ちくま文庫

盛り上がれ! 文化史!
黒木夏美『バナナの皮はなぜすべるのか?』解説

『バナナの皮はなぜすべるのか?』文庫版解説の転載です。単行本刊行時から、本書のスゴさを熱く語ってきたパオロ・マッツァリーノ氏による「文化史」のおもしろさとは?

 この文庫本を手に取ったあなたはラッキーです。いえ、朝のテレビニュースのエンディングでやってる今日のラッキーアイテムみたいな話ではありません。
 二〇一〇年に発売された本書の単行本は、どういうわけかA5判でした。日本ではこの手のソフトカバーの本ならば、普通は四六判というサイズにします。四六判は手に持ったときの馴染みもいいし、慣れれば電車のなかで立ったまま片手で開いて読めたりもしますから、完成度の高い規格といえましょう。
 A5サイズの単行本は、四六判より縦横二センチくらいずつ大きいのです。ひとまわりの差なのですが、これが重量バランスにかなり影響をおよぼして、両手でも持てあます。片手だとなお持ちにくい。しかも本棚に並べるとこれだけとび出して美しくない。
 それがようやく七年越しで、片手で持てる文庫本で読めるようになりました。単行本は本屋さんの店頭では入手しづらくなってるようですし、この再登場はすべての読書好きにとって朗報です。やっぱりこれは今日のラッキーアイテムなのかもしれません。なんかいいことありそうな気がしてきました。さあ、迷わず本書を購入し、読んでみてください。

 読みましたか? どうです、おもしろかったでしょう。名著か奇書か、はたまた怪著か、評価はそれぞれでも、文化史のおもしろさを伝えてくれるという点では、異論はないはずです。
 そう、文化史って、めちゃくちゃおもしろいんですよ。身近なテーマに沿って歴史を切り取る、あるいは串刺しにすることで、歴史は大勢の無名の人間によって作られてきたものだと再認識できるんです。普通の人間である自分も歴史の一部だと思えるようになるのです。
 学校で習う歴史は、どこかよそよそしい。出てくるのがエラい人物と大事件ばかりだからです。戦国武将のだれそれがどこで戦をやりました、とかいわれても、自分から遠すぎます。どうでもいい。他人事にすぎません。
 むかしから数学の授業中に生徒が先生に聞く定番の質問がありますね。「数学の方程式だの関数だの、学校卒業したら全然使わないことをなんで勉強しなきゃいけないんですか」。それにも一理あるんだけど、数学だけを責めるのは不公平です。だって、何年にどこで合戦があった、なんて歴史の知識だって社会に出たら一切役に立ちませんから。学校の歴史の授業で信長の生きざまを学んだところで、社会人になってから坊さんを焼き討ちする機会には恵まれません。
 ところが文化史は違います。文化史が扱うテーマには、現代に生きるわれわれにも関係の深いことがたくさんあるんです。
 たとえば、いまだに二宮金次郎の銅像は各地の学校などに残ってます。ところが近年、歩きスマホみたいで教育に悪いから座って本を読んでる像に取り替えました、なんてところが出てきまして、賛否の議論が起こってます。
 その不毛な議論、文化史を使えば、即、終了です。
 金次郎の銅像についての文化史研究はいくつかあって、本にもまとめられてます。それらの研究によると、そもそも金次郎が歩きながら本を読んでたという逸話は、二宮尊徳の弟子による創作の可能性が極めて高いのです。師匠の神童ぶりを語りたいがために話を盛っちゃったかもしれないなあ、みたいなことをこの弟子は遠回しに認めてるんです。
 よくよく考えてみれば、江戸時代だって歩きながら本を読むのは不作法とされてたんですよ。みなさんその事実をお忘れになってます。厳格な家庭なら、本は正座して読めとこどもに教えてました。金次郎も仕事の合間などに座って本を読んでたと考えるほうが自然です。
 というわけで、文化史が暮らしのトラブルをまーるく解決してくれました。金次郎が座って読書する銅像のほうが、歴史的にもマナー的にも正しいのです。二宮尊徳も草葉の陰で喜んでいることでしょう。
 じゃあ『バナナの皮はなぜすべるのか?』は、なんの役に立つのか。さんざん前置きをしといてなんですが、この本は有益性より知的好奇心を満たしてくれる要素のほうが大きいです。
 もちろん役に立たないわけではありません。バナナの皮が原因の転倒事故は虚構のギャグでなく実際に起きていることを事例で証明してくれます。道にゴミをポイ捨てするのはマナー違反というこころの問題のみでなく、他人に危険をおよぼす悪質な行為なのだとわかるだけでも有益です。
 個人的に重要だと思うのは、ゴミをポイ捨てするマナー違反は戦前のほうがずっとひどかったという歴史的事実を短いながらもきちんと示してくれてるところです。戦前の日本人は清く正しく美しかったとする捏造史観にはもううんざりです。戦前の新聞雑誌を読んでごらんなさい。日本人の公衆道徳は世界最低レベルで恥ずかしい、欧米を見倣え、という意見ばかりが目につきます。その逆はほとんどありません。本書で紹介されてる『時事新報』の記事は決して例外ではないのです。
 それにしても、です。いつものグチになりますが、文化史ってホントに人気ないんですよ。おもしろがってもらえないんです。たぶん本書をはじめてお読みになったかたも、おもしろいかどうかより、「よく、ここまでしつこく調べたなー!」という感心のほうが先に立ったのではないですか?
 私も先日、ためしに過去の新聞雑誌記事や書籍をざっと検索してみましたが、バナナの皮についての記事は、ほとんどひっかかりませんでした。
 一番大きなニュースは本書刊行後の二〇一四年、日本の科学者がバナナの皮がなぜすべるのかを科学的に研究し、それがイグ・ノーベル賞を受賞したこと。各メディアが珍しがって取りあげたのもつかのま、さほど盛り上がることもなく、すぐに人々の記憶から消えました。それ以外の記事といえば、バナナの皮で顔をこする美容法だとか、黒焼きにしたバナナの酢漬けでEDが治っただとか、あやしげな健康情報ばかり。
 バナナの皮に関する情報は、表面上は非常に少ない。私だったらこの時点で、なんだつまんないな、と探求を棚上げにしたことでしょう。ところが黒木さんはそこであきらめず、さらに深くまで潜り、沈んでいる情報を拾い上げる作業を何年も続けたのです。ベテランの海女さんかってくらい。
 努力に対する対価がなかなか得られないのが、文化史研究の泣きどころです。努力は絶対報われるなんてのがウソであることは、文化史をやれば身にしみて実感できます。こんなにおもしろいのに、割にあわないんですよねえ……
 それもこれも、文化史の人気がないことが原因なのですが、今回再読して、この本にはドキュメンタリーとしての要素もあることに気づきました。そこで、人気のない文化史に興味を持ってもらうために、本書をドラマ化する企画を提案します。
 冬の早朝に黒木さんが犬の散歩をしていると道にバナナの皮が落ちているのを発見するシーンからはじまり、取り憑かれたようにバナナの皮についての研究をはじめる。その一喜一憂するさまを、研究成果の紹介を織り交ぜながらつづっていけば、フィクションと文化史が融合した、独特な味わいの作品になるのではないでしょうか。
 私は黒木さんがどんなかたなのか、まったく存じ上げませんが、そこは問題ありません。ドラマのキャラクターや家族友人関係は、実際とは異なっていてもいいんです。さっそく私はアタマのなかでキャスティングをはじめてます。主演は市川実日子さんあたりかなあ、なんてね。どうですかテレビ局のみなさん。文化史ドラマの企画、ひとつご検討を願います。

2018年1月18日更新

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パオロ・マッツァリーノ(ぱおろ・まっつぁりーの)

パオロ・マッツァリーノ

イタリア生まれの日本文化史研究者、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが大学自体の存在が未確認。著書に『反社会学講座』『続・反社会学講座』『誰も調べなかった日本文化史』(以上、ちくま文庫)、『つっこみ力』(ちくま新書)、『「昔はよかった」病』(新潮新書)などがある。

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