かれこれ六年ほど前になりますが、私はデータと資料を駆使して世の中をくだらなくもおもしろく見てみようという「反社会学」なる新奇な活動を始めました。新たなものにも必ずルーツはあるわけで、私もご多分に漏れず、さまざまな人から影響を受けております。
まずは、上岡龍太郎さん。この人は一流のヘリクツ使いです。ヘリクツで笑わせるという芸は他に類を見ないのですが、というのも、ヘリクツは両刃の剣でして、さじ加減を誤ると、単なる嫌われ者になってしまうからです。
次に、ケーシー高峰さん。医学ネタでおなじみの漫談家です。医学情報を語るフリして、オチはほとんどダジャレなんですが、そのたたずまいと語り口の怪しさが絶妙です。グラッチェ。
以上のおふたりから受けたのは、おもに、芸風あるいはそのセンスといった、精神面での影響でした。一方、技術面でもっとも参考にさせていただいたのが、谷岡一郎さんの名著『「社会調査」のウソ』だったのです。
その谷岡さんがこのたび、『データはウソをつく』なる新刊を上梓されまして、しかもその紹介文を書け、とお鉢が回ってきたならば、それはもう引き受けないわけにはまいりません。などと持ち上げつつ、谷岡さんを上岡さん、ケーシーさんと並べて紹介するってのもどうかとは思うのですが。
今回の新作『データはウソをつく』は、高校生から大学生を読者層に設定したというだけあって、データの見方や分析法を、前作以上に、わかりやすく、熱を込め、しかもおもしろく解説されています。そのテクニックを怪しげな統計漫談に応用している私がいうのもなんですが、みなさん、ぜひ読んでくださいね ——。
と無邪気におすすめして、明るく楽しいコラムのまま筆をおきたいところなのですが、そうはいきません。なにしろデータってやつは、本を数冊読んだくらいではとうてい手なずけることなどできない魔物であると、私は経験上知っているからです。
おそらく『データはウソをつく』が発売されると、ネットや雑誌・新聞に、「データを疑う目を養うことが大切だと、本書は教えてくれる」みたいな書評がたくさん載るはずです。もちろんそれは、まっとうな感想です。でも、底意地の悪い私は、そういう発言をする人たちに疑いのまなざしを向けずにはいられません。
データを鵜呑みにしないことが重要だ。メディアリテラシーを養うことが大切だ。口でいうだけなら、誰でもできます。それだけならまだしも、メディアリテラシーなんて常識だよ、ぼくにはその程度の能力はあると思うんで、なんて大口叩くヤツがネットにはごろごろしてます。でも、いざ具体的な問題に関してデータ処理をさせてみれば、ほとんどの人は途方に暮れたり、デタラメやったりするんです。
彼らは、誰かが分析した結果を本で読み、知識として知っているだけなんです。もちろん、知らないより知ってるほうがマシですが、泳ぎかたを本で読んで知っていても、実際に泳げることの証明にはなりません。単に物知りであるというだけでは、なんのリテラシーでもありません。読書好きの物知りさんほど、知らず知らずに、良心的エセリテラシストになってしまうという、知の罠にはまりがちです。
今回の本で谷岡さんは、データを分析する過程でいかに考えるべきことが多いかは、実際にやってみないとわからない、と書いています。そう、じつはここがもっとも重要な個所だったりするんですけど、どれだけの読者が気づいてくれるのでしょうか。やっぱり、トリビア気分でわかったつもりになって満足しちゃう人が多いんだろうなあ。
谷岡さんは、広告屋がデータの見せかたを意図的に操作していることを批判してますけど、わかった上で実践してる人たちのほうが、皮肉なことに、良心的エセリテラシストよりリサーチリテラシーの理解度は高いのかもしれませんよ。