ちくま新書

的外れの格差批判

小坂井敏晶『格差という虚構』

「能力」は実質に支えられた概念ではなく、格差を正当化するために持ち出される架空の社会装置である――。小坂井敏晶氏は、新著『格差という虚構』でそうと説きます。私たちの社会を根源から分析した本書より「はじめに」を公開します。

 格差を告発する書がたくさん出ている。国民の貧富差が大きい、さらに拡大しているとデータで示す。学歴格差の分析も多い。格差は悪いものとして議論が進むのが普通だ。
 ところで我々は何を求めているのか。格差のない理想社会とは何を意味するのか。全員が同じ収入を稼ぎ、地位の違いがまったくない社会ではないだろう。誰もが同じ学歴と資格を持ち、家庭環境も等しくすべきだと言わないだろう。社長・役員・部長・課長・平社員の区別なく、すべての人々が平等に扱われる組織が理想だろうか。議員も大臣も大統領もくじ引きで決める期間限定の持ち回り制度を望む人は少ないにちがいない。裁判官・警察官・軍人がすべての市民と同じ権力を持つ社会でもないはずだ。完全に平等な社会が実現不可能なのは言うまでもないが、仮に可能だとしても、それは我々の求める社会ではないだろう。到達すべき理想の姿を我々は知っているのか。
 格差自体が悪いのでなく、社会の流動性不足が問題なのか。貴族制の西洋や士農工商の日本では生まれによって一生が決まっていた。同様に、貧困層に誕生した子の出世が妨げられる一方で富裕層の子だけが成功する階層構造が不公平なのか。オルダス・ハクスリーのディストピア小説『すばらしい新世界』(Huxley, 1932/2004)が描く未来社会では人間の受精卵が培養瓶の中で製造され、選別される。予め定められた所属階級にしたがって体格も知能も作られる。親子や家族の観念が払拭され、異性の取り合いや結婚、そして相続の問題も生じない「楽園」だ。こんな恐ろしい世界は誰も望まないだろう。
 均等な機会を全員に与え、自由競争させよ。その結果生まれる格差は公平だと言う。能力と功績に応じた収入と地位を保障する原理、これをメリトクラシーと呼ぶ。法の下の平等も同じ考えだ。フランスの経済学者トマ・ピケティ『21世紀の資本』から引く。

 資本主義が機械的かつ不法に不平等を生み、我々の民主主義社会を基礎付けるメリトクラシー的価値観を根本から揺るがす。(Piketty, 2013。断りのない限り、外国文献からの引用はすべて拙訳)

労働による収入を資本収益が上回り、金持ちがどんどんと富む一方で庶民はますます貧しくなる。だから累進課税・富裕税・相続税などを通して富を再配分する必要があると論じる。だが、メリトクラシーは正しいのか。米国の政治哲学者マイケル・サンデルが指摘する。

 メリトクラシーの理想は社会移動に関するのであり、平等ではない。それにまず気づくべきだ。富者と貧者の深い溝が悪いとは一切言わない。金持ちの子も貧乏人の子も時間の経過とともに、能力に応じて地位が変わる、つまり彼らの努力と才能の結果で上昇も下降も可能でなければならない。偏見や特権により底辺に縛り付けられたり、頂上に安住できたりしてはならないと主張するだけだ。[……]メリトクラシーの究極の目的は不平等の改善ではない。格差の正当化だ。(Sandel, 2020)

 だが、本当の問題は格差の程度でも社会の流動性不足でもない。ピケティもサンデルも気づいていない事実がある。社会構造をいったん離れて、生まれてくる子どもに目を向けよう。子は親を選べない。授かる遺伝子も生育環境も子にとっては偶然の条件であり、それらが育む能力もくじ引きの結果だ。サイコロを振って能力を決めれば、目がすべて違う以上、誰もが同じ能力にはならない。子どもから見れば、過去の身分社会やハクスリーの未来社会も振り分け自体は公平だ。それは我々の近代社会も変わらない。違うのは自己責任論を持ち出すおかげで、くじ引きの仕組みが近代ではうまくカモフラージュされている点だ。本書の主眼はこのカラクリの暴露にある。能力とは何なのか。格差を告発する書はこの問いに正面から対峙しない。能力という概念はどんな社会機能を担うのか。自由と平等の意味を私たちはわかっているのか。
 酷い格差が実際にあるじゃないか、それなのに格差を虚構とは何たる言いぐさか。本書のタイトルを見て憤る読者も少なくないだろう。格差をごまかし、正当化するための新自由主義プロパガンダか、と。格差という社会現象はもちろん確固たる現実だ。本書が示すのは、格差が何らの根拠にも支えられていない事実だ。能力という架空の概念を持ち出して格差を正当化する論理の分析である。
 虚構と言うと、噓・偽り・空言のように事実と相違するという消極的な意味で理解されやすい。しかし虚構は事実の否定でない。個人心理から複雑な社会現象にいたるまで虚構が重要な役割を担う。虚構にもかかわらず現実が生まれるのでない。虚構のおかげで現実が生成されるのである。
 本書は『民族という虚構』(小坂井2011b)『責任という虚構』(小坂井2020)に続く三作目、格差をめぐる虚構論である。虚構としての根拠が成立すると同時に、その虚構性が隠されるメカニズムの検討だ。集団同一性の虚構が民族という社会現象を生む。自由意志と呼ばれる虚構が責任という社会装置を機能させる。そして能力という虚構が格差のヒエラルキーを正当化する。本書はその仕組みの分析である。
 

2021年11月9日更新

  • はてなブックマーク

カテゴリー

小坂井 敏晶(こざかい としあき)

小坂井 敏晶

1956年愛知県生まれ。1994年フランス国立社会科学高等研究院修了。現在、パリ第8大学心理学部准教授。

関連書籍

こちらあみ子

小坂井 敏晶

格差という虚構 (ちくま新書)

筑摩書房

1210.0

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入