ちくま新書

地方にこそジャーナリズムが生きている

地方紙、地方テレビ局の現場と人を各地に訪ね歩いたWEBちくまの連載『地方メディアの逆襲』がちくま新書の1冊として刊行されました。WEB連載にはなかった「はじめに」を公開いたしますので、ご覧くださいませ。

 マスメディア不信の時代が長く続いている。ネットを眺めれば、新聞の部数減少やテレビの視聴率低迷をはじめ、「オールドメディア」の衰退を伝える記事は枚挙に暇がなく、SNSには報道批判が溢れている。
 「大事なことを報じない」「恣意的な切り取り」「偏向・歪曲」といった記事内容や視点への批判。「見出しがミスリード」「紋切り型のレッテル貼り」「安易な両論併記」という表現上の不満。「権力を追及・批判しきれていない」「忖度や癒着しているのでは」など取材姿勢の物足りなさ。中にはあまり根拠のない感情的反発や陰謀論の類いもあるが、概ね共通しているのは「既存のメディアは自分たちを代表していない」「望ましいジャーナリズムが実現されていない」という不信感、つまり市民感覚からの乖離ではないだろうか。
 だが多くの場合、そこで問題とされるのは、新聞なら全国紙、テレビならNHKと民放キー局だ。日本新聞協会に加盟するブロック紙・地方紙・地域紙は75社、日本民間放送連盟に加盟の地方テレビ局は122局あるが、その報道が俎上に上ることは多くない。地方メディアは当然ながら地域限定のニュースが多く、ネット展開もまだ十分ではないから仕方ない面もあるが、あまり注目されないのはもったいない気がしている。
 そんなふうに感じるのは、自分自身が地方紙記者として14年勤め、その役割や存在意義を信じていることもあるし、フリーランスに転じて15年になる現在も神戸という一地方都市に暮らしながら、日々接するニュースがあまりにも首都圏=中央目線に偏っていると違和感を抱いてきたこともある。
 「地方発」のニュースに接して、「ああ、同じようなことがうちの地域にもあるな」と感じたことはないだろうか。ある地域で報じられた事象は全国に先駆けて起きているかもしれないし、各地で同時多発的に生じている場合もある。その背景や構造的要因を探れば、国の政治・行政や社会全体の問題があぶり出されることも珍しくない。
 大阪を拠点に北朝鮮の内情や中国・朝鮮半島情勢を深く取材する石丸次郎さんというビデオジャーナリストがいる。以前あるトークイベントで同席した際、彼が語っていた。マスメディア関係者に会うと、「なんで東京に来ないの?」「国際報道をやるなら東京だ」とよく言われる、と。石丸さんはこう答える。
 〈社会を見つめる眼は複眼・多眼である方がよいに決まっている。一方向から見ただけでは、光の当たらない陰影や凹凸があることはわからない。私は「非東京の眼」でありたい〉
 これほど明快に、地方発ニュースの意義を説いた言葉を知らない。「情報発信の東京一極化にささやかでも抵抗したい」という石丸さんに、私も深く共感する。
 本書は2018年以降の数年間に話題や議論を呼んだ地方発の報道・作品を取り上げ、20年夏から1年間、『webちくま』で断続的に連載したルポをまとめたものだ。取材は19年から20年にかけて行った。新聞3紙とテレビ3局を訪ね、担当した記者やディレクター、報道幹部らにじっくり話を聞かせてもらった。
 国政では第二次安倍政権の末期から新型コロナ禍の混乱を挟み、菅政権へと引き継がれていった時期だ。権限と情報を官邸に集中させ、「安倍一強」と言われた長期政権の下、メディアと権力の関係、報道機関のスタンスが厳しく問われていた。
 そういう状況も多分に意識して、連載コンセプトにこう書いた。
 〈地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く〉
 さらに連載初回となった秋田魁新報編のリードには、〈彼らの言葉を通して、「地方にこそジャーナリズムが生きている」ことを報告する〉と記している。
 地方メディアゆえの強みとは何か。取材を始めるにあたって私は大きく三つの点を念頭
に置いていた。
 まずは「現場があること」だ。災害や事件事故、地方政治や選挙はもちろんのこと、米軍基地や自衛隊など安全保障上の問題も、教育や労働や福祉といった生活に関わる政策も、今なら新型コロナ禍の治療と感染対策も、政府の方針は東京の永田町や霞が関で決まるとしても、それが実行される現場は地方にある。現場があるということは、具体的な課題や困難に直面する人びとがそこにいるということだ。
 次に「時間軸が長い」こと。地方メディアの記者は取材エリアである都道府県や地域から基本的に離れることがないため、一つの取材対象を長い時間かけて追いかけ、向き合うことができる。それが独自の視点でニュースを掘り起こす調査報道につながったり、地域史の中に一つの潮流やストーリーを浮かび上がらせたりする。記者から記者へ取材が引き継がれ、何年も後に新たな事実や証言がつかめる場合もある。
 そして「当事者性を帯びている」こと。一般に取材者というのは当事者になり得ず、客観性を求められるものだが、地方メディアの記者は地域に暮らす生活者、共同体の一員でもある。地元の政治行政や地域課題に対し、当事者もしくはそれに近い視点を持ち、仕事を離れた人間関係もさまざまあるだろう。「住民目線」や「生活者感覚」に立脚して取材・報道するという軸足の置き場が明確なのだ。
 ただ、これらはかつて地方紙の記者だった私の実感と、「そうあってほしい」という願望も含む、いわば仮説だ。実際の現場にいる取材者たちが「地方からの報道」をどう考え、どんな言葉で語っているかは、本編のルポを読んでいただきたい。
 先述した地方メディアの役割や報道姿勢は、実は何も目新しいことではなく、多くの新聞社やテレビ局が「地域密着」「郷土の発展に尽くす」「県民に奉仕する」といった言葉で報道指針に掲げている。だが、スローガンで一言に丸めてしまうと、それがいったいどういうことなのか、ほとんど伝わってこない。
 マスメディア不信の一因は取材・報道の過程が見えないことにあると言われる。記者は何に疑問や問題意識を持ち、どのように取材しているか。社内ではどんな議論や判断が行われているか。そもそも報道に関わっているのは、どんな人たちなのか。
 この本では、そんな「地方メディアのリアル」を描いた。
 地方発の報道にはまだまだ可能性がある。地方の眼だから見える社会や伝えられる現実がある。マスメディアの信頼を取り戻すヒントは、地方にこそある――。彼らの報道姿勢と言葉から、そのことを感じてもらえればさいわいだ。
 

2021年12月7日更新

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松本 創(まつもと はじむ)

松本 創

1970年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、現在はフリーランスのライター。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。著書に「第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社)をはじめ、『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『日本人のひたむきな生き方』(講談社)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著、講談社)などがある。

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