2020年6月15日、河野太郎防衛大臣は、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を秋田県と山口県に配備する計画の停止を表明した。24日には政府が計画を撤回。国家安全保障政策の柱の一つであるミサイル防衛が見直されることになった。 河野大臣は、ミサイル打ち上げの際に切り離す推進装置「ブースター」の落下で安全が確保できないことを理由に挙げたが、最初に流れを大きく変えたのは19年6月、秋田魁新報のスクープだった。防衛省の調査報告書にずさんなデータに基づく誤りがあることを指摘し、19年度の新聞協会賞にも選ばれたこの報道は、どのように生まれたか──。 昨年9月、地方メディアをめぐる取材で同紙の記者たちと会った。彼らの言葉を通して、「地方にこそジャーナリズムが生きている」ことを報告する。
取材の焦点に浮上した「荒地」
秋田県庁から車で10分弱。砂防林と風力発電の風車ぐらいしか目につかない日本海沿いの道を行くと、陸上自衛隊秋田駐屯地の施設「新屋演習場」の入口が現れる。上空にヘリコプターの飛来音を感じた。フェンス際に車を寄せ、運転席の松川敦志(48)がつぶやく。
「ああ、ちょうど降下訓練やってますね。ここを使ってるの、めったに見ないんですが」
地元紙・秋田魁新報で「イージス・アショア配備問題」取材班のキャップを務めるベテラン記者。私が訪ねた2019年9月時点では、社会地域報道部所属の編集委員だった(現在は同部長)。松川によれば、新屋演習場の名前や存在を知る市民は、近隣住民を除けば、以前はほとんどいなかったという。南北2km、東西800mの細長い土地だが、周囲を松林に囲まれた砂丘。ただの荒地だ。気に留める者は誰もいなかった。
その荒地が突然、取材の焦点に浮上したのは2017年秋のことだ。
同年11月11日、読売新聞が〈陸上イージス 秋田・山口に〉と特報。5日後には、共同通信が「配備候補地は秋田の新屋演習場と山口のむつみ演習場」とする政府関係者への取材記事を配信した。秋田魁にとっては、全国紙の東京本社発で降ってわいた大ニュース。読売の一報を受け、取り急ぎ地元反応をまとめた記事には、新屋演習場に09年、「地対空誘導弾パトリオット(PAC3)」が一時配備されたことが記され、荒地にぽつんと置かれた発射機の写真もある。だが、それよりはるかに巨大な、「イージス・アショア」なる未知のミサイル迎撃システムが建設されようとしている──。
松川たち秋田魁新報取材班の報道は、そこから手探りで始まっていった。
車を降り、フェンス越しに見る演習場は、松林の足下にススキが生い茂る文字通りの荒地だ。砂利道が伸びる先に砂丘が開けているのだろう。上空をヘリが旋回し、飛び去っては、しばらくしてまた戻ってくる。その行方を見やり、松川が言う。
「少し先に陸自の駐屯地があるんですが、秋田にとって安全保障や防衛問題は遠い話でした。この演習場は、うちの社屋から直線距離で1kmあまり。窓から見えるぐらい近いのに、本当に影の薄い場所で、意識したこともない。なぜ秋田に? なぜこんな市街地の近くに? というのが、最初から現在まで一貫した疑問です」
車で演習場の南に回ると、松林を背に住宅街が広がり、保育園と幼稚園、小中学校、高校、福祉施設も建っている。5400世帯13000人が暮らす新屋勝平地区。ここで生まれ育って70年になる地区振興会の佐々木政志会長によれば、計画が浮上した時、住民は戸惑い、意見は割れたという。
「まず、ミサイル迎撃システムと言われてもピンと来ない。保守が強い土地柄でもあり、『国が決めたことを覆せるはずもない』『説明会を聞いて判断したらいい』という声もありました。しかし、有事の際に地区が標的になる不安はぬぐえない。レーダーの電波や落下物の影響もあるかもしれない。子や孫の代にまで関わる問題なのに、議論や判断ができる情報が何もなかったんです」
報道だけが先行し、防衛省からも、県や地元議員からも一向に説明がない時期が続いた。住民の間に広がる困惑と不安を、地域を回る秋田魁の記者たちは感じ取っていた。泉一志・統合編集本部長(54)は、取材の「エンジンがかかった」場面をこう振り返る。 「私たちもわからないことだらけで、一から勉強でしたから、軍事専門家の講演や市民団体の勉強会を聞きに行きました。すると、秋田魁の記事の切り抜きを手にした方が何人もおられるんです。そうか、これが新聞の役割だと。手ごわいものや大きな権力が相手でも、市民の代わりに取材し、疑問や知りたいことに答えていく。それこそが記者の使命なんだと原点を再確認しました。私だけじゃなく、複数の記者が同じ経験をしています」 イージス・アショアの配備計画が明らかになる直前、初来日したアメリカのトランプ大統領は、「安倍首相は大量のアメリカ製軍事装備を購入するだろう。そうすればミサイルを上空で撃ち落とせる。アメリカには雇用が生まれ、日本はより安全になるだろう」と述べていた。太平洋を挟んで中国や北朝鮮やロシアと対峙するアメリカの意向を受けて、首相官邸や防衛省が動き、それを全国紙が報じる。
彼らにとって「秋田」や「新屋」は、書類上の地名に過ぎないだろう。だが、地元紙は違う。徹底して地域に立脚し、その視座から世界の安全保障問題に向き合っていくしかない。“空中戦”にさせず、地に足の着いた住民目線に引き寄せることだ。
イージス・アショアについて日本で一番詳しい新聞になろう。そのために、やれることは何でもやろう──。泉は、取材方針をそう掲げた。