ちくま新書

ウソと借金まみれの祭典の真実
東京オリンピックは大失敗

贈賄疑惑、「7月の東京はアスリートがパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」「アンダーコントロール」、盗作疑惑、際限ない予算の肥大化、無償ボランティア搾取、そしてパンデミック下での強行……。数々の疑惑、混乱、問題をぜんぶ書いた『東京五輪の大罪 ――政府・電通・メディア・IOC』の冒頭を公開します。

序章 東京五輪、負の遺産

 2021年8月8日、東京オリンピック(以下、東京五輪)が幕を閉じた。
 世界的なコロナパンデミックの影響で、2020年3月24日に1年延期を発表して以来、日本政府、東京都、大会組織委員会(以下、組織委)は実施を目指して迷走を重ねた。開催直前、東京の新型コロナウイルス感染者は1日2000人を超えていて、多くの医療関係者が危惧を表明する中での、いわば強行開催であった。そして大会期間中(7月23日〜8月8日)には、感染者は1日5000人を超えるに至った。多くの重症患者が入院したくてもできない、医療崩壊が発生し、都内の感染者は5万4244人にのぼった。NHK発表の合計で7〜9月の死者は686人(都の対策サイトを計算すると817人)で、前年同期間83人の8倍以上。まさしく本土決戦のような惨状の中で、大会は開催されたのだった。
 延期が発表された2020年3月24日まで、国内の主要メディアは五輪開催に沸き立っていた。テレビではスポンサー企業の似たようなCMが滝のように流れ、新聞や雑誌では、様々な競技のアスリートたちが取り上げられていた。自らスポンサーとなっていた全国紙(朝日・読売・毎日・日経・産経)は、連日のように翼賛記事を掲載していた。本書で取り上げる様々な問題をよそに、五輪の熱狂に国民を巻き込もうとしていたのだ。
 その国家を挙げての熱狂に立ち塞がったのが、新型コロナ肺炎の世界的流行であった。
2019年の11月頃から中国で始まった流行は、あっという間に全世界的なパンデミック
となり、あらゆる経済活動にストップをかけた。
 2021年10月現在、組織委が発表している東京五輪の経費総額は1兆6440億円。だがこれ以外に、会計検査院が認めた税金投入は1兆600億円。東京都の関連経費8000億円を足せば3兆5000億円となり、夏季大会史上、最高額となっている。招致段階で「約7400億円で開催できる、史上もっともコンパクトな大会」というキャッチフレーズは完全な噓であったことは、誰の目にも明らかになっていた。

〈大会予算の変遷・組織委発表〉(V1とは、ヴァージョン1という意味)
・V1(2016年12月)1兆6000億円〜1兆8000億円
・V2(2017年12月)1兆3500億円(V1が批判され総額を圧縮)
・V3(2018年12月)1兆3500億円
・V4(2019年12月)1兆3500億円
・V5(2020年12月)1兆6440億円(1年延期で追加予算発生)

 そして、1年延期後の2021年、新型コロナによる国内医療体制の逼迫や国民の不安を無視して強行開催されたことで、隠されていた五輪の闇の部分が白日の下にさらけ出され、日本人が持っていた五輪への淡い期待も散々に打ち砕かれた。準備期間中に盛んに喧伝された「アスリートファースト」「おもてなし」「五輪のレガシー(遺産)」などのスローガンも、空虚なプロパガンダであったことがはっきりしたのだ。
 だが、東京五輪の本当の決算はこれからだ。開催にかかった最終的な金額は一体いくら
なのか。なぜここまで野放図に膨張したのか。その責任は誰が負うべきなのか。大会が終わった今こそ、これらの疑問は徹底的に追及されなければならない。

様々な問題が噴出

 振り返れば、東京五輪には、実に様々な問題が指摘されてきた。その中から代表的な例をあげてみよう。
①招致活動における2億円の賄賂疑惑(フランス検察が現在も捜査中)
 招致活動中、アフリカ諸国の票を買収するために、JOC竹田会長が2億円の資金をコンサル会社に送金していた。竹田氏は国会で賄賂の認識を否定したが、フランス検察の予審手続きを受け、退任に追い込まれた。

②安倍前首相が「福島原発はアンダーコントロール」と言明した欺瞞
 招致において安倍前首相が11年に事故を起こした福島第一原発について、廃炉作業も進んでいないのに「アンダーコントロール」という噓をついた。

③「7月の東京は温暖な気候」という明らかな噓をついて招致
 東京の7〜8月は、毎日、熱中症警報が出るほど危険なのに「この時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態で、パフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」という噓をついた。

④五輪エンブレム盗作問題
 佐野研二郎氏が発表した五輪エンブレムに対し、ベルギーのリエージュ劇場がデザイン盗用であると抗議、発表からわずか1か月で使用中止に追い込まれた。

⑤「コンパクト五輪」のはずが、際限のない予算の肥大化
 当初、東京だけで行うコンパクトで予算がかからない五輪を標榜していたが、最終的に1都3県に静岡・茨城・福島・宮城・北海道で試合を開催することになり、経費が際限なく増大した。

⑥新国立競技場建設をめぐる混乱と建設費用の増大
 当初予定されていたザハ氏案では建設費が3000億円を超えると分かり、批判が殺到。安倍首相が乗り出して現在の隈研吾氏案となったが、それでも1569億円となった。

⑦神宮再開発による団地住民の強制退去
 新国立競技場建設のため、200世帯以上が居住していた都営団地「霞ヶ丘アパート」が取り壊され、住民が強制退去させられた。

⑧11万人を超える無償ボランティア搾取
 過去のボランティアも無償だったと噓をつき、酷暑の下、11万人ものボランティアを無償で働かせようとしていた。

⑨「復興五輪」のはずが復興の妨げに
 開催関連工事が東京に集中したことによって資材や人件費の高騰を生み、かえって復興の妨げとなった。

⑩選手村用地の不当廉売
 東京都が地権者であった選手村用地を、都は約129億円で不動産会社など11社に譲渡。しかし、この譲渡価格が「不当に安価である」として都民33人が小池都知事らを東京地裁に提訴。裁判が始まっている。

⑪酷暑下の開催で選手・ボランティアに熱中症の危険性
 真夏の無理な開催で、選手・観客・ボランティアなどすべての参加者に、熱中症の危険性が懸念されていた。

 これらの問題点は、コロナ禍発生以前から指摘されていた。つまり、東京五輪はコロナ以前から解決されていない問題だらけであり、3兆円という、目もくらむばかりの税金を投入して開催するには値しないシロモノだったのだ。

さらけだされたグロテスクな実像

 前述した様々な問題点に加え、2021年になってからは、組織委中枢の人物たちのスキャンダルが続発した。
 2月12日、森喜朗組織委会長が、「女性の出席する理事会は時間がかかる」という女性蔑視発言で辞任に追い込まれた。その後継に森氏が川淵三郎評議委員(元Jリーグチェアマン)を指名しようとしてさらに世論の批判を浴びた。その後、組織委は評議会を開いて橋本聖子五輪担当相を後継に選出した。空席となった五輪担当相には、前任の丸川珠代氏が再任された。
 さらに3月18日、開会式の総合責任者だった電通出身の佐々木宏氏が、女性タレントの容姿を侮辱したとする週刊文春による報道を受け、突如辞任した。文春はその4月1日号で前任者のMIKIKO氏が電通の圧力で解任されていた事実を報じていて、開会式の準備不足が懸念される事態になっていった。
 そして7月23日の開会式のわずか4日前には、音楽担当の一人だった小山田圭吾氏が、過去に障害をもつ同級生を虐待していたことが問題視されて辞任。さらに開会式前日に、演出責任者だった小林賢太郎氏が、過去の出演作品でユダヤ人ホロコーストを揶揄していたことを米国のユダヤ系人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センターに指摘され、即刻解任された。まさに過去に例のない事態で、全世界に日本の恥を晒すこととなった。
 五輪は様々な理念を掲げているが、「あらゆる差別に反対する」として、とりわけ人種差別や男女差別は絶対に許されないと表明している。それを、あろうことか組織委の会長と開閉会式の責任者たちが揃って踏みにじっていたのだから、掲げられていた高邁な理想など、ただのスローガンであったことが満天下に明らかとなった。
 そこにさらに、障害者への陰湿ないじめを反省していない人物を音楽担当に据え、ホロコーストを揶揄した人物を演出担当にしていたのだから、「多様性と調和」「Moving Forward(ムービング フォワード)」などの開催コンセプト(東京大会独自)も完全な虚偽、欺瞞であったことが露見した。
 さらに開催期間中には、ボランティアやスタッフの弁当など約13万食が廃棄され、医療用マスクやガウンなど約500万円分も廃棄されていたことも報道で明らかになった。これも、重要な大会コンセプトである「SDGs:東京2020大会の持続可能性」を真っ向から無視する行為であり、ことあるごとに喧伝されてきた「五輪の理想の実現」など、ほとんどすべてが絵空事の虚飾であったことが、誰の目にも明らかになったのだ。
 肥大化した図体を動かすために巨額のカネを集め、広告宣伝と翼賛報道であらゆる虚飾をまとい、善意の人々をタダで労働させてきた、そのグロテスクな実像が完全にさらけ出されたのが、今回の東京五輪であった。

開催意義は消滅していた

 仮にも東京五輪を「国家的行事」と正当化して兆単位の税金を投入してきたからには、そこには確固たる「開催意義」が存在していなければならないはずだ。招致から8年間、政府が延々と喧伝してきた開催意義とは、「五輪による巨大なインバウンド効果の創出」という「経済効果」であった。そして組織委やJOCは、五輪というスポーツの祭典を通して世界平和、人類社会に貢献することを開催意義としてきた。いうなれば、こちらは「精神的意義」であった。
 だが、東京五輪は、その両方の開催意義が消滅していたのだ。
 3月20日、コロナ禍を理由にして政府が海外からの観光客受け入れ断念を発表した時点で、「4年に一度、世界中の人々が平和のために一堂に会する」という五輪の根本的な「精神的意義」が消え、もはやただの「巨大な競技大会」になったのだった。
 その精神的意義としての国際交流を果たすために、全国約500か所の市町村で「ホストタウン事業」が計画されていたが、新たに発生したコロナ対策のため、そのほとんどで選手と市民の直接交流は不可能となり、100か所以上が辞退した。
 それでも多くの市町村は事業を継続したが、選手と住民との交流はなくなり、結局は選手たちの合宿費をホストタウン側が負担しただけ、という形がほとんどとなった。各国選手団のために体育館や運動施設を新築した自治体が多数あり、今後その費用の償却をどうするのか、全国各地で問題化することが危惧されている。
 さらに、政府が五輪誘致の最大効果として喧伝し続けてきたインバウンドによる消費拡大も、海外客の受け入れ断念によって消滅した。海外からの観戦客は旅費・宿泊費をともない、五輪観戦後に国内各地を観光する人が多いため、多額のインバウンドを発生させると期待されていた。その経済効果は数兆円に及び、五輪への投資を上回ると期待されていたのだから、受け入れ断念の影響は甚大であった。西村経済再生担当大臣も7月9日の記者会見で、「4000万人のインバウンド(訪日外国人客)、8兆円の消費を期待したが、もうまったく考えていない。まったく経済効果は期待していない」と明言していた。つまり、「経済的意義」も消滅していたのだ。
 そして、最終的に完全な無観客開催となったため、組織委の貴重な収入源であったチケット代金900億円のほとんどを返金しなければならなくなった。だがすでに組織委には財政的余力がなく、東京都または国の税金投入による補塡は避けられない。つまり、開催意義が消滅しただけでなく、開催後には巨額の負担までも残るはめになったのだ。
 その上さらに、空港での検疫強化やアスリートのハイヤー移動など、当初予想していた以上のコロナ対策費が次々に発生しており、組織委幹部がオリパラ終了後でなければ支出総額が分からないと言うほど、経費は増大している。もはや巨額の赤字だけが残ることが決定的になっており、その赤字を埋めるのは、国民の税金しかないのである。
 以上のように、東京五輪はその「精神的意義」と「経済的意義」の両方が欠けたまま開催された。もともと、今回の五輪招致には、1964年大会のような「戦後復興の象徴」「国際社会への復帰宣言」という精神的な意義はなく、バブル崩壊で低迷する国内経済へのカンフル剤という経済的欲求しかなかった。
 何の志もなく、目的は金儲けだけと言うのでは、さすがに聞こえが悪いので、それを隠すために「復興五輪」などという虚言を弄したのだが、コロナ禍での強行開催でそのメッキも剝がれ落ちた。東京五輪は、巨額の赤字だけが残る、恐るべき虚無の祭典だったのだ。

原発プロパガンダとの相似性

 長期にわたって筆者が東京五輪を取材対象にしてきたのは、東京五輪を21世紀における新しい大衆扇動の実験と見なして来たからであり、さらに、ほとんどの大手メディアがスポンサーとなって五輪翼賛側についていたのが、過去の原発翼賛体制とまったく同じ構造に見えたからである。
 東京五輪の問題点はあまたあるが、その中で特に深刻だったのが、朝日・毎日・読売・日経・産経の全国紙すべてが五輪スポンサーとなり、批判的な報道ができなくなったことであった。複数の巨大メディアが揃ってスポンサーになるなど、過去の五輪では一度もなかった。さらに、これらの新聞社とクロスオーナーシップで結ばれた民放キー局も、同様に五輪翼賛側に与していた。つまり、我が国の主要メディアのほとんどが、東京五輪を批判することができなくなっていたのだ。
 これは3・11以前、各地で開催された原発ムラの翼賛シンポジウムに、読売新聞をはじめ全国各地のローカル紙やテレビ局が協賛社となり、まったく批判記事を書かなくなっていったのとまったく同じ構造である。スポンサーや協賛社になれば、その対象を批判することはできなくなる。
 スポンサーは、東京五輪の中身に賛同したからこそなるのであり、数十億円のスポンサー料を支払うのだから、それに見合う何らかの見返り(利益)を得なければならない。そうなると、五輪に何か深刻な問題があっても、万が一中止になったり、観客が来なくて興行的に失敗などされては投資を回収できなくなる恐れがあるから、新聞の一面を使うような問題追及は、ほとんどしなくなる。
 日本の大手メディアが、フランス検察が今も追いかける招致段階における買収疑惑や、11万人以上に上るボランティアのタダ働き問題を追及してこなかったのは、そうした背景があったからだ。
 とはいえ新聞社も、ネガティブ報道をまったくしなければさすがに批判されるから、後々問題にならないよう、アリバイは作っていた。一回くらいは記事にしても強く批判はせず、後追い記事は出さないというパターンにするのだ。時々小さいコラム記事等では五輪批判をしても、朝刊トップなどで大きな記事にはしない、というやり方である。
 だがこれだと、筆者のように毎日五輪に関するニュースをチェックしている者なら気づいても、普段あまり新聞やニュースを見ない層は、東京五輪にどんな問題があるのか、ほとんど気がつかない。そしてそういう人々は、大会が始まって日本人選手が金メダルを取れば熱狂する。帝政ローマ時代に遡る「パンとサーカスの提供」が現代の日本で再現されたのだ。

始まれば不安を忘れて五輪を楽しむだろう

 6月14日、放送権を持つNBCのジェフ・シェルCEOは、大手金融機関が主宰したオンライン会議で、「(2012年の)ロンドン五輪では交通(への影響)が懸念され、前回(16年)のリオ五輪ではジカ熱の流行が懸念されたが、開会式が始まれば、人々はそうした不安を忘れる。東京五輪も同じようになるだろう」(産経新聞、6月22日)
 と語っていたから、日本国民もずいぶん舐められたものだった。
 この発言は「今は批判が多くても、五輪が始まれば不安を忘れて五輪を楽しむだろう」と意訳されて拡散し、SNSでも大炎上した。そして実は、日本政府もまったく同じ考えだった。菅首相が低迷する内閣支持率を、五輪開催で上向かせようとしていたことは、複数の報道で明らかになっている。
 そして確かに、開催後の世論調査で、「五輪を開催してよかったか、否か」という問いに対しては、肯定的な意見が半数以上を占めた。だがそれは、アスリートたちのレベルの高い闘いに感動しただけであって、政府の支持率上昇にはまったく役に立たなかった。NBC役員の言ったとおり、多くの国民がアスリートの活躍に熱狂はしたが、それはハイレベルな競技に熱中しただけであって、政治的思惑は空回りに終わったのだった。

2021年12月7日更新

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本間 龍(ほんま りゅう)

本間 龍

1962年生まれ。著述家。1989年、博報堂に入社。2006年に退社するまで営業を担当。その経験をもとに、広告が政治や社会に与える影響、メディアとの癒着などについて追及。原発安全神話がいかにできあがったのかを一連の書籍で明らかにした。最近は、憲法改正の国民投票法に与える広告の影響力について調べ、発表している。著書に『原発広告』『原発広告と地方紙』(ともに亜紀書房)、『原発プロパガンダ』(岩波新書)、『メディアに操作される憲法改正国民投票』(岩波ブックレット)、『広告が憲法を殺す日』(集英社新書、共著)ほか。

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