僕たちはいま、たぶん不幸な社会を生きている。それは、この国に暮らす人々のほとんどが、社会を変えられると思っていないからだ。
そんなことはない、社会は変えられると自分たちは信じていると、反論したくなる人もいるだろう。たしかに今日は、情報技術に支援されて、かんたんに、そしていまだかつてない規模で、人々が声を上げることができる時代だ。僕はそのこと自体は、無条件に素晴らしいことだと思っている。
しかしその一方で、いま「声を上げて」いる人のほとんどが「声を上げる」ことそのものが目的になってしまっていることは否めない。そのため自称理想主義者たちは、自分たちは実際に社会を変えられなくても、正しいことを述べているのだからよいのだと自分に酔い、納得してしまっている。
そして自称現実主義者たちは、後出しじゃんけんで負けたほう、失敗したほうを批判することで自分を賢く見せることにしか関心がない。こうして、民主主義の根幹をなす世論形成の回路は破壊されている。今日における民主主義とは、意志決定が問題解決の手段ではなく、それを通じて別の欲望を個々人が満たすためのゲームになっているのだ。
その結果としてこの国にはいま、どうせ社会は変わらないのだというニヒリズムが蔓延している。しかし、それは無知の産物だ。社会は変えられる。ただ、その方法が知られていないだけだ。嘘だと思う人がいるのなら、たとえばこの国で活躍する政策起業家たちのことを調べてみるといい。
彼ら彼女らが、意外な回路を用いて国や地方自治体の制度を変えていることが分かるだろう。あまり知られていないが、小規模保育園の拡充も、ひとり親支援も、男性育休の普及も、すべてこういった政策起業家たちの活躍がなければ実現しなかったことだ。
では彼ら彼女らはどのような魔法を使ったのか? それは魔法でも何でもない。政策起業家たちはまず自分たちで国や自治体のできていないことを「やってみる」。まずは自分たちがユニークなビジネスを立ち上げることで、新しいしくみを試してみる。そしてその実績と「やってみた」ことで分かった課題とその分析を引っさげて、国や自治体にその自分たちの知恵を「パクらせて」制度を作るように働きかけるのだ。
なぜこのようなことが可能なのか。政党や政治家は、必ずしも個別の問題の専門家じゃない。しかし実績は上げたい。だから民間の知恵袋を常に必要としている。官僚たちは、個別の問題の専門家かもしれない。しかし公務員という立場は、大きな決定力があるゆえに法律でがんじがらめに縛られている。やはり、役所の外部に自分たちにできない動きをしてくれる「同志」が必要なのだ。そして、役人たちは、新しい制度を推すときに、民間の成功した「実例」を常に必要としている。政策起業家たちは、この日本的な立法と行政のシステムの欠陥を利用して、自分たちが必要だと考える政策を実現しているのだ。
本書を執筆した駒崎弘樹は、その草分け的な存在だ。駒崎は認定NPO法人フローレンスを立ち上げ、病児保育や障害児保育、待機児童問題など、主に子育て支援の領域で活躍してきた。そして、その長年の活動で得た経験を振り返り、総括しながら政策起業というアプローチを社会に提案するのがこの本だ。
イマイチ存在意義が分からない「地方議員」を市民はどう「利用」すべきなのか、霞が関の官僚たちの世界を支配するローカルルールとそれをハックすることで自分の意見を国の意見にしてしまう方法、そして国会議員との付き合い方と動かし方……。この本には、半径五メートルにある等身大の問題――たとえば「子供が保育園に入れない」といった困りごと――から、天下国家にまつわる巨大な問題――国家の掲げる家族観や労働観そのものの問題――までを、一歩一歩階段を踏みしめながら、確実に距離を詰め、つなげていくための知恵が詰まっている。
そして、その多くは僕たちが今日からはじめられることなのだ。もう一度繰り返す。社会は変えられる。そこには一瞬で、たくさんの人の注目が集まって、あなたの正しさやまともさが認められる、麻薬的な快楽は存在しない。その代り、僕たちは自分たちの手で自分たちの社会に直接触れて、そして作り上げていけるという確かな信頼が存在するのだ。
僕たちはみんな、今日から始められる
駒崎弘樹著『政策起業家――「普通のあなた」が社会を変える方法』書評
ちくま新書1月の新刊、駒崎弘樹著『政策起業家ーー「普通のあなた」が社会を変える方法』に寄せて、宇野常寛さんが、PR誌『ちくま』にご執筆してくださった文章を公開します。
官僚や政治家にはできなくて、「普通の社会人」だけができる社会を変える方法がこの本には書いてあるーー宇野さんからのアツいメッセージを受け取ってください。