凍土に起る砲声
・迫る危機感
「半田、半田……知志代、知志代」
隣接の半田警部派出所と知志代部長派出所を呼び続ける山田茂恭巡査部長のいらだたしげな表情を注視していた尾美松次郎巡査らは、「感度がない」とつぶやいて、受話器から山田部長が耳をはなした瞬間、誰かが電話線を切断したのでは……、誰だ、ソ連軍か、ソ連侵攻の前触れか――冷たいものが背筋を走って、無意識のうちに壁の小銃をたぐり寄せ、窓外に神経を配った。
八月九日朝。気屯警察署が国境線上の武意加に配置した武意加巡査部長派出所。尾美巡査は、当直あけで派出所から八十メートルほど南の官舎に帰ったが、電話が故障だという連絡ですぐ引返した。降るような霧の肌寒い朝だった。電話を分解、配線を調べたが故障ではなかった。故障でないとすれば、危険がここに迫っている――乳白色の霧にかき消されたハイマツの丘をじっとにらんで一分、また一分。何事も起きない。しかし危機感はさらに深まる。国境にあるものの第六感である。
尾美巡査は官舎に駆け戻った。非番の彼は、いまのうちに家族を避難させよう、自分の役目だ、ととっさに判断したからだ。同派出所は警官八人。官舎と寮があって、官舎には大沼照男、山田昇二両巡査、それに新婚十七日目の尾美巡査の三家族。わが家の玄関をあけたとき、同巡査は自分の表情がいくぶん青ざめているのを意識していた。
しかし、妻花子さんは大沼巡査の五つと二つになる女児を遊ばせながら、大沼、山田両夫人とレコードを聞き入っていて、気にもとめなかったようだ。
国境の生活は単調だ。晴れた日なら、警部に当たる夫たちの目の前で、すでに赤く色づきはじめたフレップ(コケモモ)の実を摘みとって遊ぶことができたが、それでも知らずしらず深入りして、ハイマツなど地面にへばりついたような灌木帯のなかに一人きりになってしまうと、不安に泣き出したくなる。不帰のツンドラと呼ばれる一帯の国境生活は寂しい。この日のように霧や雨になると、三家族が肩を寄せ合うようにして、同じレコードを繰り返しかけることしか楽しみはない。
尾美巡査は危険が迫っていることを、どのようにきり出そうか迷った。二人の子供が遊びの手を止めて、そんな彼を怪訝そうに見上げた、と、その瞬間、ダッ、タタタ……迫撃砲の炸裂音とともに軽機より軽い発射音が、派出所の方向で起こった。
その時刻、遠藤利夫さんの記憶では午前七時三十二分から同三十五分までの間。遠藤巡査はまだ寮にいた。ふつう七時半に出勤して山田部長の短い指示をうけてパトロールに出かけるが、事務担当の同巡査はその同僚より二~五分あとに出勤するので、時間を記憶しているという。
最初の銃声に、部屋の窓からのぞいた同巡査の目は、派出所の周囲の、人間の背丈より高い草のなかに黒いソ連兵の服をみた。
尾美巡査は派出所の北に散開している十数人のソ連兵を認め、警官が派出所から走り出て後方に散るのをみた。
駆けつけた遠藤巡査と尾美巡査は、恐怖に血の気もうせた家族の手をひくようにして官舎を抜け出し、草のなかに身をひそませた。
銃声は止んだ。
遠藤巡査は、足のはれもので休んでいた若い巡査とともに、大沼巡査の子供を背負って白樺林のなかの小道を四キロ後方の武揚台にひとまず退避した。武揚台には岡島堅蔵少尉の一個小隊がいた。
また、ようすをみるため踏み留まった尾美巡査は、丸越しだったが、ソ連兵が立ち去ったとみると、派出所に近づいてみた。
屋根には迫撃砲弾で四平方メートルほどの穴がぽっかりあいていた。ツンドラの地表をおおったフレップの葉は霧に濡れて、ソ連兵に踏み荒らされたような形跡はみえず、そのむこうのハイマツのなかにも人影はなく、全く何事もなかったように霧だけが流れていた。
急いで重要書類をリュックに詰め、近くの孵化場跡の池に沈めた尾美巡査は、倒れた同僚がいないかを確めようと周囲を見回していると、国境線に平行する軍道上を半田の方角から急ぎ足でやってくる警官がいた。
駆け寄ってみると半田警部派出所の東海林和右衛門巡査だ。そして「電話が不通なので連絡にきたんだが、ソ連が参戦し、進攻が始まると思われるので直ちに南下せよという命令だ」という。今しがた、武意加が襲撃されたことを知らないのだ。しかも、伝言すると、きびすを返して同じ道を帰ろうとする。尾美巡査は「おい、とんでもない。このとおり、いまここが襲撃されたんだ。武揚台まで下がって状況をみてから古屯経由で戻るべきだ」と引止めたが、かたくなに聞かず「早く復命に帰らなければならない」と歩き出した。
危い、一人じゃだめだと、尾美巡査も東海林巡査と軍道を歩き出したが、一キロほど西で切断され、たれさがっている電話線を発見、強引に戻る同巡査と別れて引返し、官舎で飯を弁当箱に詰め、衣服をまとめて、大急ぎで武揚台に向かった。
武揚台には、ソ連の襲撃直後、林をぬって後退した山田部長らがおり、同僚の大沼巡査と平野達雄巡査の行方がわからないと顔をくもらせていた。東海林巡査も半田には戻ったがその後の戦闘で戦死した。
・始まったソ連の侵攻
〈前略〉日の丸監視哨(久慈庫夫中尉)は半田から軍道を二キロ西にいったところに哨舎があり、ここからカタツムリの目のように二つの監視所が国境にむかって突き出している。二キロ北に分け入った標高三百五メートルの山に一号、その西の四百七メートルの山に二号の監視所。それぞれは百メートルほど細い壕を掘り登ったところに、六、七人が暮らせる程度のトーチカ。二号監視所は昭和二十年春廃止され、一号から七十倍と三十三倍の眼鏡でソ連領内の動きに目を光らせていた。七十倍の眼鏡は戦艦のブリッジに装備されているものと同性能で四十キロぐらい先まで見とおせるものだった。
この朝、一号監視所では、濃い霧のため視界が悪く、原田分隊の鳴海健弥上等兵、石川兼松上等兵ら六人が、朝食のあとストーブを囲んで雑談していた。とりとめのない話が、ふと途切れた瞬間、
「グアーン」
地中の部屋がぐらぐらと揺れ、ストーブがひっくり返った。
「敵だ」
誰かが叫ぶと同時にいっせいに壁の軍服をひったくった。砲弾の落下地点は頭上をこえて後方五十メートル、石川上等兵、沢市次郎一等兵、岡林袈裟治一等兵らが一団となって、長い壕の出口に向かって殺到した。
第二弾。今度はもっと近い、前方三十メートル――地揺れで壕の壁にどんとたたきつけられ、まりのように転がりながら、鳴海上等兵は直感した。そして、身を起したとき腕時計をトーチカに忘れたことに気付いた。危険のさなかなぜ腕時計を思い出したのか、のちになっても鳴海上等兵には何とも説明がつかないというのだが、同上等兵は壕を駆け戻った。時計を手首にはめながら文字盤を見みた。九時十五分だった。
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