T/S連載開始記念対談

想像力の届かせ方を創造する(1)

演劇と小説のあいだで

気鋭の劇作家・藤田貴大さんの虚構的自伝小説「T/S」のPR誌『ちくま』での連載開始を記念して、お互いにリスペクトしあうお笑い芸人・作家の又吉直樹(ピース又吉)さんとお話しいただきました。初回を読んだ上で話すはずが、いきなり書きあぐねて対談までに初回が間に合わなかった(!)藤田さんに、又吉さんが『火花』執筆時の苦労を吐露します。全3回の初回をお楽しみください。

―― 今日はPR誌『ちくま』の4月号(3月末刊行)より藤田貴大さんの小説「T/S」が連載開始するのを機に、その第1回をダシにしつつ、又吉さんと藤田さんに、演劇と小説の違い、あるいは演劇とお笑いの違い、表現とはなにか、いま社会や世界にとって表現の意味とは、などなど創作論全般をお話しいただこうと思ったのですが、残念なことに今日までに第1回が書き上げられませんでした……。
 なぜ作家は書けなくなるのか、から始めるべきかもしれませんが、ひとまず、又吉さんがマームとジプシーをどんなきっかけで、いつぐらいから観始めたのか、うかがえますでしょうか。
又吉 2014年の川上未映子×マームとジプシーの「まえのひ」ツアーのいちばん最後、東京公演を風林会館で観たのが最初でしたね。昔から、ひとが創ったものはいろいろ観てきましたけど、音楽でもお笑いでも、あ、これはずっと観続けないとあかんやつやっていうのはすぐわかりますよね。そういうハンパない刺激を受けました。
藤田 そこからは本当に全部観てくれてますよね。京都公演とかも。
又吉 観るたびに、演劇の幅ってこんな広くていいんやなと思うんです。僕らも漫才とかコントをやって、演出みたいなことをするわけですけど、やっぱりそこで出来る幅って決まっていて、自分ではけっこうそこを広げてきたつもりが、マームとジプシーを観ると、あ、まだまだやなと思うんです。舞台で出来ることの可能性をすごく感じますし、言葉も面白いですしね。なによりも観たときに完全にすべてを把握しきれないのがいいんです。
だから、藤田さんが新しい作品を作ったと聞くと、いまはどんなことを考えているのか、前作からどう変わったのか、すごく気になりますね。今度は小説を書かれるというので、藤田さんが小説をどういう風に、どういうことを書くのか興味があるんです。
藤田 最初に観てくれたとき、まだ又吉さんは小説を発表する前でしたよね。
又吉 まだ書いてもなかったです。小説を書き始めたのは2014年の夏以降で、たしか9月から11月までで書きましたね。
藤田 なんでそれを覚えているかと言うと、2015年1月に『カタチノチガウ』というその時点での最新で、僕もすごく気合を入れた作品を原宿で上演したその打ち上げで、又吉さんが「文學界」に掲載された「火花」(2015年2月号)の単行本化作業をしていると言っていて、あ、又吉さん、小説書いたんだとすごい印象に残ったからです。そのとき青柳いづみもいたんですけど、「火花」を風呂で読んで爆笑した、わたしあまりそういうことないんだけどと言ってて、彼女がそういうことを言うのは珍しいなと思ったら、翌日、青柳の声が出なくなる事件が起こった(笑)。
又吉 それ、僕のせいじゃないですからね(笑)。
藤田 俳句やエッセイの本を出されてたり穂村弘さんと対談したりしていたのは知っていたんですけど、そこから小説を書くようになるのはけっこう急激な変化ですよね。
又吉 それまでの仕事からすると、小説を書くのは異質と言えば異質ですよね。エッセイはずっと書いていて、小説をというお誘いもいただいていたんですけど、自分の中で小説は気合がいるという感じがしてました。
ただ、昔からエッセイを書けと言われても、いわゆるエッセイ的なエッセイを書くのが苦手だったんです。日記じゃないけど、私小説風に日常を書くのは抵抗がなくて、それと小説は近いと言えば近かった。でも書いてみたらぜんぜん違った部分も多かったですけど(笑)。表現のコスプレというか、漫才をやろうとしている漫才とか、コントをやろうとしているコントが急に恥ずかしくなるんですよね。同じように、俺いま小説書いているなと思いながら小説を書きたくないんです。だから、小説の依頼を受けても、いま書いたらどうやっても小説を書こうとしてまうなというのがあって書いてこなかった。それがようやくなくなったのが2014年のタイミングで、いまやったらわりと正直に書けるかもという気になったんです。表現としては、お笑いをやってTVに出て自由律俳句をやって小説を書いて、ってひとから見たらばらばらなことをやってるように見えるかもしれないですけど、自分の中では段階を踏んでやってきたという気持ちがあるんです。
藤田 自分としてはシームレスにつながっていると。
又吉 だから、2014年より前に「別冊文藝春秋」で書かせていただいた短編とかは、ちょっとまだ小説書いてるなという感じがありました。不思議なもので、「火花」を発表したあとに、その短編は自然体だったけど「火花」は小説を書こうとしているという指摘がけっこうあったんですよね。僕としてはまったく逆で、「火花」のほうがより自分に近いんです。そのぶん、それを書くのに自分の準備が必要だったと思ってます。「別冊文藝春秋」に書いた短編は、子どものころの記憶を書いたものなんですけど、あざとくなりすぎないようにとか、難しすぎる表現を避けてという意識があって、あまり自分で全力を尽くしている感じがしなかった。

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