『ドライブイン探訪』刊行記念トーク

橋本倫史×藤田貴大
「町に残る、町を出る」

『ドライブイン探訪』刊行記念トークイベント

2019/3/17に早川倉庫で行われたトークを掲載いたします。

橋本 『ドライブイン探訪』刊行記念トークイベント、これまでに3本開催してきたんですけど、一つ前にやったのは東京・荻窪にある「Title」という本屋さんだったんです。トークが終わったあと、駅前にある焼き鳥屋さんで飲んでたんですけど、「そういえば昔、ここで飲んだことあるな」と思い出して。今日は3月17日ですけど、藤田さんと初めて会ったのは8年前の昨日で、荻窪にあるその焼き鳥屋さんで飲んだんですよね。

藤田 そうですね。……橋本さんは日付や場所をおぼえまくってるから、「これも何かに繫がってしまうんじゃないか」という恐怖に苛まれるんです(笑)

橋本 恐怖?(笑)

藤田 いや、「あのときの荻窪があったから、今日は荻窪なのか」とか、「あのときが3月だったから3月なのか」とか、そういうことを考えながら言葉を口にしていかなくちゃいけないところがあって。まず、そのパソコンが怖いんですよ。そのパソコンにいろんな記録が残ってるから。

橋本 つい最近まで、藤田さんが主宰されている演劇カンパニー・マームとジプシーはフィレンツェで滞在制作を行なっていて、僕もその旅に同行してドキュメントを書いていたんです。フィレンツェは2度目の滞在で、最初の滞在のときも僕は同行してたから、街を歩いているときに僕がパソコンを開いて「ああ、やっぱりこのスーパーには6年前も来てますよ!」と写真を見せて、皆に引かれるっていうことがありましたね。

藤田 いや、だって、スーパーですよ?(笑)

橋本 こういうことを言うとまた「怖い」と言われてしまいそうだけど、藤田さんの作品を最初に観たのは2011年ですけど、僕がドライブインを巡り始めたのも2011年だったんです。ドライブインを巡りながら、藤田さんの作品が上演されるときはいつも拝見して、そこで考えてきたことがあるからトークのゲストをお願いしたんです。『ドライブイン探訪』は『月刊ドライブイン』というリトルプレスが元になったものですけど、そのリトルプレスのときから藤田さんに手渡してましたよね。

藤田 そのときはこんなに厚い本ではなくて、1号に2話入っている薄い冊子だったので、ツアーに出るときは鞄に入れて旅してたんです。それが1冊の本になって、むちゃくちゃ嬉しいんですけど、この本はとにかく読んでて疲れるんですよ。

橋本 疲れる?

藤田 まえがきにも書かれてますけど、1軒のお店を3回は訪れているわけですよね。飄々と書いている感じだけど、そこにものすごく膨大な時間と距離があるってことを本という空間の中から感じてしまうので、ものすごく疲れるんです。でも、そうやって時間と距離を費やしてツアーをしていくというのは僕にとっても大きな仕事でもあるんだけど、それを橋本さんはいよいよこういうふうに言葉にしちゃったんだなっていう感じがしましたね。ここから何冊も続いて欲しいなと思うんですけど、2011年から橋本さんをそばで見てきたひとりとして、あんまり世に知られたくないって欲もあるんです(笑)。橋本さんはものすごく貴重な人だなっていうふうに捉えているから、旅に同行してもらって言葉にしてもらってきたから、あんまり世に知られたくないって気持ちもあるんですよね。

事実をいかに書き並べるか

橋本 この『ドライブイン探訪』という本が出たタイミングで藤田さんと話がしたいなと思ったとき、東京で話すというよりは旅先で話せたらなと思ったんです。さっき藤田さんが「ツアーをしていくのは僕にとっても大きな仕事でもある」とおっしゃいましたけど、僕もそのツアーに同行して言葉にしてきたこともあるから、旅先で話せたらな、と。ちょうど今、「マームとジプシー」は『BEACH』と『BOOTS』という二つの作品を掲げてツアーをしていて、明日明後日は熊本で上演されるということだったので、「それなら熊本で話したい」と。

藤田 公演のために熊本にくるのは3回目で、スズキタカユキさんの「仕立て屋のサーカス」という企画でもゲストとして参加したことがあるので、熊本はかなり来ている街でもあって。この本の中にも熊本のドライブインのことが書かれているんだけど、橋本さんの文章が良いなと思うのは――本人の前で言うのも恥ずかしいですけど――結構巧いんですよね。熊本のドライブイン以外でも、「夫はもう亡くなっている」みたいなことは、年齢的に当たり前なわけじゃないですか。

橋本 そうですね。話を聞いた方は70代や80代の方が多かったので、そういうお店は多かったです。

藤田 その話を文章の大きなオチにしているわけではないんだけど、夫はいないものとして語られているモノローグが最初に出てきたりして、情報の出し方が巧いなと思ったんですよね。それはやっぱり、演劇的に考えてもそうなるよなと思うんです。最初からいきなり「夫は19年前に亡くなっていて」というモノローグから始められると、その女性が浮かび上がってこないんですよね。最初は夫がいない体で話していて、亡くなったのかどうかわからないまま数ページ読んでいくと、「ああ、やっぱり亡くなってたんだ」とわかるタイミングがやってくる。そこがすごく巧いなと思ったんですけど、そのなかでも阿蘇の話はかなり印象的だったんですよね。

橋本 阿蘇を抜けるやまなみハイウェイの途中に、「城山ドライブイン」ってお店があったんです。そこは勝木斉さんという男性が始めたお店なんですけど、斉さんはサヨ子さんという方とお見合い結婚をして、夫婦で切り盛りしてきたドライブインで。

藤田 しかも、その出会いがすごいんですよね。サヨ子さんがドライブインに入ってトイレを借りようとしたら、「トイレだけはお断りです」と言われたっていう。

橋本 そんな経験があって、「あんな店、もう二度と行かない」と思って過ごしていたある日、サヨ子さんのお父さんが見合い話を持ってきて、会ってみると「トイレだけはお断りです」と言った男性だったという。そのドライブインを最初に訪れたのは2011年で、そのときにはもうサヨ子さんがおひとりで切り盛りされてたんですけど、2011年の段階で2回お店に伺って、お話を聞かせてもらっていたんです。それからしばらく経って、『月刊ドライブイン』を創刊することに決めて阿蘇を再訪したんですけど、そのときにはもう建物が取り壊されていて。そこから何とか連絡先をたどって、サヨ子さんの義理の娘さんにたどり着いたんですけど、そこで「義母はもう亡くなったんです」と伺ったんです。そのことについて書くとすれば、どういう順序で書いていけばこの気分が伝わるだろうかってことを考えて、「城山ドライブイン」の原稿を書いたんです。でも、どういう順序にするかってことはいつも考えてますね。

藤田 やっぱり、わかるわけじゃないですか。2016年に熊本の地震があったことは皆わかっているわけなんだけど、それをどこのタイミングで出すかってことがものすごく重要になってくると思うんです。ドキュメントといっても、ただ事実を書き並べるだけじゃなくて、その並べ方が重要になってくる。この本に出てくるお店は、ことごとくシビアな話にぶつかっていきますよね。それは死に限ったことではなくて、その町がどういうふうに衰退したのかとか、そういった話にもなってきて。それをまとめようとすると、「そんなふうに並べられたらお腹いっぱいになるよ」ってなりがちだと思うんですけど、それを編集によってうまくかわしているから、すごい本だなと思うんですよね。

橋本 情報だけを伝えるのであれば、事務的に箇条書きにして、図録的に整理すればわかりやすくはあると思うんです。でも、その書き方だと残らないものがあるような気がしたんですよね。そのお店に流れてきた時間みたいなものは、そのアプローチでは残せないんだろうなと。

「マームとジプシー」の稽古場に影響を受けたこと


藤田 僕は大学生の頃、民俗学の本にハマってた時期があるんです。宮本常一の本とかを読んで「途方もなく昔の人が、途方もなく昔の土地のことを書いていてかっこいいな」と思ってたんだけど、橋本さんがやっていることも、次の世代の人たちからはそう思われるようになる気がするんですよね。僕は橋本さんと年齢が近いから「途方もなく昔の人が、途方もなく昔の土地のことを書いている」とは思えないけど、宮本常一だって、同年代の人たちからこの距離で「いや、宮本さんさ」と話してたかもしれないわけですよね。だから――これはもう、橋本さんの行為だと思うんですよ。

橋本 行為?

藤田 取材というより、もはや行為だと思うんです。だって、「ドライブイン、面白いでしょ?」みたいなことじゃないですよね。しかも2011年からやってきて、ようやく1冊ですよ。こうやって本にまとまったところで、その取材費に消えたお金の何割かは返ってこないですよね。そうやってドライブインを巡ってきた橋本さんの行為がこの本の中に詰まっているから、読んでいて疲れるんですよね。

橋本 僕は2011年に初めて「マームとジプシー」を観て、2013年の春からは一緒に旅をしてドキュメントを書いてきましたけど、稽古場という場所に足を踏み入れたことはごく限られていて。『まえのひ』、『小指の思い出』、『書を捨てよ町へ出よう』、『みえるわ』、そして『IL MIO TEMPO』と5作品だけなんです。稽古場という場所は何もなくふらりと立ち入れる場所ではないと思っているから、ドキュメントの仕事がないときは近づいてないんですけど、その五つの作品の稽古場を観たときに印象的だったことがあって。たとえば『書を捨てよ町へ出よう』は寺山修司さんの作品ですけど、それをどう再構成して上演するか、すごく時間をかけて考えている様子を横から拝見して。藤田さんの作品はチャプターに分かれていることが多いですけど、まずチャプターのタイトルになりそうな言葉をいくつも並べておいて、それをどの順序で出すかってことをかなり時間をかけて考えてましたよね。そうして作られた作品のドキュメントを書くのであれば、こちらもそれだけ考えぬかないとなってことを思ったんです。「随筆」という言葉は「筆に随う」と書いて、もちろんそれでたどり着ける世界もあるとは思うんですけど、ドキュメントを書くのであればもっと考えぬかなければと思わされたんです。だからドライブインの原稿を書くときも、「このお店だとどんなことがキーワードになってくるか」と書き出して、それをどういう線で結ぶと一番響くかってことを考えて、設計図を先に作ってから書いてたんです。マームのドキュメントにしても、たとえば『文學界』(3月号)に『書を捨てよ町へ出よう』パリ公演のルポを書いたんですけど、藤田さんが演出した『書を捨てよ町へ出よう』は、プロローグがあって、10のチャプターがあって、エピローグで終わるという形式だったんですよね。その作品をドキュメントするのであれば、その文章もプロローグ・10のチャプター・エピローグという構成にしよう、と。皆がパリに滞在する日数がちょうど10日間だったので、そこを10のチャプターに分けて、日記形式で書くことにしたんです。それで、僕は皆より1日早くパリに渡航して、その日のことをプロローグとして書いて、皆が帰った翌日まで延泊して、その日のことをエピローグとして書く。これまで藤田さんの稽古場を観たことも、僕が文章を書く上で結構影響を受けているんですよね。


藤田 演劇を作ることが“出来なくちゃいけないこと”になってくると、「完成したね」みたいなことで喜ぶことは結構昔の段階でなくなって、その作品の構成がこれでいいのかっていうことは考え続けていて。演劇は本とも違って、空間と言葉を伴いながら考えていけないところがあるんだけど、僕はつまらない演劇を観たときに、「僕が構成に入ればもうちょっと面白くなる」と思っちゃうんですよね。テキストを変えなくても、前後を入れ替えるだけで全然風景が違ったりする。本屋で働いていたときも、少し本の配列を入れ替えただけで、めちゃくちゃ売れるようになった本棚があったんですよね。だからやっぱり、どこに何を置くかってことはすごく重要で。『ドライブイン探訪』も、このトークのために読み返したんですけど、読んでいると「日本って結構ヤバいな」っていうふうに思えてきて、日本に疲れてくるんですよ。でも、途中にポンとアメリカの話になって、風が変わるタイミングがあるんですよね。そこが本の中に空間を感じるところで。橋本さんは1度『月刊ドライブイン』としてこの文章を書いたわけですけど、それを1冊にまとめるにあたって、順番を並び替えてるじゃないですか。1回読んだことのある文章でも、配置されてる場所によって印象は全然変わりますよね。最近は音楽をアルバムって単位で聞かなくなってきたのかもしれないですけど、僕はやっぱりCDアルバムってテンポが好きなんですよ。12曲だったら12曲、どうやってこの配列にしたのかってことを考えるし、「この配列のままライブをやるのかな」とか、そういうことを想像しながらCDを聴くのが昔から好きで。それは作品の中でずっと考えていることでもありますね。


土地ごとに異なる「まえのひ」という言葉の響き


橋本 さっき「藤田さんとは旅先で話したいと思った」と言いましたけど、旅先ならどこでもよかったわけではなくて、やっぱり熊本で話したいなと思ったんです。僕が最初にドライブインを巡り始めたのは2011年の秋で、まずは東北をぐるりとまわったんです。そこで当然、地震と津波の跡は目の当たりにするわけです。これは別に、その風景を目にしたことを特権化したいわけではないし、それが直接的に本に影響したってことでもないんですけど、そのときからずっと考えていることがあって。この早川倉庫で過去に藤田さんが上演した作品は『まえのひ』(2014年)と『みえるわ』(2018年)で、いずれも川上未映子さんの詩を藤田さんが演出して、青柳いづみさんのひとり芝居で上演するという作品でした。『まえのひ』という詩は、震災を受けて未映子さんが書き下ろした詩ですね。

藤田 そうですね。それは「誰しもがまえのひにいるかもしれない」ということを書かれた詩なんですけど、それは「明日どうなっているかわからない」ってシンプルな話じゃなくて、「わたしたちはいつも、何か決定的な日の前にいるのかもしれない」って話なんですけど。


橋本 その作品で2014年にツアーをして、まずは東京の早稲田から始まって、いわきで上演し、そこから松本、京都、大阪と移動して熊本にたどり着いたんですよね。あのツアーのとき、移動するにつれて「まえのひ」って言葉の響きが変わっていくのを感じたと思うんです。特に熊本まで移動してきたときは、結構遠くまでやってきたなという感じがありましたよね。


藤田 そうですね。2012年に北九州の人たちと『LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望』という作品を作ったときにも、「九州は地震なんて起こらない」ってことを言われていたんですけど、2014年の『まえのひ』ツアーのときも、その「まえのひ」って言葉を地震と繫げて考えた人はいなかっただろうなと思うんです。それが良いとか悪いとかって話じゃなくて、そもそも「まえのひ」って言葉は必ずしも震災だけの話ではないと思うんだけど、東北で上演するとあきらかにそこと繫がってしまう言葉が、西に移動すればするほどそうはならなくなってくるって話を熊本でしたんですよね。


橋本 そのあとに、この土地でも震災が起きて。『まえのひ』という作品は、ハイエース1台でまわっていたわけですけど、熊本公演が終わったあと、皆は飛行機で沖縄に移動するなか、俳優の石井亮介さんと中島広隆さんと僕の3人はハイエースで鹿児島まで移動して、そこからフェリーで沖縄を目指したんです。


藤田 その3人で何を話すんだろうって、ほんとに思うんですけど(笑)。3日くらいかかるんでしたっけ?


橋本 25時間だから、丸1日ですね。でも、そうやって陸路で日本を移動していると、いろんなことを思うわけですよ。たとえば鹿児島にたどり着いてみると、桜島は日常的に噴火していて、火山灰が降り注いでいる。2014年の春にはセウォル号の事故もありましたけど、セウォル号というのは鹿児島から那覇の航路で使われているフェリーが払い下げられたもので、沈没事故のニュースを乗務員の人が眺めていて。あるいは、今回の『BEACH』や『BOOTS』という作品は新潟でも上演されましたけど、冬の新潟はものすごく雪が積もる地域もある。それぞれの土地でいろんなことが起きてるけど、その場所に暮らし続けている人たちがいるわけですよね。この8年間、ドライブインを巡るために移動を繰り返してきたけど、この国は災害だらけだなと思ったんです。でも、その土地に住み続けている。人はどこに住むかってことを選択できるけど、そこで町を出る選択をする人もいれば、残り続ける選択をする人もいるわけですよね。


藤田 確かにそれも、この本を読んで不思議だったところなんですよね。「ドライブインをやろう」と言い出した夫が亡くなっても、そこに残り続けて女手一つでやってきたって話が結構出てきますよね。誰かの死に限らず、その場所でいろんなことが起きてるじゃないですか。それが橋本さんによって書かれると、その人が素の状態でしゃべっているような感じで書かれるから、そこもダメージがあるんですよね。

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