PERSONA最終章

PERSONAは終わらない

写真家・鬼海弘雄は、45年間、浅草・浅草寺境内で市井の人のポートレイトを撮り続けてきた。一連の作品はいつしか「PERSONA」と呼ばれるようになり、鬼海の浅草ポートレートの代名詞となっている。名も知らぬ人びとの肖像になぜ魅せられてしまうのか。2003年の『PERSONA』から15年、浅草ポートレイトの完結篇とも言える写真集『PERSONA最終章』刊行を記念して、いしいしんじさんにその魅力について綴っていただきました。


 鬼海弘雄の写真のなかで、人間は、一個の「もの」となる。名前も、地位も、生物的な種別もとりはらわれた、この世でたったひとりきりの、代替不能な存在。だから、命を賭しての寂しさと、尊厳がみなぎっている。
 もの、とは、国語学者大野晋によれば「自分の力で変えることのできないこと」。たとえば運命、事実、四季の移り変わり、あらがいようのない自然も、そのなかに含めてよいかもしれない。
 もの思い、とは、なんとなく思っている、ではなく、自分の流れてき、これから流れてゆく運命を思うこと。写真を眺める。表情、服装、境遇、ひとりひとり違う。あらがいようもなく、そうなってしまった。鬼海弘雄は、ものがなし、を撮る。いかんともしがたい、もののあはれ、を撮る。光が結晶化し、そのひとだけの、ものがたり、が顕在する。
 ものがたりの一話ずつ、一話ずつに魅了され、ページを繰る。サングラス、帽子、首に巻かれているあらゆるもの。男がてのひらにのせたぬいぐるみは、その色、その形でなければならなかった。肩の猫、抱きすくめられた犬、動物たちの上にも、それぞれの速さで時間が流れてゆく。
 写真のなかのひとりびとりが、自分のものがたりを引きうけ、まっすぐに、ななめ加減に、からだを揺らせ、この世にただひとり立つ。カメラを構えた写真家は、一個の「もの」となったひとを前に、深々と頭をさげてシャッターを切る。
 ページを繰るうち、なんだか少し、写真が大きくなったような気がして、少し前にもどってみる。やはり同じか。目の錯覚かも。
 かすれた声、そのものの顔。工作重機そっくりの技術者。首にかけられた線路のようなマフラー。「モデルのような仕事だったと云うタカハシさん」と「元松竹歌劇団のプロダンサー」。
 まちがいない。写真がひろがっている。目にみえる現象として、だけでなく、別の写真と相互作用を起こして。
 写真におさめられた一個の「もの」は、隣あうもう一個の「もの」と、いつの間にか対話している。空間をこえ、時間をこえ。個、という「もの」の、運命さえこえて。ひとりびとりの「もの」がたりが、ページのなかで揺れ動き、隣の「もの」がたりとつながりあって、撮られている同士、撮っている本人さえ思いもよらなかった、あらたな「もの」がたりが、眼前で生まれる。本人同士の写真が二枚ならんでいる場合でさえそれは起こる。人間たちの「もの」がたりは、運命を突き抜け、まあたらしい人間を未知の時間上に立たせる。
 めくっているうち、とあるページで、この親子、と息をのむ。「三人の息子を引き取り、育てていると語る男」と「『寒い今夜は、湯豆腐だね……』と話す人」。おそらく血のつながりはない。ただ、鬼海さんはふたりの間に、まちがいなく縁の匂いをかぎとった。だからこうして、分かちがたく並んでいる。そのことの奇縁。そのことの奇跡。
 そうしてページをめくったら、そこに「ハウス・クリーニング業者」と「その無口ぎみな息子」、つまりほんものの親子が立っている。むせかえる縁。血と呼吸。ページをこえて「もの」がつながる。隣りあった同士だけではなかった。「PERSONA最終章」の、すべてのページが響きあい、一冊の本という形をこえて、大きなひとつの「もの」がたりをなしている。
 初めて海を見る子どものように僕は立ちつくした。大海を満たす水の一滴ずつに、これまでの「PERSONA」、鬼海さんの撮った写真一枚いちまい、そこに立つ人間の生命が映りこんでいる。PERSONAはけして終わらない。ページをひらくたび、たえず新しく波打ち、響き合い、生きつづける。僕たちはそれぞれ、たったひとりの人間だ。それはささやかではあるが誇るべき、かけがえのない勲章なのだ。

かすれた声の元高電圧工夫 2007

 

今で言う、フリーターでずっと生きてきたと話す人 2007

 

※「PERSONA最終章」特設ページでも写真をご覧いただけます。 こちらからどうぞ!

※鬼海弘雄「PERSONA最終章」展、本屋Titleにて開催中! 等身大かと見まごうほどの大きさで作品と向き合っていただける貴重な機会です。 詳細はこちらへ

※『PERSONA最終章』刊行記念、鬼海弘雄トーク&サイン会を4月7日(日)梅田蔦屋書店にて開催します。 お申し込みはこちらまで

※「PERSONA」世界の魅力を語る──鬼海弘雄 × 堀江敏幸による刊行記念トークイベントを4月21日(日)青山ブックセンター本店にて開催します。 お申し込みはこちら

2019年3月15日更新

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いしい しんじ(いしい しんじ)

いしい しんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都に在住。著書に小説『四とそれ以上の国』(文藝春秋)『東京夜話』『ぶらんこ乗り』『トリツカレ男』『いしいしんじのごはん日記1~3』『ポーの話』(新潮社)など、エッセイ・対談『その辺の問題』(中島らも共著/角川文庫)『人生を救え!』(町田康共著/毎日新聞社)などがある。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

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