『ドライブイン探訪』刊行記念トーク

橋本倫史×青柳いづみ
「わたしの声を言葉にする」

『ドライブイン探訪』『いづみさん』刊行記念トークイベント

2019/3/21に沖縄・宗像堂で行われたトークを掲載いたします。

「この本には、私の知らない『わたし』がたくさんいる」(青柳)

橋本 『月刊ドライブイン』を創刊してから、青柳さんには毎号手渡してましたけど、それは読んでくれてましたか?

青柳 読んでました。でも、『月刊ドライブイン』は毎回お店を2つずつ取り上げてましたけど、こうして1冊になって読むと、順番も違うし、やっぱりちょっと印象が違いますね。あと、当たり前のことですけど、この本を読むと「私の知らない『わたし』がこんなにもたくさんいる」っていうことを知るというか。

橋本 『ドライブイン探訪』に出てくるドライブインの店主たちに、青柳さんは会ったこともないけど、この本を読むと店主たちが過ごしてきた時間がぎゅっと書きとどめられていて、それに触れるとびっくりするってことですよね。

青柳 そうですね。皆「わたし」だよなと思いました。

橋本 青柳さんのことはずっと取材してきましたけど、数年前の青柳さんだったら、そんなこと思わなかったですよね、きっと。

青柳 思わなかったです。世界全部が「わたし」みたいな気持ちでした。ほんとにそう思ってたんですよね。舞台上にあるものも、一緒に出ている出演者も、観客も、劇場にあるものはすべて「わたし」みたいな気持ちだったんです。そういうふうに演劇をやってました。

橋本 すべてが「わたし」だってことは、観客の一人一人の何かまでコントロール可能だと思っていたってことですよね。

青柳 全部コントロールできると思ってました。この、今吹いている風とかでさえコントロールできると思っていたんだと思います。

橋本 でも、あるときからは「すべてがわたし」とは思わなくなって、私自身とは別個の「わたし」が世界に存在しているってことに気づいたわけですよね。そんなふうに変わっていく青柳さんを取材していたことは、ドライブインを取材することにも影響していて、そこにある「わたし」をどう書き留めるかってことをあれこれ考えるきっかけになったんです。

青柳 この本の中に、いろんな「わたし」がいますもんね。

橋本 それは、本を読み進めるなかで知らない「わたし」を発見して、びっくりするんですか?

青柳 なんか、閉じちゃう(笑)。これ、写真も載ってるから余計にそうなるのかもしれないです。載っている人たちが、皆笑顔なんですよ。良い写真だなと思って、たまらない気持ちにいつもなります。

橋本 本で取り上げたお店のことは、取材するまでに2回は訪れていて、3回目に訪れたときに2時間から3時間かけて話を聞かせてもらっているんですよね。そのあとで写真を撮らせてもらっているので、皆さん笑顔を向けてくれて。別に「笑顔でお願いします」なんて言ってるわけじゃないんですけどね。

青柳 橋本さんは絶対にそんなこと言う人じゃないよなと思うからこそ、こんなに笑顔で載っていることがすごいなと思う。

橋本 たしかに、皆さん笑顔で写ってくださって。それを嬉しく思うと同時に、「これってやっていいことなんだっけ?」とも思ってたんですよね。『ドライブイン探訪』は、お店の歴史を聞くのと同時に、お店を営んでこられた方の人生を語ってもらって、それを書き記していて。取材しているときから考えていたことではあるんですけど、「これってやっていいことなんだっけ?」というのは、時間が経てば経つほど考えます。

青柳 「これってやってよかったんだっけ?」は、演劇をしていてもいつも思います。

橋本 それは、たとえば『cocoon』という作品であれば、今日マチ子さんが着想を得るきっかけとなった人たちが実在しているので、「これってやってよかったんだっけ?」と思うかもしれないなってことを、普段舞台に立たない僕でも想像できるんです。でも、青柳さんが出ている作品の多くは、事実を元にした作品というよりも、フィクションですよね。そこで「これってやってよかったんだっけ?」となるのは何でですか?

青柳 私以外の「わたし」がいるってことに気づいたのもそういうことなんですけど、この言葉があることによって、誰かの何かが変わってしまうかもしれなくて。そんな言葉を、私以外の「わたし」に向けて言っていいんだっけと思ったんだと思います。

橋本 女優という仕事は、常にそれを行なっているわけですよね。特に青柳さんは、ある決定的な言葉を手渡されることが多いですよね。藤田さんの最近の作品は、「2時間なら2時間の上演時間はあるんだけど、言葉としてはこの一言に尽きるんだ」っていう傾向が強くなってますけど、その一言を青柳さんは託される。それを繰り返してますよね。

青柳 「これって言ってよかったんだっけ?」って絶対毎回思うのに、繰り返してます。5月に『CITY』という作品をやることが決まっていて、その作品も「この一言」っていうのが決まっているみたいで、はじめはいつも「そんなこと言えるだろうか」って思うんですよね。でも、それを言うんです。

橋本 それを繰り返すというのは、不思議な仕事ですね。

「われわれは一体、何を繰り返してるんでしょうね?」(橋本)

橋本 今日のトークイベントは「わたしの声を言葉にする」というタイトルをつけてますけど、青柳さんがやっていることも、僕がやっていることも、アプローチは違えど「わたしの声を言葉にする」ことだと思うんですよね。ドライブインを何十年と営んでこられた方たちの言葉は、これまで記録されてこなかった「わたしの声」で、僕はICレコーダーをまわしてその声を言葉にする仕事をしていて。青柳さんは、自分自身ではない誰かとして、この世界のどこかにいる「わたし」として、舞台に立って言葉を発語する仕事をしていて――さっきから戦闘機が飛ぶたびにトークを中断してきましたけど、僕がしゃべってるときにしか飛ばないですね。

青柳 そうだよ。

橋本 でも、僕が「わたしの声を言葉にする」ってことを考え始めたきっかけというのも、沖縄だったんです。2013年にひめゆり平和祈念資料館を訪れたときに、その人がどんな人だったのかほとんど書き残されていない人や、ぼんやりした写真しか残っていない人もいて、記録されることがなかった人たちのことをすごく意識することになったんですね。青柳さんはどうですか?

青柳 沖縄にくるといつも思うけど、あんまりしゃべっちゃいけないんじゃないかとか、思うんですよね。誰かや何かを変えてしまうのが怖くて。「変えられると思ってるのかよ」ということもありますけど、何かを言葉にしてしまうことが怖しい。でも、自分以外の「わたし」がいるってことに気づいたのは、ここにいた時間があるからなんだろうなと、話してて思いました。

橋本 僕は2013年の6月に沖縄にきてから、毎年6月になると沖縄を再訪しているんです。きたところで何ができるわけでもないですけど、これるんだったらこない理由はないなと思って、毎年きてるんですね。青柳さんは青柳さんで、公演がないときでも頻繁に沖縄にきてますよね。それも、「前回行ってない場所があるから、今回はそこに行ってみよう」とかではなくて、基本的に同じ場所を巡り続けてますよね。われわれは一体、何を繰り返しているんでしょうね?

青柳 それしかできないんですけどね。でも、やっぱり、私は沖縄が好きなんだと思います。何かを好きだなんて、あんまり言わないですけど。何かを好きだと言うことに対して、「ええ?」っていう角度って絶対にあるじゃないですか。沖縄を好きだということに対しても、「ええ?」っていう目線はあると思うんです。どういう角度なのか、よくわからないけど。でも、どうしてそんなに沖縄にくるのかと言われたら、この場所がどこよりも好きだからという気持ちに、今回初めてなりました。

「人の記憶を扱うのは、暴力といえば暴力だと思うんです」(青柳)

青柳 『ドライブイン探訪』は、全国いろんなドライブインに行かれてますけど、沖縄が2つありますね。

橋本 この本には22軒のドライブインが出てきますけど、そのうちの2軒が沖縄なので、比率としては高いですね。1軒は「A&W」で、もう1軒は本部町にある「ドライブインレストランハワイ」です。青柳さんも、「A&W」は何度か行ったことがありますよね?

青柳 ありますけど、Coccoが言うほどの気持ちにはなれてないです(*註――『ドライブイン探訪』では、「金曜とか土曜にエンダーに行ってブルーシールに行くのが、沖縄の子供が喜ぶスペシャルコースなわけよ」というCoccoの言葉が引用されてる)。私のソウルフードは、やっぱマックだから。

橋本 僕のソウルフードも、「A&W」ではなくてマックですけど、どうして沖縄を2軒取り上げることになったんだろうと考えると、やっぱり『cocoon』という作品の影響が大きいんですね。『cocoon』は、穏やかな日常があったところに戦争が起こり、砲弾が飛び交う中を駆け抜けて、最後には戦争が終わった日にたどり着くわけですよね。2013年にこの作品が舞台化されたとき、僕は1945年の沖縄にどんな日々があったのかということをひたすら調べていたんです。でも、『cocoon』が2015年に再演されたとき、ふと思ったんですよね。「戦争が終わった日から今日に到るまでに、どんな時間があったんだろう?」と。ドライブインを取材しようと思ったのも、それをたどることで、日本の戦後のあゆみのようなものが見えるんじゃないかと思ったことも大きなきっかけだったんです。沖縄には戦後というものが強く残っていて、それは今取材を進めている『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社より5月22日取次搬入予定)でも感じることなんです。

青柳 『cocoon』をやっていたときは、最後まで生き残っているのは私が演じたサンとマユだけですけど、戦争が終わる日の前と後ってことを思ってやっていたのかと言えば、そんなふうに思ってはいなくて。それは、『書を捨てよ町へ出よう』のときに藤田君と話したことにも近いですね。

橋本 『書を捨てよ町へ出よう』で青柳さんが演じたのは「せつこ」という登場人物で、主人公である「わたし」の妹でした。お父さんは戦争帰りで、しばらく屋台ラーメン屋をやっていたけど今は無職で、おばあちゃんは万引きの常習犯という家族です。「わたし」は同年代のように大学に行くことも叶わなくて、大学に潜り込んで、「近江」という先輩に出会うわけですよね。その近江から進歩的な考え方を色々聞かされて、兄である「わたし」は、どうして自分が今のような状況に置かれているのか、うっすらわかっている。でも、それに対して妹の「せつこ」はと言うと、自分が置かれている状況を俯瞰できているわけではなくて、ただ何かに巻き込まれるようにして悲惨な状況に追い込まれていくという。

青柳 それと同じように、『cocoon』をやっているときも、わけがわからないまま自分のまわりが変化してしまって――なんでしょうね。そこには何か絶対にあるんですけど、それを説明する力は私にはなくて。それで言うと、『cocoon』をやっていたときに、その人たちのことを想像しているわけではないんですよね。「こういうことがあったんだろうな」と想像しているわけではないし、そういうことをしてしまうのは失礼なことだと思っていた気がします。

橋本 以前、川上未映子さんが登壇されるトークイベントを聞きに行ったとき、「今この瞬間にも拷問を受けている人はいるかもしれないし、すごく酷い目に遭っている人もいると思う」「でも、そこで『絶対に今、このシチュエーションは存在していないはずだ』というものを探すことが希望だ」とおっしゃっていて、その言葉が僕の中に刻み込まれているんです。それは、すごくわかるし、それこそが想像力のあるべき姿だと思ったんですよね。
 たとえば、僕がドライブインを巡っているときに、お店の佇まいを目にしただけで感じるものはあるんですよ。たとえば古くなった漫画のポスターが貼られているのを目にすると、「ああ、お子さんが好きだった漫画のポスターをずっと貼っているんだろうな」と想像することはできるわけです。でも、それは想像で終わらせてはいけないことだと思うんです。実際に話を聞くことができるんだから。調べたり尋ねたりすればわかることを、その過程をサボるために「想像する」って言葉を用いるのではなくて、もっとありえたかもしれない何かを考えるために「想像する」って言葉は使われるべきだと思うんです。今の青柳さんの話もそれに近いことだと思っていて、「実際にこういう現実があったから、それを再現するように作品化する」のではなくて、もっと違う作業だと思うんですよね。それは、もっと違う次元のことだと思うんですよね。

青柳 どうなんでしょうね。暴力といえば暴力ですよね。そうやって人の記憶を扱うってことは、暴力だと思うんです。ただ、『cocoon』に関して言うと、何度も沖縄を巡ったことで、そこで触れたものは結果的に反映されているとは思うけど、作品は作品だから、誰かの記憶で作ったものではないんだと思います。

「青柳さん自身は、ドキュメントに書き記されるのは平気なんですか?」(橋本)

橋本 さっき、「自分の痕跡が残るのが嫌だ」という話がありましたよね。僕はドキュメントを書き残す仕事をしていて、青柳さんのことも書き記してますけど、それは平気なんですか?

青柳 もう、しゃあないよな。しゃあないし、それは私の声ではなくて、橋本さんが書いたものだと思います。

橋本 ただ、ドキュメントを書き残すとき、青柳さんには事前にチェックをしてもらってますけど、結構直しますよね?

青柳 めちゃくちゃ直します。

橋本 僕は書き残す側ですけど、書き残される側はどういう感覚なんだろうって、いつも思うんです。ドライブインの場合、取材したお店の方に「書き残されるって、どういう感じがするものですか?」と聞くのは憚られるので聞いたことがないんですけど、青柳さんになら聞けるなと。

青柳 ドライブインの方から「ちょっと、ここの台詞を直して」とかあったんですか?

橋本 ドライブインのときは、「話したことに誤りがあった」という修正はありましたけど、それ以外の修正はなかったですね。でも、今やっている『市場界隈』だと、「ここはカットして欲しい」という話がちょこちょこありました。それは自分の言いまわしを直すとかっていうよりも、「こういう言い方が残ると、誤解する人がいるかもしれない」っていうことでしたけど。

青柳 私が直しているのは語尾とか、ほんとに細かいところですよね。

橋本 そうですね。語尾は大抵直されるので、「いい加減おぼえろや」って自分自身に対して思います。

青柳 ああ、私が好きな語尾を?

橋本 そう。でも、どういう語尾がしっくりくるのか、青柳さんの中でもその時々で変わりますよね?

青柳 変わってます。あと、「、」の置き場所も変えますね。自分がしゃべるとき、「、」の位置って大事なんです。でも、しゃべっているときと同じ位置に「、」があるとズレるんですよね。「、」が大事だと思ってしまう。

橋本 語られた言葉を構成して、それを本人にチェックしてもらうと、内容を修正されることが多い気がするんですよね。「たしかにこのときはこう答えたけど、これは語弊がある」とか、「これは言い過ぎたから削る」とか。でも、青柳さんの場合はそうではなくて、自分がその瞬間にしゃべったことと、それが文字になることのあいだにギャップがあるんだろうなと。

青柳 ありますね。橋本さんに聞かれたからこうしゃべっているだけで、それを人に知られるのは恥ずかしいとか、そういうこともあって語尾を変えたりするんでしょうね。

「本が出ることを、私も本当は楽しみにしてると思います」(青柳)

橋本 話せば話すほど、そんな青柳さんが本を出すってことに至ったことが不思議に思えますね。でも、出ることは決まっているんですよね。

青柳 はい。5月に出ます。

橋本 『ドライブイン探訪』の出版に向けた作業をしているとき、「ドライブインは記録されるべきだ」と思っていたので、どこかちょっと不遜な気持ちでいたんですね。「それは本になるでしょう」と。でも、物として届いて手に取ったときに、すごく嬉しかったんですよね。でも、青柳さんはそんなに喜ばなそうですね。

青柳 でも、私も本当は楽しみにしてると思います。残したいって思うほうの自分は楽しみにしてると思う。

橋本 ああ、なるほど。ようやくわかった気がします。青柳さんは前に、誕生日が嫌いだって話をされてましたよね。その話を聞いたとき、「そんな人っているんだ?」とびっくりしたんですね。僕は、誰かに祝われたいって気持ちはゼロなんですけど、誕生日はとても特別な日だと思っていて。街で傍若無人な振る舞いをしている人がいたとしても、その日が誕生日であれば「許す」と思えるぐらい、特別な日だと思っていて。だから「誕生日が嫌いだ」って聞いたときに驚いたんですけど、それはつまり、好き過ぎて嫌いだってことでしたよね。

青柳 はい。クリスマスも、本当は大好きだから嫌いです。「本当のクリスマスがあるんじゃないか」とか、「本当の誕生日はこうじゃないんじゃないか」とか、そういうふうに思ってしまうから「嫌い」と思ってしまうんですよね。

橋本 じゃあ、『いづみさん』が出ることを楽しみにしている青柳さんもいるんですね。

青柳 そうですね。今の段階の原稿だと、まだ「これは本当の姿じゃないんじゃないか」と思ってしまうから、嫌だと思ってしまう自分がいるんだと思います。

橋本 僕は一度書き終えると、そんなに大幅には書き直さないんですよね。だから、今日この会場にくるまで話していたときに、『いづみさん』の発売が延期になったという話を聞いて、それと同時に「発売が延びたんだから、まだ直せるよな」と編集者に言ったと聞いて、びっくりしたんです。まだ直したいと思うんだ、って。青柳さんの中には理想的な状態があって、まだそこに至れていないから「嫌だ」と思ったり「まだ直したい」と思うんでしょうね。

青柳 演劇は「今」っていう瞬間のもので、普段はそれしかやっていないから、本もぎりぎりまで「今」にしたいんですよね。でも、本になった段階でそれはもう「今」じゃないから、何をやっても遅いんだってことに、さっき話していて気づきました。