橋本 僕は2017年の春に『月刊ドライブイン』というリトルプレスを創刊して、それが1冊にまとまって、今年の1月下旬に筑摩書房から『ドライブイン探訪』として出版されました。今日ゲストにお越しいただいた女優の青柳いづみさんは、PR誌『ちくま』で「いづみさん」という連載をされていて、それは青柳さんが文章を書き、今日マチ子さんが絵を描く連載でしたけど、こちらも1冊にまとまって出版されると聞いて、2冊の本の出版を記念したトークイベントを開催できたらと、今日のトークイベントを企画したんです。
青柳 本当はここで最初に買えるようにできたらと思ってたんですけど、まだ本ができていないんです。すみません。
橋本 青柳さんも僕も、お互い東京に住んでいるので、トークをするのであれば東京でやるのが一番楽な方法ではあるんです。でも、青柳さんと東京でトークをすることに違和感があったんですよね。東京以外のどこかと考えると、真っ先に浮かんだのが沖縄で、青柳さんから「宗像堂」を紹介してもらって、今日はここで開催することになりました。
僕の『ドライブイン探訪』は、名前の通りドライブインを取材した本ですけど、いきなり「取材させてもらえませんか」とお願いしたわけではなくて、2回、3回と再訪を重ねて、少しずつ関係を築いた上で取材したんです。そうやって再訪を繰り返すってことについて考えるきっかけになったのが、沖縄だったんですね。
僕は広島出身で、学校の授業でも原爆の話を何度も聞きましたし、祖母も被爆していて、小さい頃から戦争に関する話に触れる機会は多かったんです。それで、沖縄には小さい頃に家族旅行できたことがあるんですけど、ひめゆりの塔の記憶が強く残り過ぎて、大人になってから「旅行で沖縄に行こう」という気持ちになれずにいて。ただ、今日マチ子さんがひめゆり学徒隊に着想を得て描いた『cocoon』という作品があって、2013年にマームとジプシーがその作品を舞台化することになったんですけど、稽古開始に先駆けて、原作者である今日マチ子さんや、演出する藤田貴大さん、音楽を担当する原田郁子さん、それに出演者の皆と一緒に沖縄を巡ることになって、その旅に僕も同行したんです。それはちょうど6月23日で、沖縄で組織的な戦闘が終了した日で、平和祈念公園で開催されていた慰霊祭にも皆で参列して。そこから戦跡を巡ったり、海を巡ったりという時間を過ごしたときに、「こうして一度足を運んだからには、できる限り訪れよう」と思うようになって、それから6月がくるたびに沖縄を再訪してきたんです。
「あのとき、どうして沖縄にこようと思ったんですか?」(橋本)
橋本 2013年に皆で沖縄を訪れたときは、青柳さんが立てたプランに従って皆で沖縄を巡りましたよね。
青柳 そうですね。でも、「案内してくれ」と言われたわけじゃなくて、勝手に計画を立てて、朝から晩までぎっちぎちで、「ここから目的地まで走って」とか「昼ごはんを食べる時間はなし」とか、結構きつい旅でしたね。
橋本 2日目の最初の目的地は平和祈念公園でしたけど、朝イチの段階でなぜかスケジュールが押してましたね。
青柳 それで「海まで走って!」となって、貧血で倒れちゃう人がいたりして。皆で沖縄に行くときはいつも私が勝手にプランを立てていて、そのたびに皆が大変な目に遭ってます。
橋本 それが2013年の6月でしたけど、2013年の6月と言えば、マームとジプシーは2度目となる海外公演に出ていた時期でしたよね。それは『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という長いタイトルの作品で、そこには青柳さんは出演されてないんですけど、5月にフィレンツェ公演があって、6月にはチリのサンディエゴに出かけることになって、僕もそのツアーに同行していたんですね。そのとき、ニューヨークの空港で長いトランジットがあって、バーでビールを飲みながら時間を潰していたときに、藤田さんが「そういえば今、青柳が沖縄に行っているらしいです」と言って。その時点で、6月23日から皆で沖縄に行く予定があるって話は聞いていたから、「半月後には皆で行くのに、どうして行っているんですか?」と僕が聞き返したんですけど、「いや、女優のことはわかんないです」と藤田さんは言っていて。あのとき、どうして皆でくるまえに、ひとりで沖縄にきてたんですか?
青柳 何ででしょうね。自分の意思でどこかに行こうと思うことが、ほとんどないんですよね。でも、そのときだけはそう思いました。それまで、飛行機のチケットを自分で取ったこともなかった気がします。
橋本 それ以前に沖縄にきたことってあったんですか?
青柳 一回もなかったです。
橋本 そこで青柳さんが1週間くらい沖縄に滞在して、そこで青柳さんが出会った場所を中心にして、6月23日から皆で巡ったんですよね。
青柳 私が見つけた場所だけじゃなくて、『cocoon』を描かれる前に今日さんと編集の金城さんが取材で行かれていた場所があって、その場所を色々教えてもらっていたので、まずはそこに行ってみたんです。その場所を、まずはひとりで行きたいなと思ったんでしょうね。
橋本 そのときのことっておぼえてますか?
青柳 おぼえてないです。ほんとに思い出せない。なんでこんなに忘れるんですかね。でも、おぼえてますか。6年前の今日のこととか。2013年の3月21日。
橋本 もちろん、ふいに「6年前の今日、何をしてましたか?」と聞かれて答えられる人はほとんどいないと思うんですけど、初めて自分から「この場所に行ってみたい」と思い立って、沖縄に足を運んで、今も繰り返し訪れているわけですよね。そうだとすれば、事細かにおぼえていないとしても、何かしら断片的な記憶は残っている気がするんです。でも、青柳さんはびっくりするくらい「おぼえてない」と言いますよね。あれだけ膨大な台詞を自分の中に入れて舞台上で発語する人が、そんなにおぼえてないものかと、いつも不思議に思うんです。
青柳 みんなそうだと思うけど、お芝居も、終わった日に台詞は忘れます。でも、最初に沖縄に行った1週間ぐらいのことは、私が日記を書いて、それを読んで今日さんが絵を描いて、今日さんのホームページにも載せるっていうことをやっていたんですよね。それを読めば、何か思い出すかもしれない。そういう時間があったから、「いづみさん」っていう企画が始まったんだってことを今思い出しました。
橋本 それも今この瞬間まで忘れてたんですね。
青柳 忘れてました。その沖縄の時間があったから、『いづみさん』という本もできることになりました。
「形に残るものは全部消えて欲しいと思ってしまう」(青柳)
橋本 今日は3月21日ですけど、青柳さんは1年前の3月にも沖縄にいましたよね。川上未映子さんの詩を、藤田さんが演出して、青柳さんの一人芝居として上演する『みえるわ』という作品で全国を巡演して、沖縄では2つの会場で上演されましたけど、そのときのことだって、青柳さんはもうあんまり現実味がないんですよね、きっと。
青柳 おぼえてないです。
橋本 青柳さんは、どうしてそんなにおぼえてないんですかね?
青柳 どうして人はおぼえていられるのかっていうことのほうが、不思議。
橋本 青柳さんはよく、「1年前の私は別人です」と言いますよね。でも、観客として青柳さんのことを観ている人たちからすると、今の青柳さんは、1年前や5年前と地続きなわけで、そこで「別人です」と言い切るところが不思議だなと。ただ、一方ではわかる部分もあって、それはドライブインの取材をしていたときにも感じていたことなんです。何十年とドライブインを経営されてきた方達に話を聞くと、「この何十年を振り返ると、どんな時間でしたか」という質問をしたところで、「いやあ、あっという間だったね」という話にしかならないんですよね。それは質問のしかたが悪いというのもありますけど、その日その日に感じていたことがあるはずなんだけど、過ぎ去ってしまうとそうした感覚は消えてしまって、取り出すことができなくなってしまう。それが消え去ってしまう前に書き記しておきたいと思って、僕はマームとジプシーの同行記を書いたり、ドライブインを取材したりしてきたんです。
青柳 誰かの記憶?
橋本 そうですね。誰かの記憶を記録する。僕がマームとジプシーを観始めるきっかけとなったのは2011年4月に上演された『あ、ストレンジャー』という作品で、それは青柳さんも出演されてましたけど、それを観たことで「これは観続けなきゃな」と思ったんです。そうして作品を観ているうちに、僕は書く仕事をしているのだから、この時間のことを書き残さなければと思って、マームのドキュメントをいくつも書いてきたんですよね。今から50年後に、「あの時代にマームとジプシーがあった」と振り返って書かれることはあるでしょうけど、そうではなくて、今という時間のうちに書き残しておきたい、と。そう思い立ってツアーに同行していくつもルポを書いてきましたけど、その一方で、普段青柳さんと話していると、「自分の痕跡が残るのが嫌だ」とおっしゃいますよね?
青柳 あんまりもう、形に残りたくない。本も、出版することになりましたけど、形に残るものは全部消えて欲しいと思ってしまう。
橋本 自分の手書きの文字を見られるのも嫌なんですよね?
青柳 手書きの文字はもう、めちゃくちゃ嫌です。
橋本 それは別に、「字が下手だから見られたくない」とかではないですもんね。
青柳 そうですね。おじいちゃんが習字の先生だったから、字は上手だよ。でも手書きの文字って、なんか嫌じゃないですか? 人の手書きの文字も、その人の見てはいけない部分を見ている気がしてしまって、恥ずかしくなる。
橋本 だから「普段手書きで書かざるをえないときは、文字の演技をしてる」って、前に言ってましたよね。そこまで嫌だと感じるのは何なんでしょうね?
青柳 手書きじゃなくても、自分の何かが乗っかっている文字が形に残るのが嫌で。『いづみさん』の打ち合わせをしているときも、「日が当たっているときにしか読めないような印刷方法ってないんですか?」とか、「風が吹くと、文字が一画ずつぺりぺりぺりって剝がれて飛んでいって、白紙になる紙とかないですか?」とか、デザイナーさんに話したんですけど、「そんな紙はまだ開発されてない」と言われました。印刷されたものって、すごく残るじゃないですか。こんなに残るものは私でなくていいじゃないかって気持ちになってしまう。それはきっと、私が普段、形にならないことをやっているからだと思うんですけど。
橋本 そうですね。演劇というのは基本的に上演時間中にだけ存在しているもので、上演期間が終われば舞台美術も解体されて、もう二度と観ることができなくなる。記録映像を残すことはできるけど、それは映像でしかなくて、舞台とはやっぱり別物ですよね。でも、そう考えると、そんな青柳さんが本を出すというのはとても不思議なことですね。
青柳 演劇という表現をやっているときに、「本っていいな」といつも思ってたんですよね。本って遠くまで届くなー、と。でも、やっぱり演劇という形が好きなんでしょうね。目の前にいる人を見たいと思ってしまう。
「放っておけば消えてしまうものを書き留めたい」(橋本)
橋本 「演劇は残らないものだ」というのは、物理的な話としてはそうだけど、観客の記憶の中には残り続けるものですよね。いつか青柳さんは「この舞台を観ることのなかった人にまで届くものでありたい」と言っていましたけど、観なかった人にまで届くということは、それだけ強く誰かの中に残ったということでもありますよね。演劇というのも、そうやって遠くまで運ばれうるもので、青柳さんは紙とは違う形で残す作業をやっているとも言えますよね。
青柳 なんでそんなことやってるんでしょうね。橋本さんはなんでこの本を書いたんですか?
橋本 あの、残したいからじゃないですか。残したいというのは、別に、「自分が好きなものを残したい」とかってことではないんです。『月刊ドライブイン』を創刊してから、ときどきバラエティ番組から「ドライブインマニアとして出演してもらえませんか?」と依頼されることがあって。
青柳 出てましたよね?
橋本 出たこともありますけど、それは「僕はマニアではないんです」とお断りをして、あくまでドライブインを何十年と切り盛りされてきた方たちに話を伺ってきただけなんですと伝えて、それでも「出演してください」と言ってもらえるのであれば出演してきたんですね。なんでそんなややこしい断りを入れるのかと言うと、僕はドライブインが好きでたまならないって人間ではなくて、10年前まではドライブインに行ったことすらなかったんです。小さい頃に家族でドライブに出かけるときに立ち寄るとすれば、ファミリーレストランかマクドナルドだったので、ドライブインというものに入ったことがなくて。それが大人になって、原付で日本全国をまわるようになったときに、ふとドライブインの存在に気づいたんです。原付はひたすら一般道を走るので、注意しながら走っていると、廃墟になってしまったものも含めて膨大な数のドライブインがあったんですよね。これだけ数があるってことは、かつてドライブインの時代があったはずだと思ったんですけど、まだドライブインが現役であるうちに話を聞いてまわらないと、「ああ、昔そういうのがあったよね」で片づけられてしまう気がして。それはあまりにも残念だということで、ドライブインの取材を始めたんです。……納得してもらえました?
青柳 はい(笑)
橋本 だから、ドライブインの取材をしていることと、青柳さんに取材をしていることは僕の中で地続きなんですよね。マームのドキュメントを読んで僕のことを知ってくれた人には「橋本さんがなぜか突然昭和レトロな世界の取材を始めている」と思われているかもしれないし、『月刊ドライブイン』で知ってくれた人には「この人、なんで演劇の取材もしているんだろう?」と思われているかもしれませんけど、僕の中では同じ作業なんです。放っておけば記録されないまま消えてしまうものを、なんとか言葉に書きとどめておくっていう。