私たちの生存戦略

第二回 家族ごっこ

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

高倉冠葉の「良い長男」ごっこ
たとえば冠葉は、妹である陽毬を性愛の対象として愛している。
彼は眠る陽毬に同意なくキスすることもある(第一話)。その行為は、もちろん許されない。
だが、同時に彼はこの上なく「良い兄」でもあるのだ。
いささか過剰なほど献身的で、「陽毬のためなら何でもする」と言ってはばからず、実際に物語を通じて彼は幾度もその身を呈して陽毬を守る。犯罪にさえ手を染める。
なぜなら彼は陽毬を愛しているから。そして陽毬は何より大切な彼の妹なのだから。

とはいえ、愛が全ての理由とも思えない。
冠葉の献身的で英雄めいた振る舞いは、彼の高倉父に対する憧憬を表現するものである。
物語には、自分を庇って怪我をした父、熱を出した陽毬を背負って走る父を幼い冠葉が憧れをその目に宿して見つめている場面も描かれている(第五話)。
犯罪者として謗られ、高倉家の子どもたちを永久に「加害者の子ども」にしてしまった高倉父を、それでも冠葉は未だ尊敬している。
妹のため、という大義名分を背負って引き返せない方向へと突き進んでいく彼の姿は、あたかも彼が憧れる高倉父そのもの――高倉父は悪意からではなく善意から、人々を「正しい道」に導こうとして犯罪に手を染めたのだった――でさえあるのだ。

実際、冠葉は無意識的に高倉父を模倣し、彼の息子たる自分自身を確立しようと試みているようにも思える。
というのも、高倉父に対する冠葉の憧憬はおそらく、抑圧的な祖父に耐えかねて家を出て、高倉両親と同じ団体へと入団した実の父の思い出が関係しているからだ。
冠葉は、家を出た実の父のもとに留まった唯一の子どもであった。妹と弟も手元に置きたがる実の父に、冠葉自身が、自分が留まるから妹と弟は家に帰して欲しいと頼んだのだ。
けれどもそんな冠葉に対して、実の父が最終的にかけた言葉は「お前を選ぶんじゃなかった」「私は家族に失敗した」という、残酷なものであった。もちろん幼い彼はひどく傷つく。
だから彼は、「父に選ばれる良い息子」になることに執着しているのである。
陽毬を救うために犯罪へと手を染める冠葉は、葛藤の中で「お前を息子に迎えた日のことを誇りに思ってるよ」と実父に言われる幻覚を見ることさえある(第二十一話)。
要するに冠葉は、「良い長男」を自覚さえせず必死に演じている人物なのだ。