私たちの生存戦略

第二回 家族ごっこ

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

家族とは時に、まるで呪いのようである。
逃れようとしてもなお絡め取られる。すでに身近にはいなくてもどこか支配されている。だから時折、ひどく恐ろしくなる。本当の意味で家から出られることなど、ないのかもしれないと。あらかじめ定められた運命のように、家族からは逃れられないのかもしれないと。


家族/運命をめぐる物語:『輪るピングドラム』
2011年に放映された、幾原邦彦監督による全24話のテレビアニメシリーズ『輪るピングドラム』(略称ピンドラ)――それは「家族」をめぐる物語であった。
家族の逃れがたさを描いた物語であった。あるいは、逃れがたいものから、どうにか逃げ出そうとする様を描いた物語であった。
物語は高倉家の三人の子どもたちを中心に展開するものである。
十六歳の長男・冠葉と、同い年の次男・晶馬、そして末の妹で十四歳の少女・陽毬である。三人の両親は十六年前に起きたとある事件――この事件は明らかに、1995年に現実に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件をモデルにしている――で指導的役割を果たした加害者である。両親の行方は知れない。だからこの三人は、子どもたちだけで暮らしている。
高倉家三人の子どもたちだけでの生活は、一種の「家族ごっこ」である。
そもそもこの三人に、血の繋がりはない。
高倉家の実子は晶馬だけである。冠葉は亡くなった高倉家の両親の友人の子であり、陽毬は実母にネグレクトされているところを晶馬に救われ、高倉家に引き取られた子である。
もちろん、血の繋がりはなくても「家族」になることはできる。ただこの三人、とりわけ当初のありようは、必死に演じられ、ギリギリのところで保たれた「家族ごっこ」だったのだ。