加納 Aマッソ

第56回 大きなテーブル

 会議室にとても大きなテーブルがある。そのテーブルを囲んで、数人の大人がタバコを吸いながら会議をしている。テーブルの中央には灰皿がひとつ置かれているが、灰を落とすにはとにかく腕を伸ばさないと届かない。会議は何事もなく続いている。
 コント「大きなテーブル」について聞いたのは、これだけだった。私は頭の中で、勝手にこのテーブルを円卓にしてみる。窓のブラインドを開けてみる。灰皿のまわりに散らばる灰の量を増やしてみる。テーブルのサイズを調節する。どうするのが面白いのか、自分の能力を測るように、その会議室をおそるおそる動かしていく。

「あれは笑ったなあ」
 渋谷のデニーズで、昔自分が書いたコントの設定を話しながら、宮沢さんは楽しそうに笑った。日常にある動き、身体性の笑いについて教えてくれるのに、宮沢さんは「こうするのが面白いよ」とは言わずに、「あれは笑った」と言う。そんなところが好きだった。
「あの当時は、間違いなく僕が日本で一番コントを書いていたよ」
 私はあまりにも出会うのが遅かったが、それでも惜しみなく与えてくれようとした。
「笑いにはいろんな種類があるからね」
 コントの歴史も演出の可能性も、何も知らない私に「君はお芝居を書くといいよ」と言ってくれた。倉本美津留さんのイベントで、客席で私たちの漫才を見てくれていたのが初めだ。打ち上げの席でも、感想を言われた記憶もなかった。ただ、気がつけば二人でデニーズにいた。
「わからないことがあったら何でも聞いてくれ」
 私はオムライスを食べながら頭を巡らせたが、何も質問できなかった。聞きたいのに聞けない。笑いについて何がわからないかなんて考えたこともない。そんな気持ちを察したかのように、宮沢さんは、自分の過去の失敗談を話してくれた。表では言えないような話だ。親子ほど離れた無知な小娘に、気取らず、なんとも情けない話を友達に打ち明けるみたいに話してくれた。その言い方がなんとも情けなくて、でもどこか開き直ったようにずるくて、私は声を出して笑ってしまった。
「ラジカルの映像が見たいです」
 そう言った私を、早稲田大学の研究室に呼んでくれた。宮沢さんがネタを書いていた演劇ユニット『ラジカル・ガジベリビンバ・システム』の公演映像を観て、二人で笑った。
「DVDにはしなかったんですか?」
「当時はありものの曲ばっかり使っていたからね。でもやっぱり音楽は大事だよ。音楽もたくさん知っておくといい」
 その後、モンティ・パイソンの映像も続けて観た。面白かった。他の大人が相手なら気の利いた感想を言おうとしただろうが、宮沢さんにはしたくなかった。そして宮沢さんは「とにかく書くことだ」と言った。
「書くことは、頭を使うことだと思いがちだが、手を動かすことだ」
 だから、私は書こうと思った。書くことで、今までの自分の輪郭を変えていきたいと思った。
 去年、私が書いた小説を読んでくれた宮沢さんから連絡をもらった。小説の中のある一文を読んで、「救われた」と言ってくれた。そして「あの時デニーズで笑ってくれたときも、本当に救われた。あの話で笑ってくれた人はいなかった」と続いていた。笑いも、笑うことも、全部宮沢さんは肯定してくれた。
 思い出は多くない。入院されている期間に数回のやり取りをしたが、すべて「元気になったら〜しよう」というものだった。もっと話を聞きたかった。でも、宮沢さんは戯曲に、エッセイに、関わった人に、多くの言葉を残してくれている。最後のLINEは7月だった。
「もっと書いてくれ。僕も入院中に書こうと思うのです。」

 宮沢さん、その灰皿はね、テーブルに半身を乗っけないと届かないくらいのところにあるんです。ですよね。で、腕を伸ばしているうちに「体を伸ばすのは気持ちいいな、健康にいいな」なんてことに気づくんです。で、それを見ていた横の奴も「俺もやってみるか」って、タバコを吸っていなかったのに、健康のためにタバコを吸い始めるんです。で、そこから、どうしようかな、人数増やそうかな、お芝居だったら人数増やせますね、バカは何人まで出していいですか? 全然書き方わかりません。でも、約束したから、書きますね。

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