加納 Aマッソ

第71回「アイスティーストレート、ガムシロ・ミルクなしですよね!」

 性懲りもなく、また今日もここのラーメンを食べてしまった。なんて愚かな人間なのだろう。いやちがう、人という生き物は、なんて愚かで不完全であるのだろう。
 沈んだ気持ちで喫茶店に戻ると、今度は30分前まで座っていたお気に入り席がビジネスマン2人で埋まっていた。お腹が満たされ、にぶくなった思考回路では苛立つことも間に合わず、私は居心地の悪い入り口近くの席で、ただぼんやりと、愛について考える。

 行きつけの喫茶店はいくつかあるが、長時間滞在するとなるとここと決めていて、それは駅に直結した商業ビルの地下2階にある。通いはじめて3年、最近では店長が「アイスティーストレート、ガムシロ・ミルクなしですよね!」と、得意気に私のメニューを覚えているアピールをしてくれるようになったが、実のところ3回に1回はカフェオレが飲みたい。だけど、物事は天秤なのだ。あの店長に恥をかかせてまでカフェオレが良いのかと言われると、まったくそうではない。そうして私は、もう何度頼んだかわからないアイスティーが運ばれてくることを静かに受け入れる。天秤にかけることも、ひょっとしたら愛かもしれない。
 自分の「かもしれない」で、またさっきの煮干しラーメンの後悔が戻ってくる。ああ。私はあれを食べた。また負けた。
 空腹によって作業の集中力が切れると、昼食を取るために喫茶店を出る。すると目の前に、例のラーメン屋の行列ができている。
 やめや。頭の中で自分の声が響く。やめた方がいい。頭でも心でもわかっている。
 ここのラーメンはまずい。
 隣には値が張るランチを出している薄暗いイタリアンがあるのみで、ここは最初から選択肢にない。私は、ラーメン屋と一騎打ちをする他ない。
 地上に出ればたくさんの飲食店がある。地下1階、1階。計2階分を上がって、好きな昼食を選ぶためにしばらくウロウロすればいい。
 しかし、すでに遅かった。私の目はラーメン屋のわざとくすませた色合いの暖簾に貼りついていて、「まあ、お腹ふくれたら何でもええしな」と、思い始めてしまった。「昼ごはん食べるだけでそんな頭使わなあかんか」「この考えてる時間」「いらんいらん」「迷う時間あったらおいしい店行く」「いや店探すのに労力かけんのも」 「いらんいらんいらん」「ほんで、」
 何より、行列ができているから。行列ができてるってことは、ほんまはおいしいってことやんな? 私はわざと自分の記憶を揺るがせる。体調とかの関係で前回はあんまりやっただけで、ちゃんと食べたらおいしいかもな。だって、まずかったらこんなに並ばんもんな。あれ、何やったら、前回もそんなにまずくなかったかも。どっかの店と間違えてるかも。

 30分後、私は愛について考えている。すべては愛ゆえなのだ。今日もラーメンはまずかった。すべては、この喫茶店を愛するがためなのだ。まずさとは愛なのだ。

 休日になると不快なほど混雑する。充電席の割合が全体の席数に比べて少ない。まわりに飲食店がない。横にラーメン屋しかない。好きな時にカフェオレを頼めない。家からそんなに近くない。閉店15分前に帰らせようとしてくる。横のラーメン屋がまずい。おいしいヅラしてまずい。
 それでも。あ、この喫茶店なんかアリかも、と思ったあの日から。当たりの席を「ここは私の席〜」と嬉しくなったあの日から。私は愛することをやめない。どんなに嫌なところが見えても。今日は閉店30分前に、バイトの女の子にお会計をするよう頼まれた。早すぎるやろ。なんやお前この後予定あんのか。心ここにあらずの顔しやがって。すべては愛やからね? 愛について考える日でもあるからね? あ、間接照明の電気消しやがった! 今日いっぱいは点けとけよ! でもそんなあなたも愛していますよ。メリークリスマス!

関連書籍

加納 愛子

イルカも泳ぐわい。

筑摩書房

¥1,540

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入

加納 愛子

行儀は悪いが天気は良い

新潮社

¥1,540

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入

加納 愛子

これはちゃうか

河出書房新社

¥1,540

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入