モチーフで読む浮世絵

スイカ
お好みの食べ方は?

暑くなるほど美味しくなるスイカ。 このスイカ、江戸の人たちにとってもおなじみの食べ物でした。 今週は浮世絵に描かれたスイカをどうぞ。
図1 歌川広景「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」安政6年(1859) 国立国会図書館蔵 
出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/pid/1308278/1/1)

  夏の季節に食べたいフルーツといえば、サクランボに桃やメロン、そして何と言っても、スイカであろう。スイカがいつ日本に伝わったかについては諸説あるが、元禄10年(1697)に刊行された農業技術書である『農業全書』に、「西瓜は昔は日本になし。寛永の末初て其種子来り。其後やうやく諸州にひろまる」と記述されているように、日本全国に広まったのは江戸時代初期、寛永年間(1624~44)以降のようだ。 

 歌川広景の「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」(図1)では、幕末におけるスイカの売られ方を知ることができる。夏の暑い日、新大橋の上から隅田川へと飛び込む(ふんどし)一丁の男たち。そのユーモラスなポーズが気になって仕方がないが、あえてここでは目をつぶり、彼らが飛び込んだ先に浮かんでいる小舟に注目してほしい。

 舟に山ほど積まれているのはスイカとマクワウリ。「水くわし」、すなわち水菓子(果物のこと)と書かれた赤い行灯(あんどん)型の看板があることから、この舟はスイカを水で販売していたことが分かる。隅田川で納涼をしている屋形船や屋根船に近づき、スイカやトウモロコシなどの軽食を売り回るもので、「うろうろ舟」とも呼ばれていた。(たらい)にはすぐに客に渡せるよう、くし形に切ったスイカを並べて準備万端。そんなところに裸の男が飛び込んできて、大事な商品をめちゃくちゃに潰したものだから、水菓子売りにすればたまったものではないだろう。

 ちなみに、スイカと言えば、緑色に黒い縞模様が思い浮かぶが、図1に描かれるように、江戸時代のスイカは黒皮で、はっきりとした縞模様は無かった。現在のような縞模様のスイカが一般的になったのは、明治時代以降の品種改良によってである。

   では、江戸時代の人々はスイカをどのように食べていたのだろうか。いくつかの浮世絵を見る限り、くし形や扇形に切り、手に取ってそのまま食べるのが一般的ではあったようだが、ちょっと上品な食べ方もある。

図2 歌川国貞(三代豊国)「十二月ノ内 水無月 土用干」安政元年(1854) 国立国会図書館蔵  出典:国立国会図書館ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/pid/1302521)

 歌川国貞の「十二月ノ内 水無月 土用干」(図2)では、夏の土用、現代の7月下旬から8月上旬頃に、着物の虫干しをしている。画面中央、暑さのあまり、胸元と帯を緩めて団扇で仰ぐ女性の膝元に、染付の磁器の大皿が置かれ、ブロック状にカットされたスイカが山のように盛り付けられている。楊枝も刺してあり、指を汚すことなく食べられそうだ。立派な庭のある裕福な家庭だからこそ、ひと手間かけた上品な食べ方をするのだろう。

 現代のスーパーマーケットでは、スイカは四角くカットして販売されることが増えてきた。手軽に食べやすくするための最新の工夫かと思っていたが、そのアイデアはすでに江戸時代から実践されていたようだ。