モチーフで読む浮世絵

寿司
人気の寿司はどんな寿司?

私たちが知る寿司と言えば、酢飯の上にマグロやサーモンを載せた握り寿司。 江戸の人たちも、同じように握り寿司に舌鼓を打ったのでしょうか? 幼い子どもも、粋人も、みんなが好きな寿司の浮世絵をどうぞ。
図1 歌川国芳「縞揃女弁慶 松が鮨」 天保15年(1844) 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 日本の食文化として世界でも人気が高い寿司。寿司といえば、握った酢飯の上に、魚介類の切り身をのせた「握り寿司」をまずイメージすることだろう。だが、その登場は案外遅く、今から約200年前の文政年間(1818~30)とされている。それまでは「なれ寿司」や「生なれ寿司」といった米と魚を乳酸発酵させる寿司、あるいは、酢飯と魚を木枠に詰め、一晩押して寝かせた「押し寿司」が一般的であった。

 歌川国芳「縞揃女弁慶 松が鮨」(図1)では、前髪に赤い飾り裂をつけた10代の女の子が、寿司をのせた小皿を手にしている。一番上に乗っているのは海老の握り寿司(押し寿司との指摘もある)。その下は玉子の巻寿司で、さらに箸の下には鯖らしき押し寿司がわずかに見える。マグロやサーモンを好む現代の私たちの寿司の盛り合わせとは、かなり異なるラインナップだ。

 そもそもここに描かれている寿司は、当時では一番の高級寿司屋のものである。「松が鮨」という、店主である堺屋松五郎の名前に由来する店で、深川御船蔵前町(現在の東京都江東区新大橋2丁目)に店を開いた。女の子が持つ折箱には「あたけ 松の寿し さかゐ屋」と書かれた札が貼られている。この浮世絵が刊行された天保15年(1844)にはすでに握り寿司が誕生しており、もう10年もすると、握り寿司を扱う寿司屋が町の至るところにできるのだが、高級寿司店であった松が鮨では、手間のかかる押し寿司の方が主流だったようだ。

 この一皿だけでもかなりの値段だったことだろう。それを知ってか知らでか、幼い子どもは大好きなお寿司を早く食べたいと、ねだるように女の子の袖にすがりついている。

図2 柳々居辰斎「寿司と酒」 文化年間(1804~18)頃 メトロポリタン美術館蔵

 さて、浮世絵に寿司が登場する際、寿司そのものが大きくはっきりと描かれているケースはほとんどない。そんな中、珍しい作例として、柳々居辰斎の「寿司と酒」(図2)がある。一見、浮世絵らしからぬ絵だが、これは摺物と呼ばれる、趣味人たちの特別注文によって制作された非売品の版画。通常の浮世絵にはあまり描かれることのない、縁起の良い動物や植物、食べ物や身の回りの道具を、淡い色彩で摺っている作例が多い。

 この作品では、七ツ梅という摂州伊丹(現在の兵庫県伊丹市)の辛口の銘酒が入った器と、寿司を盛り合わせた平皿を並べて、新年を寿いでいる。握り寿司が登場する以前の刊行のため、寿司の種類は海苔巻寿司と笹巻寿司、海老の押し寿司の3種類。

 当時の海苔巻寿司は干瓢を巻き込むことが多かったというが、この絵ではよく分からない。また、笹巻寿司は一口大の寿司を笹の葉で巻いた押し寿司だが、魚が使われているかどうかはっきりしない。もっと正確に記録して欲しかったところだが、この寿司をつまみながら談笑する江戸っ子たちの姿を思い浮かべると、こちらも寿司が食べたくなってくる。

 

参考文献                                    浜田義一郎『江戸たべもの歳時記』中央公論新社、1977年。            飯野亮一『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ 江戸四大名物食の誕生』筑摩書房、2016年。