モチーフで読む浮世絵

いくつの色が見えますか?

今回のテーマは、雨上がりの空にかかり、あっという間に消えてしまう虹。 そのうつろいやすい色を、絵師たちは、何色に描いたのでしょうか。
図1 歌川国芳「東都名所 するがだひ」 天保3~4年(1832~33)頃 シカゴ美術館蔵

 雨上がりの空にかかる虹を偶然目にした時、ちょっと嬉しい気分になる。江戸時代の人たちも、同じ気持ちを抱いたのだろうと思いたくなる浮世絵が、歌川国芳の「東都名所 するがだひ」(図1)である。坂道を歩く武士と従者が、大きな弧を描く立派な虹に向かって手をかざしているが、似たような仕草をしたことがある人は多いのではなかろうか。

 この絵の舞台は駿河台。現在の東京都千代田区神田駿河台、JRの御茶ノ水駅付近である。雨はつい先ほどまで降っていたのであろう。遠くの空はどんよりとした雨雲で覆われているが、ところどころに晴れ間が広がりつつある。

 武士は高下駄を履き、刀の柄に柄袋をかけているところを見ると、雨に濡れないように身支度をしっかり整えて外出したのだろう。坂道を軽やかに下りてくる少年は、雨が止んだかどうか、空模様を確かめるために傘を横に傾けている。

 雨上がりの何気ない瞬間を切り取った、歌川国芳の観察眼が光る作品である。

図2 歌川広重「名所江戸百景 高輪うしまち」安政4年(1857) 東京国立博物館蔵 
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

  虹を描いた浮世絵と言えば、歌川広重の「名所江戸百景 高輪うしまち」(図2)も印象深い。場所は東海道から江戸の町への玄関口となる大木戸のすぐそばの高輪牛町。現在の東京都港区高輪2丁目付近である。往来の激しい場所であったため、食べ終わったスイカの皮や、旅人が打ち捨てた草鞋が地面に転がっている。

 画面右側は、荷物を運ぶための牛車の車輪。ここまで拡大されているということは、道端にしゃがみこみ、地面すれすれから江戸湾の上の虹を仰ぎ見ていることになる。もしかしたら歌川広重は、この絵の子犬たちと同じ目線に立っていたのかもしれない。

 さて、ここで注目したいのが虹の色である。虹の色を聞かれたら、赤・橙・黃・緑・青・藍・紫の7色だと答える人は多いだろう。だが、虹の色の数え方は国によって違いがあり、例えばアメリカやイギリスでは6色、フランスや中国では5色であるそうだ。

 では、江戸時代の人たちにとって虹の色はどのように見えていたのだろうか。3色、5色、7色など、立場によっていろいろな説が唱えられていたが(註)、例えば絵師であり蘭学者であった司馬江漢の『和蘭天説』(寛政8年[1796]刊)には、黄・紅・緑・紫・青の5色と記されている。

 先ほど紹介した浮世絵を改めて見てみよう。図1の国芳の虹は、中央が薄い緑、その両側はやや赤みが残るところはあるものの、退色しており、紙の地色に近くなっている。一方、図2の広重の虹は、上から、薄い水色、黄、やや濃い水色の3色である。いずれもはっきりと色分けされているものではない。

 他にも浮世絵に描かれた虹を確認してみると、だいたいが3~4色で、色の順番も本物の虹とは異なっていることが多い。浮世絵を見る限り、虹が7色だとは考えられていなかったようだ。同じ虹を眺めていても、時代が違えば、見えている色も変わってくるのである。

 

註 吉野政治「なぜ虹は七色か」『同志社女子大学 総合文化研究所紀要』28巻、平成23年(2011)。