移動する人びと、刻まれた記憶

第1話 私もナグネだから②
中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル(後半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載。第1話、映画監督チャン・リュルの話の後半をお届けします。

映画『群山:鵞鳥を咏う』と尹東柱
 映画『群山:鵞鳥を咏う』は詩人を名乗る男性(パク・ヘイル)と彼の先輩の元妻である女性(ムン・ソリ)が、全羅北道の群山を旅する物語だ。男性は女性に恋心を抱いているのか、常にイライラしている。群山には植民地時代の日本家屋が多く残っている、二人は日本式家屋を改造したゲストハウスに泊まるのだが、そこのオーナーは日本から移り住んだ在日韓国人である。
 「まるで日本にいるみたい」とはしゃぐ女性に、男性はいきなり植民地時代に福岡刑務所で獄死した尹東柱の話を持ち出す。
 「それでも日本が好きなのか?」
 男性はずっとイライラしている。
 尹東柱は韓国の国民詩人と言われる人物だ。1917年に満州(現在の吉林省延辺朝鮮族自治州)で生まれ、日本の植民地下のソウルで延禧専門学校(現・延世大学)を卒業した後、1942年3月に日本の立教大学に留学する。その後に同志社大学に転入するのだが、在学中の1943年7月に治安維持法違反容疑で逮捕されて収監、1945年2月に27歳の若さで獄死する。
 チャン・リュル監督の話す韓国語は常に穏やかだが、尹東柱について話すときは少し熱を帯びる。
 「尊敬する故郷の叙情詩人です。彼は美しい延辺の風景を描きました」
 そうだった。韓国の人々が最も愛する国民詩人は、チャン監督と同じく延辺の出身だった。

延辺出身の尹さん、そして『福岡』へ
 映画『群山:鵞鳥を咏う』には、朝鮮族のメイドが出てくるのだが、彼女の名字も尹である。延辺出身の尹さん。
 「ひょっとして、尹東柱の親戚ですか?」
 「はい、そうなります」
 韓国の親戚の範囲は日本より広い。しかし、ここで皆が戸惑うのだ。日本帝国主義の犠牲になった尊敬する国民詩人と、眼の前の朝鮮族の出稼ぎ労働者を同じカテゴリーにいれられるのか?
 映画にはさらに痛烈に、そのアンビバレントな意識をあぶり出す。
 「尹東柱はもしも日本に行かずに、ずっと延辺で暮らしていたら、どうなったかしらね?」
 そうすれば獄中で死ぬこともなかったのではないかと、女性は言いたかったようにも思える。ところがイライラしている男性はぶっきらぼうに答えるのだ。
 「どうなったって、朝鮮族になったんだろ」
 見ている者が、思わず失笑するシーン。それをチャン監督に話をしたら、彼も軽やかに笑った。
 「彼は美しい韓国語で詩を書きました。それが彼にとって唯一の罪だったのです」
 尹東柱は政治的主張や独立運動をしたわけでもなかったと、チャン監督は言う。
 「美しい故郷の言葉すらも許されない時代があったということです」
 韓国語(朝鮮語)で詩を書いていたこと、共に留学していた従兄が抗日独立運動に関わっていたことなどで、彼は日本で官憲に捕えられ、死を迎えることになる。そして尹東柱が獄死した「福岡」の地名は、チャン監督の次の映画に引き継がれる。

 インタビューの翌日、彼はスポットライトの中で、福岡市長から賞状とメダルを授与されていた。皇族方も出席する立派な舞台だった。彼はスピーチで東アジアの都市を回りながら映画を撮る意味について語っていた。
 「映画では自分と東アジアの友人たちが喜怒哀楽をともにできる。共感し合えることが、今は大切だと思っています」
 またトークセッションでは、彼の映画の登場人物たちが通訳を介さず自分の言葉で対話するシーンについての言及があった。
 「力を持っている言語も、力を持たない言語も、それぞれの美しい言語が通じ合う世界。それが私の心の中のユートピアです」 
 最新作の舞台は「北京」だという。中国から始まったチャン監督の旅は、朝鮮半島と九州を経て再び中国大陸に戻っていく。

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