移動する人びと、刻まれた記憶

第1話 私もナグネだから②
中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル(後半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載。第1話、映画監督チャン・リュルの話の後半をお届けします。

第1話 前半はこちら
https://www.webchikuma.jp/articles/-/3258

映画『豆満江』と「脱北者」

 チャン・リュル監督の代表作といえば、やはり『豆満江』である。2010年の秋に釜山国際映画祭とアジアフォーカス・福岡国際映画祭で紹介されて大きな話題となった。
 「ものすごい映画でした。生涯、忘れられない作品です」
 わざわざ東京から駆けつけたという人は、それ以降もチャン・リュル作品は欠かさずに見ていると言っていた。
 豆満江は中国と北朝鮮の国境を流れる川の名前である。映画は命がけで川を渡る北朝鮮の人々と、対岸にある同胞(中国朝鮮族)社会を描いた物語だった。それを映画にすることは、そこで生まれた朝鮮族である自分にとっては自然なことだと、韓国での公開当時にチャン監督は語っていた。
 「それが故郷の風景でしたから」
 冬になると凍りつく川を渡って来る北朝鮮の少年と、対岸の寒村で暮らす朝鮮族の少年たちとの幼い友情。村を彷徨(さまよ)う高齢の女性は、あの川を渡って家に帰るのだと言う。

 「おばあさん、どこに行くの?」
 「川を渡るのさ」
 「川を渡ってどうするの?」
 「私はおまえたちぐらいの時に川を渡ってきたんだけど、もう帰ろうと思ってね」
 「おばあさん、あっちの人たちは飢えてみんな死んでるって。そんなところに行ってどうするの?」
 「何を言ってんだ。向こうには食べるものがたくさんある。私のほうがよく知っているさ」

 かつて移動を強いられた人々が、今度は留まることを強いられる。やがて村では残酷な事件が起きて、村人たちの気持ちも揺れていく。
 「こうなったのは脱北者のせいだ」
 村の平和を乱す「侵入者」を人々は非難するのだが、映画は村を侵食するもう一つの変化も映し出している。貧しい寒村の風景に不似合いな服や寝具の鮮やかな色は、彼らにとって新たに登場した祖国である韓国がもたらしたものである。朝鮮族である主人公の少年の母親も韓国に出稼ぎに行ったまま戻らず、残された家族にふりかかった事件を知らずにいる。

北朝鮮難民を助けた朝鮮族の人々
 「脱北者」とは北朝鮮を脱出した人々を指す韓国語だ。かつて北朝鮮から韓国に亡命した人が「帰順者」として、イデオロギー的に英雄扱いされたこともあったが、1990年代半ば以降の大量脱北は北朝鮮経済の悪化が原因だった。なかでも多くの餓死者(推計で人口の10%にも及ぶといわれる)を出したという「苦難の行軍」(1996年)の時代、人々は生きのびるために凍土の川を越えた。
 そんな人々を最初に助けたのは川沿いの村で暮らす朝鮮族の人々だった。お腹を空かせた人を放っておけないのは、彼ら民族の文化である。韓国に暮らしただけでも、その分かち合いの温かさに心を打たれることが何度もあった。ところがその民族の伝統的な優しさすらも踏みにじられていく。

 「人間はお腹がすきすぎると、自分の両親を売ってしまうというけど、それはたぶんあっちの人間のことだ」

 映画『豆満江』の少ないセリフは、その頃の北朝鮮の窮乏と朝鮮族の人々の悲しみを寡黙に語っている。
 それまでも川の両岸での行き来はあった。双方に親戚がいる人も多いし、季節ごとに北朝鮮から中国にやってくる農業労働者もいた。また中国側で飢餓が発生した「大躍進」(1958~62)の頃には、逆に川を渡って北朝鮮側に食料を求める人々もいたという。映画の中の高齢女性が「向こうには食べるものがたくさんある」というのは、その頃の記憶かもしれない。

残酷な国境線
 国境の街の風景の変化は、周辺国の情勢に大きく関係する。中国の度重なる政変に加え、1990年代初頭のソ連邦崩壊は、北朝鮮という国家の根幹を揺るがした。強力な後ろ盾を失った北朝鮮経済は急激に悪化していく。
 脱北者の数はふくらみ続け、朝鮮族の村人たちは抱えきれなくなる。中国当局の監視は厳しくなり、その目をかいくぐって脱北ブローカーが暗躍する。日本や韓国のジャーナリストやNGOが国境で救援活動を始め、広大な中国大陸を迂回しながら、モンゴルやタイなどを経由して最終的に韓国にたどり着く脱北者も増えていった。
 彼らは最初から韓国を目指したわけではなかった。命がけで川を渡るのは、対岸にある食べ物にありつくためだった。
 「これほど残酷に、飢える地とそうでない地を分け隔てる国境線が、ほかに存在するのだろうか?」
 日本で最も早い時期から、中朝国境地帯で北朝鮮難民の取材をしてきたジャーナリストの石丸次郎は、著書『北のサラムたち』(2002年)でその衝撃を書いている。また同書によれば、初期の脱北者たちは「南(韓国)では乞食の子どもたちが空き缶を拾って徘徊し……」的な北朝鮮政府の洗脳からも自由ではなかったという。
 ところが1990年代に入ると、彼ら脱北者が最初にたどりつく対岸の朝鮮族の村にも「韓国」がもたらす豊かさは侵食しており、すでに脱北者の何倍もの朝鮮族の人々が韓国に向かって移動していた。現在、韓国で暮らす脱北者は約3万人、朝鮮族の人口は定住者に一時滞在者を合わせて70万人余りとも言われている。

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