ちくま新書

映画業界とテレビ業界の対立を描いた伝説的なドラマ作品『マンモスタワー』をご存知ですか?
『東京タワーとテレビ草創期の物語』序章より

「史上最大の電波塔」が誕生し、映画産業を追い越そうとした時代――東京タワーが登場する現存最古のテレビドラマ『マンモスタワー』をめぐる若きテレビ産業の奮闘を描き出した本書より、序章を公開します。

†映画とテレビの対立を描く『マンモスタワー』
 しからば、『マンモスタワー』とはどういうドラマなのか。ここで少しでも興味を持ってもらえるように、ドラマの内容について簡単に紹介しておく必要があるだろう。

 ドラマは冒頭からじっさいの東京タワーを画面いっぱいに捉えたり、下から仰ぎ見たりと、さまざまな視点から映し出して見せるのだが、こうしてカメラは最初からタワーに注目しつつ、このあとに、ドラマの核心的な話題へと目を向けていく。その話題とは、当時の映像産業の大きな関心事であった〈映画とテレビの対立〉である。

 映画はテレビに先行する映像メディアとして19世紀末に誕生し、日本でも広がっていったが、戦後占領期を経て、1950年代に黄金期を迎える。観客数が劇的に上昇し、『マンモスタワー』放送の1958年には、年間観客数が過去最高の11億2745万人を記録する。1955年の国勢調査によれば、日本の人口がおよそ8928万人とされ(総理府統計局『日本の人口』、72頁)、その数で58年の観客数を割れば、計算上、一人当たり月に一度は映画館で映画を見ていたことになるほど、映画人気は凄まじいものがあった。

 このような状況もあり、映画は、娯楽の王様とまで言われた。ただ、他方で、その地位を脅かすものとして新たな映像娯楽メディアであるテレビが台頭し、高度経済成長期に突入したこの時代に、国民生活に欠かせないアイテムとして脚光を浴びるようになっていった。テレビは新しい消費文化の象徴として、冷蔵庫、洗濯機とともに「三種の神器」と呼ばれて注目を集めたのである。

 日本でのテレビ放送の本格的スタートは、1953年2月1日のNHKの開局からであったが、当初テレビ受像機はあまりに高価で、一般家庭がとても手を出せる代物ではなかった。その後、受像機価格の値下げが進み、それもあって着実にテレビは普及していくが、家庭への浸透が顕著になるのが、1958年から59年にかけてのことであった。58年の4月に契約者数が100万件を突破すると、その年の11月に宮内庁により発表された、当時の皇太子明仁親王と正田美智子さんの婚約が、国民のテレビ購買意欲を搔き立てることになる。じつに、59年4月のご成婚パレード一週間前には、契約者数が200万件を超え、一年で倍増するのである(志賀『昭和テレビ放送史[上]』、220頁)。

 こうしてテレビ受像機の普及がテレビ産業の成長を印象付けるなか、忘れてはならないのが、東京タワーの存在である。すなわち、東京タワーもまた、テレビ産業の成長には欠かせない、産業を支持するものとして建設されたという点が重要である。

 正式名称を日本電波塔というその塔は、観光名所のイメージが先行するが、そもそもは電波塔として幅広いエリアに電波を行き渡らせることを目的に生み出されたものであった。東京タワーが333メートルと当時の自立式鉄塔では、世界一の高さを誇ったことは、観光スポットとしての魅力につながったが、広域に電波を届けるにはそれだけの高さが必要であったということである。それゆえ、東京タワー/日本電波塔の誕生は、当時はまだ新しい映像メディアであったテレビの放送を安定にし、以後のテレビ文化の発展を支える大きな出来事であったわけだ。

 すなわち『マンモスタワー』が放送された1958年というのは、映画にとって観客数の最高を記録した絶頂期であり、またテレビにとっても受像機の普及、そして東京タワーの完成で、大きな飛躍を遂げていく時期でもあった。ドラマ冒頭で巨大な東京タワーの存在をことさら強調して見せるのは、このように、それが電波塔としてテレビ産業と結びつく存在であるためだ。言うなれば、屹立する巨大な東京タワーは、マスメディアとして今後、さらなる成長が見込まれるテレビメディアの存在の大きさを物語っているのである。

 もっとも、ドラマは、そうして巨大化しつつあるテレビ産業に焦点化していくというよりは、そのテレビ産業と対峙することになる、映画産業に注目して進行する。映画会社はじっさいに、1950年代中頃からテレビ産業の勢いを削ぐような対抗措置を繰り出していた。映画界の多くの人間たちは新しい映像メディアのテレビを敵対視し、テレビ産業側が困惑するような行動にも出ていた。その詳細は、第四章で述べるが、いずれにしても、映画会社が現実におこなったテレビへの対応や反発などを踏まえて、『マンモスタワー』は、主に映画会社の人間たちの視点から、〈映画とテレビの対立〉を描いていくのである。

 映画黄金期と言われる状況にあって、映画界はテレビの台頭にどのように振る舞い、どう対応していくのか。現実の映画とテレビの対立という問題を、いわば当事者であるテレビ局(KRT)がドラマ化し、もっぱら映画会社側の視点から描いているという、いかにも複雑な関係性が、このドラマをユニークなものにしている。

 ただ、その複雑な関係性は、じつのところもっと複雑で、もっとユニークなのである。映画界の登場人物たちの顔を見ていくと、見覚えのある人物たちがいる。なんと、それまで映画界でじっさいに活躍してきた俳優たちが映画人として登場していて、なんとも言えない現実的な生々しさを醸し出している。そうした出演者たちのなかには、もとをたどれば、演劇界出身者が目立つが、それでも、映画界での活躍が、彼/彼女らをより有名にしていた。

 なにしろ、主人公の映画会社の製作本部長を演じたのが森雅之である。黒澤明監督『羅生門』(1950年)や溝口健二監督『雨月物語』(1953年)など海外でも高く評価されてきた日本映画で主演(級)を務めた、まさに映画界の顔とも言うべき人物が、驚くべきことに、映画会社の重役を演じながら、会社の体質や産業の状況を批判的に語りさえする。ドラマだとわかっていても、ついつい、森雅之がじっさいの映画界に対して意見しているようにさえ聞こえてしまうのである。

 また、注目は、演じている俳優たちだけではない。このドラマを書いた脚本家・白坂依よ志し夫おもまた、映画界で仕事をしてきた人物である。確かに『マンモスタワー』は、テレビ局(KRT)が制作したテレビドラマとはいえ、こうして映画界の状況をよく知る人物たちが参加しながら、業界の問題が語られてさえいるのである。

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