ちくま新書

映画業界とテレビ業界の対立を描いた伝説的なドラマ作品『マンモスタワー』をご存知ですか?
『東京タワーとテレビ草創期の物語』序章より

「史上最大の電波塔」が誕生し、映画産業を追い越そうとした時代――東京タワーが登場する現存最古のテレビドラマ『マンモスタワー』をめぐる若きテレビ産業の奮闘を描き出した本書より、序章を公開します。

†生ドラマ
 ここまで読んで、多少なりともこのドラマに興味を持ってもらえると幸いだが、ただ、残念なことに、『マンモスタワー』をじっさいに見ることは、不可能ではないが容易なことではない。

 テレビ草創期の1950年代には、じつは多くのテレビドラマが生放送で提供されていた。つまり、役者の芝居をカメラが撮ったその映像が、そのまま生のライブで視聴者に届けられていたのである。ちょうど、『マンモスタワー』が放送された1958年にVTRが導入されるようになり、事前に収録することも可能になったが、ただ、それは高価であるため頻繁には使えず、1950年代はあくまで生ドラマが中心であった。それゆえ、当時の大部分のドラマが一回きりの放送で終わり、もはや視聴はかなわない。『マンモスタワー』の場合はどうかと言うと、いくつかのシーンでVTRが使用されてはいるものの、基本的には生ドラマであり、大部分の生の芝居のシーンに、事前収録されたいくつかのVTRシーンを挿入する形で、放送がおこなわれた。それゆえ、本来なら、このドラマも再見できないところである。ただ、偶然にも、そして幸いにも『マンモスタワー』の放送自体がVTRで録画されていて、ドラマは残されているのである。

 そうは言っても、現状、動画配信サービスやDVD等のソフト化の対象にはなっておらず、容易に見ることはできない。過去にTBSのCSで放送されたことがあり、筆者もそれで見たことがあるが、再び放送される日が来ることを待たなければいけない。いや、確実に、すぐにでも見たいと思えば、横浜の放送ライブラリーで一般に無料で公開されているので、行けば見ることができるものの、そこまでのモチベーションと手間がやはり必要になってくる。

†本書の構成
 容易には視聴できない『マンモスタワー』であるが、だからと言って、このままじゅうぶんに、見られないまま、語られないまま、忘れ去られては、いかにももったいない。

 このテレビドラマは、映画とテレビの対立という当時の映像産業の非常にセンシティブな題材を扱い、さらには、じっさいに映画界で活躍してきた人物たちに、映画人の役を演じさせる過激さがあり、他方で、生ドラマというドラマ制作技術の未熟さも持っている。どこか、誕生してまだ間もないテレビの荒削りの若々しさ、勢い、可能性などを感じさせる。

 このような見解とともに、本書では、初期のテレビ産業やドラマの成長に目を向けつつ、完成直前の東京タワーをうまく利用したユニークなドラマである『マンモスタワー』のことを詳しく見ていきたい。くわえて、ドラマとの関連で、東京タワーのことはもちろん、映画のこと、映画とテレビの対立という当時の映像産業の重要な問題についても考察していく。

 以上の点について、これから第一部「テレビ時代の到来」、第二部「『マンモスタワー』の制作・内容」の二部構成のもと、全七章にわたって、検討していきたい。第一章では、東京タワー誕生に至る背景を生みの親である産経新聞社長・前田久吉の視点から考察する。第二章では、日本でのテレビ放送開始に大きな役割を果たした、読売新聞社主の正力松太郎を取り上げ、彼が創設した日本テレビのことを中心に見ていく。第三章では初期のテレビドラマについて、『マンモスタワー』の放送局であるKRTとの関連で考察する。第四章では映画産業の状況を整理しつつ、映画とテレビの関係に迫る。ここまでが第一部で扱う、東京タワーや『マンモスタワー』が放送された頃の映像メディアの話題である。それ以降が第二部となり、『マンモスタワー』についての話となる。
 第五章では、『マンモスタワー』がどのように企画され制作されていったのか、制作の舞台裏について解説する。そして、第六章と第七章で、いよいよ『マンモスタワー』の内容を丁寧に見ていきながら、じっさいにどのような作品なのかを詳しく分析していく。
 

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