私は小説を書くときに、複数の視点からひとつの出来事を描く、という方法をよく使う。例えばテーブルの上にひとつの林檎があったとして、Aという人物の視点からは、枝からもいだばかりの瑞々しい林檎に見えるかもしれないが、Bという人物からは、中身がすかすかの古い林檎に見えるかもしれない。ほんとうのことはひとつじゃないですよね、ということを私は小説のなかでいちばんに伝えたいのかもしれないし、そういう視点のある作品を読むことが好きだ。
『ホームシック 生活(2〜3人分)』には、一人が二人になって、子どもが生まれ、始まっていく生活が描かれている。本書を一人の父親による育児日記として読んだってもちろんいいのだけれど、ECDさんの文章はそういう枠からどうしたってはみ出していく。
本書には、奥さんである植本一子さんの文章も収められている。出産後の嵐のような生活の様子は、植本さんの著書で読まれた方も多いかもしれない。
ECDさんと植本さんが描き続けた十年間の家族の記録。同じ時間を、ECDさんと植本さん、お二人が描いても、それはまったく同質なものではない。もちろん、父親と母親では立場が違うから、という理由ではなく、夫婦になっても、親になっても、ひとつの林檎を見たとき、同じように見えていないのだ、ということ、一人と一人が二人になっても、どうやっても埋めることのできない深い溝があることを、ECDさんと植本さんの作品は浮かび上がらせていく。
それでも、ECDさんと植本さん、お二人の文章を読んでいると、左右のスピーカーから、まったく違う音が鳴っているようでいて、奇妙な調和(のようなもの)を感じる瞬間がある。それが、同じ部屋に住み、同じごはんを食べている、という生活の重さ、つらなりの証なのかな、と思ったりもする。
正直なことを言うと、植本さんの『かなわない』『家族最後の日』を読んだときには、自分の古傷を紙やすりで擦られているような痛みを常に感じ続けていた。私が子どもを産んだのは、もう二十年以上も前になるけれど、そのとき、自分があえて感じないようにしていた感情が陽にさらされるような気持ちになった。痛い、痛い、と思いながらも、ページをめくる手をとめることができない。読後感もすっきりしたものではない。けれど、それでも読ませてしまう力に満ちた本だった。
植本さんが描いた嵐の日々の前兆のようなものは、本書にも描かれている。
「産んじゃったら元に戻せないんだよ」
そう言っていちこは涙を流した。当たり前のことだけど、当たり前だからこそ誤魔化しようのない現実。
「本当にこれでよかったのかなあ」
そんな元も子もなくなるようなことを言い出す夜もあった。
僕は「大丈夫だよ」と繰り返すだけだった。(71〜72ページ)
植本さんが出産や子育てに対する不安を口にする。あまりに正直に。それに対して夫であるECDさんが「大丈夫だよ」と繰り返すだけの場面。あっさりと読み飛ばしてしまうかもしれないが、こんな二人の会話に私は心を鷲摑みにされる。本書を読んでいただければおわかりになると思うが、ECDさんの文章は過剰ではないし、むしろ淡々としている。植本さんの文章に比べると一見、温度が低いようにも感じる。穏やかな諦念、それがECDさんの文章の魅力のように思えるけれど、限られた文字数のなかに込められた感情には、植本さんと同じような濃密さ、を感じるのである。
二人で暮らし、生活を共にしていても、それぞれが心を開かないままでいる二人なんて、世のなかにはいくらでもいる。むしろ、そういう感情のぶつかりあいをしないほうが長続きするものだ、と訳知り顔で語る人もいる。そういう二人がいても、もちろんいい。けれど、私も結婚していた相手とぶつかりあわずにはいられなくて、自分の心のうちをぶちまけて、そうして関係性をぶち壊してしまった。だから、というわけではないが、十年を経て、植本さんとECDさんの関係がどんなふうに変わっていったのか、それは今、植本さんが描いている文章からしか窺い知ることはできないけれど、それでも二人でいる生活のこと、ECDさんの書く『ホームシック 生活(2〜3人分)』のその後、を読んでみたいと強く思っている。そう思っているのは私だけでないだろう。ECDさん、体しんどいかもしれないけれど書いてください。お願いします。
しかし、文章もおそろしいものだけれど、写真もおそろしいものだとつくづく思った。本書に収められた植本さんが撮ったECDさんの表情はどうだ。顔に説得力がありすぎるのだ。二人で生活をすると決めたなら、こういう顔を相手に見せなくちゃだめだし、相手のこういう一瞬の表情をとらえないとだめなんだろう。
ECDさんも植本さんもそれぞれミュージシャンであり写真家であるわけだけれど、お二人とも目の前のものを切り取る動体視力のようなものが並外れているのだ。二人のサムライが同居しているようなもので、その家庭に波風が立たないほうがおかしい。
私がこの本のなかでいちばんに好きなのは「記憶」という文章だ。家庭をつくり、子どもを持つと、自分が生まれ育った家庭のことや、遠ざかっていた父や母のことを思い出す。血のつながらない誰かと暮らすことは、どんなに言葉をつくしても、かすかな怒り、哀しさ、寂しさを心に抱えることでもある。それでも二人の間に生まれた子どもを育て、自分の親を思い出したとき、続いていくよね、と思えたら、その命のつらなりに安堵できる瞬間があるのではないか。
だから、案外、誰かと生きていくのは悪くない。忘れてしまいがちな、だけど大事なことをこの本はそっと教えてくれる。