PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

ニューヨークと孤独と中国粥
ほろ酔い泥酔宿酔い・3

PR誌「ちくま」4月号より藤田祥平さんのエッセイを掲載します

 時差ぼけだったのだ。おれはこの年になって全然世界を見ていないと還暦の父が突然言い、私を関空発ニューヨーク行きの飛行機に乗せてから十六時間の後、私は父とふたりで詳細不明のステーキ・ハウスに居た。調子に乗ってフィレとストリップを五百グラムずつ。最初はビールで始めたが、肉があまりにもうまいので父を説き伏せて赤ワインをとった。なんと音楽まで鳴っている。スタンダードなトリオだが色々工夫してマーサ・リーヴスやMJQ、「朝日のあたる家」までこなすので、嬉しくなって歌ったり踊ったりしているうちにホテルで気絶していた。
 だからホテルの名前を覚えていないのが悔やまれる。セントラル・パークに面したいずれかのホテルであることは間違いない。映画や写真で覚えがある公園を窓から望めたからだ。出かけてもよかったのだが例によって宿酔いだった。それで電話をかけてルーム・サーヴィスをとった。「中国粥 ザーサイ、コリアンダー、エビチリ、豚角煮を少々添えて」とあるので我慢できなかったのだ。
 米の粒が砕けた中国粥は弱った胃に抜群だった。辣油の小瓶まであるのには驚いた。珈琲もポットになみなみ一杯来た。ああいうときのクリームの壺はぜんぶ使わないにせよ大きいほうが嬉しいものだ。異境で迎えた宿酔いの朝にうまい粥をひとりで食べていると、段々しみじみとした静かな気分になってくる。食後に窓際で珈琲を飲みながらセントラル・パークの森を見つめていると、なんだかポール・オースターの気分がよりわかるような気がしてきた。
 しかしポール・オースターの気分で言えば旅のいずれかの日の夕方に地方で乗った長距離バスがいちばん近いものだった。乗車前に求めたローリング・ロック(ペンシルヴェニア西部の地ビール)の瓶を傾けながら夕映えを眺めていると、いまの自分と似たような気分で無数のアメリカの若者がこういう旅をしたのだろうと思われたのだ。そして終着点にはあの天下の孤独の牙城、ニューヨークがある。ガルシア=マルケスが遺作のなかで書いていた、死んだ孤独な魂はみなニューヨークへ行く、と。
 アルコール中毒にはならないだろう。身体のほうがしんどくなるからだ。しかしアルコール中毒は量の問題ではなく、悲しみを酒でわからなくしようとする態度のことを言うのだと、どこかで読んだ。だとすれば私はますます中毒者にはならない、私が飲むのはその時々の情感を高めるためだから。悲しいときには悲しく、嬉しいときには嬉しく飲む。あるいは単純に酒を飲むために飲む。
 お酒を飲んでいるといままでに出会った人々や出来事の様相がなつかしく思い出されてくる。だからみんなもっと沢山お酒をもらえばいいと思う。ひとりでも相席でもかまわない。それぞれに気楽に酔いつぶれてしまえば喧嘩をする心配もない。これで世界が平和になって、みんなで仲良く暮らしていける。嬉しく楽しく暮らしていける。
 ビール派だった父はニューヨークから帰ったあとワインを飲むようになり、酔っぱらって彼の妻の遺影を抱いたまま寝る癖を直した。飲む理由など飲んだそばから忘れてしまう。だから私は一度も悲しくて酒を飲んだことがない。

PR誌「ちくま」4月号