ちくま新書

「気づく人」と「気づかない人」は、どこが違うのか?

私たちが普段何気なく使う「気づく」という言葉。いまでは「気づき」としてビジネスの言葉としても用いられています。 では、そもそも何をもって私たちは何かに「気づく」のでしょうか。その本質に迫った『「気づく」とはどういうことか』のプロローグを公開しますので、ご覧くださいませ。

「気づき」は非常によく使われる言葉です。誰もが一日に何度も何度も口にし、誰もが何度も何度も耳にしているのではないでしょうか。
 この文を書き始めるに際して、ちょっと思い浮かべてみたのですが、今日すでに「気づき」という言葉を使っていました。
「あったわ。気いつかへんかった」
 家内がいつも作ってくれている冷茶(お茶を水出しするやつ)を飲もうと思って冷蔵庫をのぞいたのですが、見つかりません。無いのかなと思ってドアを閉めました。それを妻に見られていたのですね。
「何探してるの?」
「もうお茶無いの?」
「あるでしょう?」
 言われて、もう一度ドアを開けてみると、なんとあるべきところにちゃんとあるではありませんか。だいぶ焼きが回っています。
 外からも聞こえてきました。
「え? 本当? 気いつかへんだ」
 わたしの自宅はスーパーに近く、重宝していますが、おかげで前の道路はいつも買い物の車が連なっています。車が入り込んでくるすぐ横の公道は右折禁止になっていますが、かなり見にくい標識です。パトカーの低いサイレンとともに「止まりなさい」というラウドスピーカーの声がしました。そのあと右折禁止ですよ、とかなんとか説明があったのでしょう。
 週刊誌でも見つけました。
「九回裏、相手の近鉄がスクイズに失敗するんだけど、みんな江夏がそれに気づいて球を外したと思っている。だけど、実際は先に気づいたのは僕だよ。咄嗟に立ち上がった僕を見て、江夏はそこに投げただけ」
 一九七九年の、プロ野球日本シリーズ第七戦、広島対近鉄の試合です。日本シリーズ最終試合の、それも九回裏。広島の最後の守り。近鉄のランナーが塁を埋めてしまいました。広島は一点リードしていましたが、三塁ランナーが帰れば同点に追いつかれ、二塁ランナーも帰れば逆転負けです。この時、広島のマウンドにいたのは、かの江夏です。この有名な「江夏の二一球」の思い出を語る、当時の広島のキャッチャー水沼四郎氏の言葉です。 テレビからも聞こえてきました。
「わたしはそのうち、サヤカが来なくなっていることに気づきました」
 サヤカというのはある報道番組に取り上げられた女子生徒です。わたしというのは番組担当の記者です。来なくなったとは、サヤカちゃんが、その頃通っていた、ある学習支援塾へ来なくなった、ということです。
次のもテレビです。
「うーん。……気づいたらやってた」
 NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』の一場面です。ある町を取材した笑福亭鶴瓶さんが、公園でソフトクリームを食べている小学生の女の子のグループに遭遇します。鶴瓶さんは、その子たちがバレエをやっていると知り、そのバレエ教室に子供たちと一緒に押し掛けます。その子たちもバレエの練習に戻って一汗かきます。その時鶴瓶さんが「何でバレエ始めたの?」と尋ねたのに対する、一人の子の答えがこれです。
 この子にすれば、自然の成り行きでバレエを始め、それが生活の一部になってしまっていました。突然、理由を尋ねられても明確な答えがあるわけでもないのです。実に自然で、かつ質問にもぴったりの、自分のこころの動きの表明です。
 このように「気づき」という言葉は、われわれが毎日、毎日、気楽に使い散らしている言葉です。いったい何に気づいたり、気づかなかったりしているのでしょうか? つまり、気づきの対象は何なのでしょうか?
 具体的には、モノ(冷茶)だったり、交通標識(右折禁止)だったり、身ぶり(スクイズサイン)だったり、取材対象の不在(サヤカが来ていない)だったり、そうかと思うと、自分の行動変化(バレエ練習の習慣)だったり、さまざまですが、どれも「自分のこころの変化」であるという点に共通点があります。
 目の前の冷茶に気づくことのどこがこころの変化なのだ、と思われるかもしれません。 冷茶は冷蔵庫に存在していますが、冷茶があるかな、と冷茶を探しているのはわたしです。わたしが冷茶の存在に気づかなければ、つまりわたしの注意が冷茶を捉えなければ、わたしのこころに冷茶が登場することは「無い」のです。物理的な空間には存在しても、心理的なこころの空間には存在しないのです。
 そういう意味で、気づきの対象は決して冷茶そのものではなく「冷茶を見つけた」というこころの動きなのです。このこころの動きが起こらない限り、こころが描き出す冷蔵庫には冷茶は存在しません。
 同じように、われわれがよく口にする「気づき」と似たような言葉に「意識」があります。
 こちらはどんなふうに使われているのでしょうか。
「一点を取る野球をしっかりと意識してほしい」
 インタビューに答えるあるプロ野球監督の言葉です。
「なんだか意識しちゃって」
 これはテレビドラマから拝借しました。
 ごく自然に幼い時から仲良く付き合っていた相手との付き合いを、突然親が公認します。その後、彼に出会うのですが、以前と違っていろいろぎこちなくなってしまいます。そのおかしな様子の理由を相手に聞かれた時の言葉です。
「自民総裁任期「三期九年」で決着。世論意識「無制限」見送り」
 某朝刊の見出しです。

「これからは常に世界を意識してやっていきたい」
 某オリンピック出場選手の抱負です。
「(年間最多勝って)意識しますか?」(アナウンサー)
「そんなの意識したことないですよ」(元横綱北の富士)
 年間最多勝三回の記録を持つ北の富士親方は、最多勝を達成した時の気持ちを聞かれて、こう答えています。
 いずれの場合も、「意識」は本人のこころの中に一定の思いを持ち続ける、という意味で使われています。某監督の言う「一点を取る野球への意識」とは、常に一点が大事だということを忘れるな、とにかく地道に一点をもぎとろうと思い続けろ、どうしたら今のこの行動が一点につながるかを考え続けろ、などという思いです。この思いを常にこころに持ち続けてほしい、と願っているのです。
 相手を突然恋人と思うようになると、その考えがこころに居座ってしまって、突然、自分のふるまいを「意識しちゃう」ようになってしまいます。そのため、自発的で、自然で、滑らかだった行動のあちこちに意識のチェックが入って、動きがぎくしゃくしてしまいます。
「世論意識」とは、自民党(擬人化されています)が、世論は総裁任期を無期限に延長するのには反対なのじゃないかと考えて、総裁任期を決めた、ということです。
 オリンピック選手の言う「世界を意識」とは、世界の一流になるには、A選手とかB選手とか、世界あちこちの一流選手の成績や行動を常にこころに思い浮かべ続けなければならないということです。
「年間最多勝の意識」とは、一年通して好成績が残せ、その年最後の場所の、最後の日が近づいてきた時、後何勝で今年も年間最多勝が達成できるぞ、などという余計な思いがこころに居座り、土俵へ上がってもその思いが抜けなくて勝負の邪魔になることはないか? というニュアンスの質問です。北の富士はそんなこと考えたことない、と言っています。 こうした言葉の使い方の中で、使い手に理解されている「意識」の意味は、現在進行中の意識そのもののことではなく、現在進行中の意識の背景を占める、あるいは意識を裏打ちするようなこころの働きです。
「気づく」が自分の現在のこころの変化を検出するこころの働きだとすると、「意識する」は現在のこころの動きに影響を及ぼし続ける何らかの思いへの「持続する気づき」だと言えます。
 われわれはこうした自分のこころの働き方の微妙な違いを、誰に教わるわけでもなく、はっきりと区別することができます。だからこそ、自由にしかも正確に言葉を使い分けることができるのです。
 自分でははっきり分かっていて自然に使い分けている自分のこころの動きなのですが、こうしたこころの動きを客観的に整理して記述するのは結構大変です。
 本書はこの課題に取り組みます。
 ところで、「気づく」の「気」って、本来どういう意味なのでしょうか。
『広辞苑』を見ますと「心の動き・状態・働きを包括的に表す語」とあります。『大字泉』には「生命・意識・心などの状態や働き」とあります。ほぼ意識と同じ意味です。 事故や病気で意識不明になっていた人が、治療や看病の甲斐あって、ふと目を開きます。
「おっ! 気がついた!」とまわりが叫びます。「気がついた?」と枕元の母親が問いかけます。意識が戻った瞬間です。映画やテレビでよくお目にかかる感動的なシーンですが、
現実にはあまり経験しない、あるいは経験できないシーンです。
 わたくしごとで恐縮ですが、わたし自身が「あ、気がついた」という稀な経験をしたことがあります。他人の意識が戻った瞬間に居合わせて、「あ、気がついた」と思ったので
はないのです。わたし本人が「はっと、気がついた」のです。
 この稀で貴重な(?)経験は、なんと、本書のアウトラインの相談に筑摩書房の編集者(橋本陽介さん)がわたしを尋ねてくださった時のものです。
 橋本さんと、自宅近くのあるカフェでお会いし、話を始めました。ところがです、ふと気がつくと、わたしは自宅へ向かう道を一人で歩いていました。え? 何? 俺、ここ、なんで歩いているのや? という思いと困惑感を突然に経験しました。しばらく経って、ようやく誰かと会っていたのではなかったかな、というぼんやりとした記憶が戻ってきました。まずいな、と思いました。でも、いくら思い出そうとしても、直前の記憶がすっかり途切れています。
 そのうち、橋本さんと出会ったこと、カフェに入ったこと、少し話を始めたこと、ポケットから資料を出して彼に渡したことなどが思い出されました。食事を注文したのも思い出しましたが、それきりです。その後、食事をしたはずだし、彼と別れもしたはずですが、まったく思い出せません。歩きながら、いろいろ記憶を呼び戻そうと努力しましたが無駄でした。
 この時、ようやく思い出せたことが一つありました。それは、相手(つまり橋本さん)を「この人だれ?」と考え続けていたことです。わたしは誰か知らない人と話していたのです。
 彼と話し合っていた途中から、自宅へ向かって歩いている時間まで、わたしはどうなっていたのでしょうか? ぶっ倒れていたわけでもなさそうです。その証拠に怪我をしているようにもありませんし、服が汚れているようでもありません。普通に歩いていますし、それも正しい道を正しい方角へ歩いていましたから、とんでもない事態になっていたとは思われません。
 自分で経験して初めて分かったのですが、「気がつく」とは、間違いなく「自分のこころの動きを自分が意識すること」です。
 通常、この経験は記憶に残されていきます。しかし、この「自分のこころの動きを自分が意識する」という経験が未熟なままだと、つまりしっかりと経験できない状態で終わってしまうと、記憶には残らないのです。でも、完全に未熟だったわけでもないらしくて、知らない人としゃべっている、という不安な感情は記憶に残されていたのです。かなり強い感情だったのだろう、と推察できます。
 わたしは橋本さんにあわててメールをし、わたしがその時いったいどんな様子だったのか率直に教えてくれるよう、お願いをしました。
 彼は折り返し返事をくれました。
 それによると、わたしは食事中にトイレへ立ったそうです。トイレから出てきた時、戻る席が分からない様子だったそうです。戻ってからは、頼んだのはこれだった? と尋ねたそうです。会話も続けたようですが、その内容は「三度、わたしの年齢を尋ねました。動物と人間の違い、出版の不思議さ、といった話を何度もループするように話していた」そうです。
 食後、会計は橋本さんが払ってくださったそうです。その後、ちゃんとお礼も言ったそうです。自分の方から、わたしが払いますと、もし言わなかったのだとしたら、それも少々変です。わたしの普段の行動パターンとは違います。
 また、その時、彼にこのホテルに戻るのかと尋ねたそうです。泊っていないのになぜ? と思われたそうです。このホテルのカフェを指定したのはわたしですし、指定の場所へ指定の時間にわたしに会いに来られただけなのですから、ホテルに宿泊されていたわけがありません。食べたのは昼食です。なんかちぐはぐでつじつまの合わないとりとめのない会話だったようです。
 橋本さんの印象では、トイレを出てきたあたりから様子がおかしかったようです。この時から、わたしがふと「気がつく」まで、どれくらいの時間だったのか、はっきりしませんが、その間、わたしの意識には何らかの変化が起こっていたものと思われます。さいわい、その程度は軽く、行動の外面はかろうじて保たれていたようですが、誰と何の目的でそのカフェにいて、何を相手に伝えようとし、自分がどういう振る舞いをしているのかなど、自分の行動にわたし自身が気づく力を失っていたのです。
「気」を失ってしまったわけではないようですが、間違いなく「正気」を失っていたのです。
 このエピソードにはもう一つ不思議なめぐり合わせがつけ加わっています。
 実はわたしは、この「一過性の意識障害状態」(医学界では一過性全健忘という病名が定着しています)についての症例研究を四〇年以上も前になりますが、学術誌に発表したことがあり、その後も何度かこの病態を取り上げて書いてきました。意識の異常状態を他人の経験を基に推論するのですから、その時、当の本人が実際どんな意識状態にあったかは分かるわけもないままで、外から分かること、つまり行動の異常から推察した意識の異常について書いていたのです。
  今回、筑摩書房の橋本さんから、「気づき」をテーマに本を書くようにお誘いを受け、その本を構想している段階で、選りに選って自分が関心を持ってきた「気づき」の異常状態を自分が経験することになり、しかも選りに選ってその発作の現場を当の橋本さんが目撃したとは、なんとも不思議な因縁です。運命のいたずらとしか思えません。
 さてここからは、こうしたわたしのささやかな経験も参考にしつつ、「気づき」という働きを可能にする「こころ」や「意識」や「注意」や「記憶」などの仕組みを神経心理学の立場から考えていくことにします。