ちくま新書

「頭がいい」人は、ここが違う!
それは「脳の持久力」

「頭がいい人」と言われた時、あなたはどんな人を思い浮かべますか? 記憶力がいい人、計算が速い人、話が面白い人・・・などなど、あると思います。この本では、それだけでなく、運動ができる人、人の気持ちがわかる人、芸術的センスが優れている人なども「頭がいい」として、そこにどんな脳の働きが関係しているのかを、脳科学の知見から考察しています。そして、頭の良さにつながる最も大事なことは「脳の持久力」にあるんじゃないかという結論に達していますが、それはどういうことなのか、ぜひ読んで脳の仕組みのおもしろさを感じてください。ちくま新書4月刊行のほやほや新刊『「頭がいい」とはどういうことかーー脳科学から考える』から「はじめに」を公開します。

はじめに


 この本は、「頭がいいとはどういうことか」を脳科学の観点から考察する本です。頭がいいということを論じるに当たって、予想される質問が三つあります。一つ目は、「かく言う著者のお前は頭がいいのか?」というもの。二つ目は、「この本を読めば頭が良くなるのか?」というもの。そして、三つ目は、「頭がいいと言ってもいろいろな尺度があるが、著者はどういうつもりで頭がいいと言うのか?」というものです。
 まず、一つ目の質問。「かく言う著者のお前は頭がいいのか?」と問われることは避けられないと思います。はじめに断っておくと、私は決して頭がいい人間ではないと思います。凡ミスはしょっちゅう、人がすぐできることに倍の時間がかかる。記憶力も悪いし、人とのコミュニケーションにも苦労してきた。気の利いたおしゃべりも苦手。
 そんな人間が、頭がいいということについて論じられるのかとお思いかもしれませんが、そもそも頭がいい人は、頭がいいとはどういうことかについて思い悩まないのではないでしょうか。頭がいい人ならすぐに理解するようなことを、時間をかけて紐解いて文字に起こしてしっかり整理する。そんな泥臭い作業をしないと、私は理解できない。自分の頭で考えて、自分の言葉で書いてみないと納得できないのです。人一倍、頭が良くなりたいなあ、そのためならどんな努力だってできるのになあと思ってきた私にこそ、この本を書くことができるのだと思います。
 私は、長年脳の研究をしてきました。いわゆる脳科学と呼ばれる学問がカバーしている分野はかなり広いものですが、中でも私が興味を惹かれているのがこの「頭がいいとはどういうことか」という問題でした。「頭がいい」と言っても別に受験勉強で一番を取ることだけではなく(それも大事な一側面ではありますが)、例えば、動物と人間はどう違うのか、ヒトを人間たらしめる要素は何かということについて模索してきました。そんな私が、これまで研究する中で理解してきた「頭がいいとはどういうことか」について、脳科学の観点からああでもないこうでもないと議論を展開し、現時点での理解をまとめたのが本書です。
 二つ目の質問。「この本を読めば頭が良くなるのか?」ですが、本書は決して頭を良くするためのハウツー本ではありません。残念ながら、誰もが持っているかもしれない秘めたる才能を引き出すような魔法などありません。この本で目指しているのは、「頭がいい」と一口に言うけれど、それがどういうことなのか、それを脳科学の観点からきちんと整理することです。
 三つ目の質問。「頭がいいと言ってもいろいろな尺度があるが、著者はどういうつもりで頭がいいと言うのか?」ですが、頭の良さと言って多くの人が思い浮かべるのは、記憶力の良さや知能指数(IQ)でしょう。この本では、記憶力やIQのように数値で表すことができる知能だけでなく、数値では評価することができない「非認知能力」についても考えていきます。非認知能力は、「人生を豊かにする力」として、主に教育現場で注目を集めている社会的なスキルのことです。例えば、粘り強さや挫けない心、あるいは挫けても立ち直れる力、困難に耐える力、考え抜く力などが挙げられます。これについては早速第1章で述べましょう。
 このような頭の働きは、全て脳で実現されているものです。私たちが感じている現実は全て脳が作り上げています。第2章では、頭の良さを理解するのに欠かせない、脳とはどういう臓器なのかについて、感覚入力、予測モデル、応答の三つの観点から深掘りしていきます。続く第3章では、頭の良さを理解する上で重要なキーワードである「シナプス可塑性」について見ていきましょう。
 続く第4〜7章では、頭がいい人の特徴をいくつかの要素に分解して順番に見ていきます。第4章では、多くの人が気になるであろう「記憶力」について取り上げます。ここでは特に、忘れることの重要性について取り上げたいと思います。第5章では、思い通りに身体を動かすことができるということも「頭の良さ」であると捉え、感覚や運動がどのように脳で表現され、処理されているのかについて考えてみましょう。第6章では、アートと創造性について脳科学の観点から考えてみたいと思います。第7章では、他者の気持ちが分かる能力や共感力、コミュニケーション力に焦点を当て、心の知能指数(EQ)や社会的情緒的スキルについて考えていきます。
 脳は、非常にエネルギーを食う臓器ですが、非認知能力を発揮し続けるためには、脳の中の神経細胞(ニューロン)にエネルギーを供給し続ける必要があります。私はそれを「脳の持久力」と名付けました。そして、そこで重要な役割を果たしているのが、私が専門で研究をしている「アストロサイト」と呼ばれる脳細胞です。第8章では、脳の持久力を担うアストロサイトの働きについてご紹介します。
 最終章では、避けては通れない脳とAIとの比較をしながら、AI時代に求められる真の知性とはどのようなものかについて私の考えを述べたいと思います。そう思うに至った試行錯誤の過程を一緒にお楽しみいただけたらと思います。
 では、「頭の良さ」をさまざまな観点から見ることで、私たちがそこに近づけるような思索の旅に出ましょう。