本屋さんに行くとぞっとする。毎週毎週ものすごい数の新刊が並んで、もう自分なんて書く必要はないのだと思う。子供の頃からずっと本屋さんが好きだったのに、立場が変わるとこんなに違うものだろうか。右も左もいっぴきで闘っているもんだらけだ。作家は、雑誌や絵本などを除くとチーム戦はあまりない。もちろん編集者との二人三脚だが、生みの苦しみは一人だ。
ふり返ると、私は吹奏楽やバンドに熱を注いだ時期が長かったので、人生の半分以上をチーム戦で過ごしてきた。チャットモンチーで、ドラム・作詞家として活動してきた約八年はまさに、さんびきで一つとして生きていた。そのうちの約二年はメジャーデビューする前の大学時代で、徳島県鳴門市にある離れ小島の教育大学で私は解き放たれた魚みたいに泳ぎまくっていた。実際周りには海しかないから、海で泳ぐか音楽に没頭するかしかない。練習室のすいている夜中に籠もってドラムを叩いた。先客がいたら、部室のこたつで詩を書きながら終わるのを待った。楽譜にしばられず、本にしばられず、学校生活に馴染めなかった中高時代から一転、バンドは魂の解放だった。
就職ガイダンスを一日で辞めて、三人で車中泊をしながら県外のライブハウスに出て、先生になるのを辞めてCDを作って、そしてついにデビューした。やがて、私達の歌詞や音楽は何万人のものになり、テレビやラジオからも羽ばたいていくようになった。それはとても幸せで貴重な経験でもあったが同時に遠くへいってしまった自分を追いかける必死さもつきまとった。二〇一一年秋、気がつけばバンドを脱退していた。何者でもない私を朝はいつもと同じように迎えてくれた。また高校時代の自分に戻っていた。だけど、昔と一つ違ったのはこの孤独は自分で選んだものだということだった。
一日の大半をぼんやりと過ごした。パン屋さんやラーメン屋さんで働く人々がとても輝いて見えた。深夜、えんぴつを尖らして、ノートとにらめっこして、断崖絶壁を駆け下りる武者のように、奇襲攻撃をかける。中学生の頃から変わらない癖、やっぱり書くことだけはやめられなかった。大した決意もないまま、作詞家・作家という肩書を背負ってみた二〇一二年。
このエッセイ集は正に作家になってから六年の集大成のような作品集だ。第一章は、チャットモンチー脱退直後から約一年半の間に執筆し、二〇一三年に毎日新聞社から出版した『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』を再録したもので、日々の暮らしや音楽、大学時代、旅行記などを書いている。第二章はこの六年の間に雑誌や新聞に寄稿してきた随筆の中からよりすぐってまとめた。書くことを仕事にしたから開いた新しい扉だ。そして第三章は二〇一八年二月から五月の私の暮らしや思うことを書き下ろした最も新しい文章である。実際に書いている時間だけが「書く」ということではなかった。書くことは普段自分が何を見つめて生きているかということ、日常の集合体なのだと思う。今書いている瞬間にも過ぎていく膨大な「時」のどの部分を切り取り、どんな味付けにするのか。時を調理していく感覚もある。読み返してまだ三十六歳なのかということに驚いた。六十五歳になっていてもおかしくないのに。濃厚な冒険の日々だった。
今回、解説を元バンドメンバーであるチャットモンチーのえっちゃんが、帯コメントをあっこちゃんが書いてくれた。二人の音を思い出すような、強くてエッジの効いた感触だ。えっちゃんは、私とあっこちゃんが自分に歌詞を渡す瞬間をよく「ラブレターをもらったような感じ」と言っていたけど、こんな気持ちだったのかな。依頼してなかったら一生聞くことができなかっただろう気持ちが溢れていて涙が出た。チャットモンチーはこの夏に完結するけれど、最後にこの本を通じて二人と思いを伝え合うことができて本当に良かった。彼女たちと創作し続けた年月は私の中にいっぱい根を張って、六年の枝葉はそこから伸びている。その枝に咲いた最初の花、それが「いっぴき」なんだと思う
PR誌「ちくま」7月号から、ちくま文庫『いっぴき』刊行に寄せた著者によるエッセイを転載します。本エッセイは、『いっぴき』に収録されている「はじめに」のロングバージョンで、PR誌「ちくま」と「ウェブちくま」の限定公開となっております。