ゴッチ語録

第2回 後藤正文インタビュー 
創作の源にあるもの 
『ゴッチ語録 決定版』刊行記念

『ゴッチ語録 決定版――GOTCH GO ROCK!』(ちくま文庫)発売を記念して、著者の後藤正文さんのインタビューを公開します。よく聴く音楽のことから、社会問題のこと、歌詞の秘密、好きな本など、話題の尽きないインタビュー。第2回は曲作りの秘密についてから始まります。
(聞き手=編集部 井口、山本拓)

第2回 曲作りについて

いったん身体から離して歌詞を書く

―― 後藤さんは社会的なこと、身近なことをSF的な歌詞やファンタジーのような歌詞に仕立てていらしてとても面白いです。歌詞についてお話しいただけますか。

後藤 歌詞については、いろいろ変わってきていて。最初の頃はなるべく、自分の心情や心象に言語的、文学的に迫ったほうがいいんじゃないかと思っていました。つまり、抒情詩としての完成度を高めようとしていた。どのぐらい自分のフィーリングを写実できているか。収まりのいい言葉を選べているか。歌なので、発語した時に思っていた気持ちが乗っかるような言葉を書けるか。そういうことに注目してました。

でも、ある時から世の中に、共感できるかどうかという物差しがすごく出てきたんですよね。これはブログやツイッターの影響もあると思うんですけど、ある時から「共感する」とか「わかる」とか「自分の気持ちを代弁してくれてる」とか、そういうことに重きを置いているような言葉遣いで音楽が評されることが増えてきたんです。そうなってくると書き手たちが、人々に共感してもらえるかどうかを書くことの中心に据えるようになって、安売りでもするかのように共感ダンピングみたいな現象が起こると思うんです。

それはけっこう怖いなと思って。僕は「そういうことをやりたいんじゃないんだよな」と思って。僕は、共感されるために歌詞を作ってるわけじゃない。でも、そういう物差しでやってるわけじゃないけど、世間的には、どうしてもその物差しが関与してくるところがあって。ある時期から、抒情詩にはそういう危うさがあるんだなと思い始めたんです。

だからやっぱり、身体から言葉を離さなきゃいけないなと思ったんです。たとえばジョージ・オーウェルの『1984年』みたいな最悪の事態を書けば、多くの人が「こうなったら嫌だな」と思いますよね。本の中で、実生活じゃないところでみんなが戦慄すると思うんです。いわゆるフィクションが持ってる力って、そういうことなんだと思った。オーウェルだけでなくいろいろな人の小説を読んで、なおのこと「ああ、そうか」と。言葉がいったん身体から離れるから、いいんだなと思った。思ってることを書いてるんだけど、文体的には一回身体から離してるというか。そういう書き方をしていかないといけないと思ったんです。

これには、震災も大きく影響していて。あの時、ドキュメント映画がたくさん作られました。良い作品もあれば、粗悪なものもあった。そういうなかで、ドキュメントってダメだなと思ったんです。素人でも、被災地に行ってカメラを持ってうろちょろしてたらできてしまう。事実、そういう作品もありました。でも、本当にすごいものって、もっと違う何かを通してるなと思って。もちろんドキュメント作品にもすばらしいものがあるので、すべてがダメだったというわけではないです。ただ、作るのがとても難しいんだなと感じました。その一方で震災の後、フィクションの手が止まったような感じがして。何か、作り話をすることにたいする後ろめたさがあるというか。「こんな時に」みたいな。

―― そう思われた作家のかたは多かったようですね。

後藤 音楽だろうが笑いだろうが、そんなものは不謹慎だという雰囲気。作る側にも「こんなもの、不謹慎だよなぁ」みたいな気持ちがあって。だって作り話なんだから。フィクションは常にそういう危険性を持ってるんだけど、それでもなお書かずにはいられない。そういうものだけが残るんじゃないかと。だったら、そういった不謹慎さは毎回飲み込んで書くしかないなと思って。そういう意味で一回言葉を身体から離す、何かに喩え直すということはすごく大事なことだと思うんです。

SFという要素も、そういうところから出てきています。『Wonder Future』(2015年)というアルバムの「Caterpillar/芋虫」は、そういうふうに書きました。とにかく、別な話として一回身体から出してみる。言葉をなるべく身体から離そうと思って、歌詞を書いた。自分の思ってることを書くんじゃなくて、外側に出して物語として書き表すことで、読み手の感情にタッチしたいというか。「僕がこう思った」ということを書くと、聴き手の共感の物差ししか立ち上がってこないから、すごく狭い角度から見られてしまうんですよね。それだと絶対に、作品の裏側には入ってくれない。だからあらかじめ多面的なものを投げておかないと、一面だけを見られてしまうんじゃないかと。2010年ぐらいから、そういう思いが強くなりました。いろんな人の歌詞を気にし始めた頃から、そういった意識が複合的に立ち上がってきて。そして震災を経て、ギアのチェンジがいくつかあって、現在に至るという流れなんですけどね。これらのことは僕の中で同時多発的に起こってるので、順序立てて語るのは難しいんですけど。

―― CaterpillarとCapitalismをかけたんですね?

後藤 もちろんそうです。実はあの曲は、キャピタリズム(資本主義)のことを歌っていて。でもキャピタリズムっていうタイトルは直接的でダサいと思ったので、並び替えてCaterpillarとしました。

―― 『不思議の国のアリス』の言葉遊びみたいな感じですね。

後藤 何か面白いなと思って。気づいた人はニヤッとするようなことも隠れてます。「この人、ふざけてるのかな。Caterpillarっていうタイトルだけど、これはCapitalのことを歌ってるんでしょ」みたいな(笑)。でも「Caterpillar/芋虫」って書くと、「あの歌詞でこのタイトルは怖い」っていうイメージも湧き上がるみたいで。書き手として、そういった反応は面白いなと思ってます。

 

曲と詞

―― よく聞かれることだと思いますけど、曲と歌詞はどっちが先ですか? アジカンの時と、ソロの時では違いますか。

後藤 僕は曲を先に書きます。詞はいつも最後ですね。

―― 1曲の中で曲がどんどん展開していって、すごく面白いですよね。

後藤 言葉が先にあったら、恐らくここまで展開できないんですよね。メンバーとやってるとサウンドがどんどん変わっていくので、それに合わせて詞を書いたりします。音楽的な言語、つまりサウンドやメロディに合わせて感情がバーッと出てくるので、「これってどういうことだろうか」と思って、掘ってゆくこともあります。あとギターで弾き語っていると、早い段階で言葉が出てくることもあります。そういう場合は、バンドで録音する前に歌詞が書けちゃいますね。だから最近は、時と場合によりますね。一番困るのは、全部録音し終わっても歌詞が何も書けてない時です。いったい何を歌ったらいいのかなと。特に他人の曲だと苦労することが多いですけど、自分の曲に関してはメロディーを付けてる段階で言葉の断片も一緒に出てくることが多いですね。

 

ヒップホップの重要性

―― アジカンの昔の曲では響きに合わせた言葉を選んだり、韻を踏んだりすることにすごく気を遣っていたと思うんです。でも最近の歌詞はすごくメッセージ性が強くて、伝えたいという気持ちで溢れていますよね。たとえばベックの「Loser」をカヴァーしたりしていて。あと「さよならロストジェネレイション」や「新世紀のラブソング」を聴いてると、どんどんラップみたいになってきている。ラップやヒップホップの影響はかなりあるんですか? ラップというのは何かをまとめて伝えるには有効な武器だと思うんですけど、歌うことからラップに近づいていっているということはありますか?

後藤 『ゴッチ語録』にはライムスター(RHYMESTER)との対談があったりするので、ヒップホップのこともいっぱい書いてあります。やっぱり、ヒップホップというのは面白いですよね。できたのが最近で、音楽として新しいですし。ラップは文字数が多いし、言葉に対して先鋭的になれると思いますね。ある種ゲーム的な要素もあるから、頭を使わなきゃいけなかったり。僕は歌を歌いながら詞を書いてるけど、ラップだともっと意識的に韻を踏みますし。そういうところは面白いなと思います。書き手としてはこの人たちの言葉遣いに肉薄していかないと、いつか取り残されちゃうような気がしていて。日本のラップ、すごいのがいっぱいあるんですよ。単純に音楽的なフォーマットとしての新しさ、すばらしさもあるんだけど、これはどうにかして自分の中にも取り込まないとやっていけないなと思うんですよね。そもそも、そんなに遠くないんじゃないかなと。ボブ・ディランだって、似たようなものでしょ。古くはビート詩人たちもそうだし。あと日本では、佐野元春さんとかもやられてることだし。そうやって遡っていくと、ラップという手法は、自分の中に矛盾なく取り入れられる。自分がミュージシャンで、言葉を使って表現していくのであれば、ヒップホップは無視できない音楽です。

―― 歌詞に影響を受けたり、面白いと思ったりした日本人ミュージシャンはいますか?

後藤 日本人だと誰だろう。たとえば佐野さんの『Spoken Words――Collected Poems 1985-2000』(ソニー・ミュージックレーベルズ、2000年)とか。佐野さんはNHK教育テレビでずっと、歌詞についての番組をやってらっしゃって(『佐野元春のザ・ソングライターズ』2009~2012年放映)、僕は一度あの番組にゲストとして呼んでもらったんですけど、番組自体がすごく面白かった。あの時、佐野さんの歌詞をノートに書き写したりしてました。佐野さんは、先進的というか、鋭い人ですごくかっこいいなと思います。それまで佐野さんの名前はよく聞いてたけど、いろいろなことを知って「ああ、それでみんな勧めてくれてたのか」と思って。

―― 佐野さんも『THIS』という雑誌をやってましたよね。

後藤 そうですよね。僕はそういうことをあまり知らずに『THE FUTURE TIMES』を作り始めて。後で佐野さんがやられていたことを知って、驚きました。とにかく、佐野さんは感覚がすごく早いですよね。Macも登場とともに使い始めたし、インターネットの中継も何年も前からやってるし。坂本さんもそうですけど。

                (2016.5.12インタビュー。第3回完結編へと続く)

 

 

 

関連書籍

後藤正文

何度でもオールライトと歌え

ミシマ社

¥1,739

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入