気がついてみれば、高齢化率が21%を超える超高齢社会になり、人生100年時代と言われるようになりました。
私が医者になった40年前は、医者は病気の治療と予防に力を入れていました。誰もが長く生きられる社会になるように、必死で努力していました。
その甲斐あって、現在ではさまざまな病気の治療や予防ができるようになりつつあります。平均寿命は80歳を超え、健康寿命も延びました。昔の70歳代と、現在の70歳代のイメージはまったく違います。外来診療で患者さんを診ていても、75歳くらいまでの方は「高齢者」とは呼べないと思うほどです。今ではむしろ、行きすぎた延命治療が問題視されるようになってきました。
それでも高齢者の医学は、まだまだ治療が中心です。
介護が必要な人に対して、長期的にどう対処していけばいいのか、明確な指標が持てないでいます。
その一方で、自立し、なんらかの病気があっても自分の楽しみを実現している高齢者が、今ではたくさんいます。彼らがこれからどう生きればいいのか、生活する上で何が起きるのか、あるいは医療とどう関わっていけばいいのかといったことは、ほとんど問題にされてきませんでした。
高齢になっても、若いころと同じように病気を予防し治療していけばいいのでしょうか。それで健康に長生きできるのでしょうか。このことが未解決のまま、人生100年時代ということになってしまったのです。
現代医学がまだ方策を打ち出せないうちに、超高齢社会ができあがってしまったとも言えます。65歳で定年して、そのあとどう過ごしていけばいいのか、なかなか先が見えません。
人生100年時代を論じている本の多くは、積極的に何かをしなければならないような論調のものが多く、とても現実的ではないように思えます。
先人たちが経験したことのない長寿の時代に突入して、私たちは道しるべのない道に迷い込んでしまったようです。
私は医師として40年近く、作家として20年以上にわたって、高齢者の医療に携わってきました。外来診療では、認知症の患者さんやその家族と毎日のように接しています。同時に私自身も高齢者になり、60歳を過ぎたあたりでどう生きていけばいいのかと迷い、いろいろなことに挑戦してきました。
こういった試行錯誤を通じて見えてきたのが、ある時期がきたら、医療から卒業することが必要ではないか、ということです。
80歳を過ぎてまで、糖尿病を恐れて好きなまんじゅうを我慢するのが幸せでしょうか。この我慢が、健康に長生きすることにつながるという医学的な根拠はあるのでしょうか。
今の世の中では、高齢になっても医療と関わり続けることで、人生の最後の時間にさまざまな制限を受け、楽しみを失っている方がたくさんいます。
「最後は自由に生きたい」
そう考える人にとってまず必要なのは、長生きの方法や幸せな老後についての思い込みから自由になることです。
この本では、そんな思い込みを一つひとつ解きほぐしながら、人生100年時代の老後をどのように生きていけばいいのか、考えていきたいと思います。