ちくま文庫

松浦さんと歩いて
『居ごこちのよい旅』文庫版解説

若木信吾さんは、松浦弥太郎さんの『居ごこちのよい旅』をどう読んだのか。4月刊のちくま文庫より解説を公開します。

それは余白の多い旅

 松浦さんとの旅の思い出で 印象に残っていることは山ほどあるが、なんといっても余白が多いことが特徴的なんだと思う。一日に一時間くらいしか会わなかった日もあるくらい、余裕のある時間配分だった。一緒に行動するときは特に誰に会うともどこに行くとも知らされず、僕は松浦さんの後をついていくことが多かったが、そのうちバラバラに歩き始めてしまう。それはそれぞれが自分の感覚で旅先のエリアを自分のものにする作業だ。松浦さんは地図を作るために立ち止まり、僕は写真を撮るために立ち止まる。そしてまたどちらかが先に行く方に追いつき、他愛のないことを話しながらふたりで歩き出す。

 旅と仕事をつなぎ合わせるのは 実はとても難しいことだ。旅情を味わう暇もなく取材に明け暮れるスケジュールを旅先で過ごすという、いわゆる旅ページの仕事の矛盾を最初からわかっていた松浦さんは徹底的にそうしなかったし、カメラマンである僕にも何も伝えなかった。その結果、滞在先がどこであっても僕は多くの時間を自分の見たいものを見ることに費やした。それでもあり余る時間を松浦さんに人生の悩みを聞いてもらったり、買い物に明け暮れたり、仕事ではなく、人生の肥やしになるようなことに費やした。そう、本当にこの旅ではよく買い物をした。そして支払いは必ずと言っていいほどギャラの額を超えていた。何十冊もの本、お土産屋の置物からギターまで、帰ってくるたび担当編集者に「今回は何を買ったの」と聞かれるほどだった。今になってもその買い物については後悔することはない。それらは今でも棚の上や窓辺に飾ってあり、その頃の出来事を昨日のことのように思い出す引き金の役割をしているからだ。

そして今も続く

 旅先での時間の余裕もさることながら、 余白という意味ではその旅が引き出した伸びしろの長さといったらその後の僕の十年を費やすくらいあった。つまりこれらの旅がきっかけで始まったプロジェクトが今でも続いているということだ。浜松で書店を開くきっかけも旅先で訪れたさまざまな書店の姿を見ることができたからだし、のちに作ることになったスミンのドキュメンタリー映画もこの旅での出会いがあったからだし、ハワイ島のヒロであったデイヴィッドとは数年後彼の家に泊まりに行ったりして今でもクリスマスには連絡を取り合っている。これらの出会いはあらかじめ決められた取材がきっかけではなく、旅の居心地の良さが生み出した心の余裕がお互いのさらなる深い交流を求めたからだと思う。ちなみに旅の後に起こったこれらの出来事に松浦さんはほとんど関わることがなかったし、松浦さんがこの旅から広げていったさまざまなつながりに僕が関わることもなかった。旅の生み出した余白にそれぞれが自分の地図を描いていった。

旅の効き目は一生分

 その後ひとりで旅をしたり、 別の旅の取材で海外へ行くこともよくあったが、そこにいなくても松浦さんのことを考えてしまうことが多かった。松浦さんならこうするだろうなとか、松浦さんだったらこっちの店じゃなくてあっちの店に入るだろうなとか。僕にとってこのふたり旅の影響力は計り知れない。連載中、日本で松浦さんに会うことはほとんどなかったし、その後も一年に一度会うか会わないかという付き合いなのに、これほど自分のなかに松浦さんが浸透しているのを考えると、とても不思議だ。人生の先輩のひとりとして名前を挙げるとしたら必ず松浦さんの名前が浮かぶだろう。人生にはそういう先輩が必要だ。これから旅をしてみようとする人がいたらこの本がその役割をしてくれるだろう。どこへ出かけようがいい方向に導いてくれるだろう。旅の名著としてこの本は読み継がれていくだろう。

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