▼渋沢栄一はグローバルに注目される存在
守屋 外国での反応という点で僕が伺って面白かったのは、渋沢財団で2011年から立ち上げた「合本主義」研究プロジェクトに関連して、海外の有名な経営史、経済史の先生に協力を打診したら、二つ返事で乗り気になってくれたというお話です。海外の大物研究者がなぜ、渋沢栄一に興味を持ったのでしょうか。
木村 まず、合本主義プロジェクトを始めた経緯からお話しします。明治大学名誉教授で経営史学者の由井常彦先生と雑談しているときに、「渋沢栄一自身は、資本主義という言葉を使っていない」と教えていただきました。渋沢財団でも、渋沢栄一は近代日本資本主義の父だと紹介していますが、私も渋沢に関する研究資料を数々目にしてきた中で、たしかに渋沢本人は、それほど資本主義に言及していないかもしれない、と気づきました。むしろ、アメリカの資本主義はよくないみたいな意見として、否定的に使われるくらいのもので。
渋沢が、経済の仕組みや事業の進め方について、合本組織、合本会社というふうに、「合本」という言葉を使っているんです。そうなると、彼は資本主義とは違う考え方として、「合本」を考えていました。、そこに彼の思想の一番の真髄があるのではないか、と。この渋沢の主義主張のエッセンスともいえる合本主義とは、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を〈民主的〉に推進させるという考え方」を意味します。身分や地位にかかわりなくやる気のある人が経済活動を行うことを是としていました。また事業の目的は、公益を追求することですから、成果を独り占めにしようとするような財閥を作ることはありませんでした。
そういう経緯で、合本主義プロジェクトが誕生し、ちょうどリーマンショックの後でしたから、日本の学者だけでなく海外の人たちも巻き込んで研究しようということになりました。一橋大学の橘川武郎(きっかわたけお)さんに相談したら、ハーバード・ビジネススクールのジェフリー・ジョーンズさん(経営史家)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのジャネット・ハンターさん(日本も含めた東アジア経済史)に、それぞれ英米資本主義の代表として声を掛けてみようということになりました。それから、渋沢はフランスに行って経済や金融を学んだので、フランス社会科学高等研究院のパトリック・フリデンソンさん(経営史)にも声を掛けました。皆さんお忙しい方々なので、日本に来ていただけそうなお弟子さんを紹介してくださいと相談したら、いや自分が協力する、と全員の方が言ってくれたのです。
ジェフリー・ジョーンズさんは、実は日本の近代化について授業をするとき、その主要人物として岩崎弥太郎を教えていたのだが、そのライバルとして渋沢栄一がことあるごとに出てきて気になっていた、と。また、世界的なベストセラー『マネジメント』を書いたピーター・ドラッカー(経営学)が渋沢のことを高く評価していて、なぜそれほど評価されているのか知りたい、ということも言われまして。
守屋 なるほど。グローバルに「いったい何者なのか」と思われていたわけですね(笑)。
木村 パトリック・フリデンソンさんは、日産自動車と資本提携したルノー社の研究をしていることもあり、日本に興味をお持ちでした。特に、渋沢のいう公と私との関係、公益を追求する存在としての実業家(私企業)という考え方が非常に面白いと。
こういう経緯でいわば経営史学の巨人3人が集結することになり、必死になって研究会の準備をしたわけです(笑)。最初は渋沢栄一を人物として知ってもらうために、渋沢の残した文章の解説を、島田昌和さん(文京学院大学教授)や田中一弘さん(一橋大学教授)にも協力してもらって、汗だくになって英語に翻訳しました。
苦労した甲斐もあったのか、彼ら巨人の食いつきがすごくよかったのが救いでした。ロンドン、パリ、ボストン、東京と大阪、四カ国を飛び回って研究会を行いました。驚いたことにやればやるほど海外の研究者から渋沢は面白いという反応がありました。その研究会での成果論文集をカナダのトロント大学出版から英語版で刊行しました。論文集というお硬い作りながらも、評判がよくって欧米やアジアでの売れ行きはなかなかよかったんですよ。
守屋 渋沢は欧米の読者にも受け入れられた、ということですね(笑)。
木村 そうなんです。渋沢栄一という人物は、経営史、経済史の研究者にとって非常にユニークで、研究対象として引き付けるものがあるのだな、と。
一連の研究の中で興味深い指摘としては、競争も新規参入も民主的に認める渋沢モデルの仕組みが、欧米列強に続く新興国日本においてうまく機能したことが、渋沢の功績の一つだという点です。財閥系が圧倒的な力をもってその国の経済を牛耳っている新興国が多い中で、現在力を伸ばしているアフリカや東南アジアなどの新興国に、合本主義に基づく日本の経済発展方式が応用できるのではないか、というアイデアを得たことは収穫でしたね。
▼「温故知新」を忘れていないか
木村 昨年からの新型コロナウイルス感染症の世界的猛威では、国ごとの対応の差がはっきり出ています。コロナ禍の中で、中国の国家資本主義がより勢いを増している。管理監視体制とも言われますが、一応抑え込みに成功して、早々と経済活動を再開し、成長を遂げている。それに対してアメリカは、全く感染を抑え込むことができていない。このまま欧米や日本といった民主主義国が、コロナ禍を抑えることができないと、民主主義体制そのものに対する疑念がわいてくるのではないか、中国的な強権集中型の国家体制が見直されるような動きが出てくるかもしれません。でも中国の強制監視社会みたいな極端なやり方は、これまでの民主主義体制の立場からすると受け入れがたいものです。
そういったときに、渋沢の考え方がヒントになるように思うのです。国家による強権集中管理と自由民主主義の間をいくような、つまり人々が自由を享受しながらも道徳や倫理に重きを置くような考え方です。
渋沢が西洋を視察して、そこで得た学びを日本で実践しようとしたときには、そのままそっくり真似するのではなくて、必ず温故知新というか、不易流行というか、日本のそれまでの歴史とか伝統を踏まえたうえで、新しいものを取り込んでいきました。その上で自分たちなりの資本主義や商売のやり方を創出していきました。「合本主義」という言葉自体がそれを表していると思います。
守屋 そうですね。そもそも「論語と算盤」や「義利合一」といった渋沢のモットーは、それ自体がバランスを重視した考え方ですよね。この本をテーマに経営者の方々にインタビューしてきたのですが、論語を重視する人と、算盤を重視する人とに結構分かれるのが面白いと思いました。
現代の企業では、論語的な組織文化がまだまだ残っていて、もちろんそれは良い面もたくさんあるのですが、同時に問題点もあって、そちらのバランスにも目を配る必要があると感じています。企業の方々に話を伺っていて気になったのが、新しい挑戦がしにくいという声です。戦後日本を支え続けたような伝統的な物作りの会社などに顕著なのですが、年配者からゴーサインがなかなか出ないからできない、ということがまだあるそうなんです。
渋沢栄一は、そういうやり方をはっきり否定しています。『論語と算盤』の中に面白い一節があって、「親孝行は、親がさせるものだ」と書いてある。
木村 ありましたね。一見、何のことかわからない表現ですね。
守屋 これは、今話した企業内での旧弊にもつながるんです。その心は、自分たちが続けてきたことを子どもに強制するな、ということです。子どもには子どものやりたいことをやらせなさい、と。失敗する可能性もあるが、成功する可能性もある。その成功が、その家なり会社なりを救うと、結果的にそれは親孝行になる、という考え方です。
渋沢栄一の功績全体を一言でいうと、日本に近代を入れ込んだ人物です。そこまで視点を広げてみると、国全体で江戸時代からの価値観のほうがいいなと思っていたら、近代化なんかできっこなかったのです。若い世代にやりたいことをやらせないと、近代化は達成できなかった。結果的に、近代化の成功が国全体に返ってくる、と考えられます。
この考え方は、特に今の若い人たちや、組織内で決定権を持っている古参のベテラン勢に対して、強調して伝えたいことです。大きな組織で、若くてもいい芽がつぶされちゃう、チャレンジできないというのは、大局で見たときに本当に大きな損失だと思うので。
木村 おっしゃるとおりです。渋沢栄一自身、この「親孝行は、親がさせるもの」を実践していた人でした。何しろ481社とも言われるほどの会社の設立に関わっているわけですが、何か組織を立ち上げるときには、最初の枠組み作りはきっちりと関わるものの、その事業が軌道に乗ってからは適した人を後継者に選び任せるんです。
▼渋沢栄一の好きな人材
守屋 渋沢栄一が仕事を任せた人材というと、やんちゃなタイプの人を重用していますよね。
木村 そういうタイプの人物が、好きですね。
守屋 浅野セメントや浅野造船所などの「浅野財閥」を築いた浅野総一郎、大日本製糖の経営を任せ、後の東京商工会議所の会頭ともなった藤山雷太などが思い当たります。
木村 東京電灯会社、帝国劇場、帝国ホテルの設立で尽力した大倉喜八郎もそうですね。
守屋 渋沢自身が若い頃、やんちゃだったからというのも大きいでしょうか。
木村 おっしゃるとおりですね。
守屋 いい猛獣使いになれるのは、自分が猛獣だった人だというのはよく聞きます。渋沢栄一は、その典型ではないかと思います。先ほどの会社の事業を任せるか任せないかの話に戻りますと、仮に猛獣ではなかった人が偉い立場に就くと、部下の猛獣を使いこなせないのです。そして、使いこなせない猛獣の人材を首にしてしまったりします。
木村 城山三郎は小説『雄気堂々』の中で、渋沢栄一は建白魔だと書いています。建白魔とは、自分の意見を起案し、上司に対して積極果敢に問題提起します。彼はそれを次から次へとやっていきました。一橋家家臣として仕えていたときにも、慶喜に直接提言する機会が多かった。こんなところにも、渋沢自身の猛獣ぶりが垣間見える気がします。
守屋 慶喜の名前が出てきたところで、渋沢が上司として尊敬するのは、どのようなタイプとかありますか?
木村 終生尊敬し、一家臣として仕えた慶喜以外では、西郷隆盛のとてつもない大きさや包容力を尊敬していますね。慶喜と明治天皇との面会をともに取り計らった伊藤博文も、気が合った人物の一人です。その人の人となりをよく見ているな、という感じがします。とにかく人の見方が面白い。
▼コロナ禍に際して、渋沢ならば何をやったか
木村 今、コロナ禍の時代に、渋沢栄一がもし生きていたら、財界のリーダーとして全力を尽くしたに違いありません。渋沢は実業家であるとともに、慈善・奉仕事業の活動家としての一面も忘れてはなりません。コロナ対策で政治家や医療従事者のリーダーたちが奮闘して、その発言に私たちは注目していますが、経済界やそのリーダーの存在感が希薄なことが気にかかります。日本だけでなく世界を見渡しても、政治指導者や医療関係者に比べて、ビジネス・リーダーがリーダーシップを発揮する姿がほとんど見られません。
恐らく渋沢栄一であれば、こういう時代になったら、財界リーダーとしてコロナの対策のための基金を設けて、最前線で頑張っている医療従事者たちを支援したでしょう。政府が支出しないんだったらわれわれ経済人が出すぞ、というような旗を振っていたと思うのです。政府とは一味違う機動力を発揮した支援を言い出す財界人が、今の時代にも出てこないものかと思って見ています。
守屋 確かにそうですね。
木村 商工会議所や経団連も、経済活動自粛に対する救済措置のさらなる充実を、政府に要請していますが、こういうときこそ自分たちも政府に協力してコロナ対策を手伝おうという発想や行動が見られません。民間企業こそが天下国家のために公益の追求をすべき、それが社会的責任であるという渋沢の考えに立ち返ってほしいなと願っています。
▼老若を問わず必読の『論語と算盤』
守屋 ビジネス界のリーダー層をはじめとして注目と人気を集めている渋沢栄一ですが、『論語と算盤』ではけっして経営者だけに向けて語っているわけではありません。むしろそうではない多くの人に向けて、ぜひ大切にしてほしいと強調しているのが信用です。『現代語訳 論語と算盤』の読者の方々からの感想として一番多いのは、この本を読んで生き方の芯ができた、という趣旨のものです。
私たちはなぜ働くのか、働くにあたって何が重要なのか、働いている中から何を得るべきなのか。社会人として常に抱いているそういった問いへのヒントが、まさに書いてある本なんです。その中核に、信用というものがあると私は思っています。ぜひこの点を意識しながら『論語と算盤』を読み進めていただくと、生き方や人生を考えるうえで、本当に役に立つ本になるのではないでしょうか。
木村 同感です。私が渋沢栄一の本の読みどころとして挙げたいのは忠恕(ちゅうじょ)の精神です。相手を思いやるという意味です。渋沢自身は相手の状況や立場に立って考え、伝えるということを大切にしていました。ヘイトスピーチやネット上の誹謗中傷などを見ても、人々に忠恕の精神が欠けているのではないかと思います。若い人には、ぜひ忠恕の精神、つまり相手の立場に立って思いやるという姿勢をもって、多文化共生社会を目指す未来を生きていってほしいですね。
さらに、自分を含めての中高年層には、若い人の意見に耳を傾け、積極的に取り入れることを渋沢から学んでほしいと思います。渋沢は若い学生とも積極的に面談し、かといって上から目線で訓示をたれるわけではなく、彼らからも公平に、民主的に意見を聞き、新しい情報をどんどん取り入れていました。生涯忘れてはならない姿勢だと思います。
――なるほど。生き方に迷っている若い読者の方にも、より人生を高めていきたい中高年の読者の方にも、渋沢栄一から学べることは非常に大きいということがよくわかりました。
『現代語訳 論語と算盤』(渋沢栄一著、守屋淳翻訳)は、渋沢自身が残した言葉を読みやすい現代語訳で、その精神や思想を分かりやすく知ることができます。『渋沢栄一――日本のインフラを創った民間経済の巨人』(木村昌人著)は、年代順に渋沢の生きざまの全貌を知ることができ、人脈、立身、偉業のすべてをわしづかみにできる一冊です。ぜひこの機会に、読者の方々に手に取ってもらいたいです。
(対談収録日=2020年11月17日)