PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

会話と間取り
会話について・2

PR誌「ちくま」9月号より佃良太さんのエッセイを掲載します。

 間取りが会話を作っているのか、会話が間取りに作られているのか。
 中学生の頃、ひと夏を母方の祖父とふたりきりで過ごしたことがある。祖母が亡くなり、その後に大病で入院をした祖父は精神的に塞ぎ込んでいて、広い一軒家にひとりきりではさらに元気を無くしてしまう、ということで僕が派遣されたのである。
 僕と祖父とは、言葉があまり通じない。祖父がかなりあくの強い鹿児島弁で話すからだった。だから僕には祖父の言葉がほとんどわからず、ふたりきりで過ごすのはとても難儀なように思えた。
 しかし、僕と祖父は穏やかに夏を過ごすことができた。それは何より、この広い一軒家の「間取り」のお陰だと思っている。
 祖父の家は、5LDKの大きな平屋建てだ。玄関を開けると昔ながらの広い土間があり、そこをあがると、居間と、その奥に台所、そして左手側に四つの和室が見える。ふすまを開ければ、居間からどの部屋も見渡すことができる、廊下の無い間取りになっていた。そして和室の一番奥には仏間があり、その南は縁側になっている。縁側からは、祖父が手入れをしている綺麗な松の木が見えた。
 正月になると、この家に大家族が集まった。母は三姉妹の次女で、姉夫婦には成人した息子が三人、妹夫婦にも二人の息子がいる。そして、皆鹿児島弁を話す。
 僕は当然、誰が何を話しているのかわからなかった。しかし、この家で会話をする様子を見ているだけで、家族間の力関係だけは把握できたのだった。
 伯母と叔母の仲は悪いらしい。一人が台所に立つと、一人は居間にいる。それでも取り繕うような会話はしていて、居間にいる伯母がなにか胸に一物を抱えると、これ見よがしに仏間へと移動した。仏間と台所の間に居間がある形なので、二人は互いに、居間にいる祖父と会話をする。会話の内容はまるでわからなかったが、台所と、仏間で、なにかがせめぎあっていることだけは伝わってくるのだった。そして、どうやら女同士の間で、仏間は、台所には勝てないらしい。なんとなく、年を追うごとに妹が実権を握っていくのが、僕にはわかった。
 男しかいない従兄弟同士にも、力関係がある。一番上の兄が、祖父にも負けず劣らずの権力を握っていて、他の兄弟たちを近づけなかった。弱い従兄弟たちは、仏間と居間との間の、中途半端な和室で過ごすことになり、必要な時だけ「おい」と、ふすまの向こうから声が降ってくるのだ。だから、弱い従兄弟達にとっては、居間のふすまこそが、一番強い従兄弟の姿であり、恐れるべき象徴のようだった。
 日本家屋の古き良き間取りの中で、女と女、男と男の関係が築かれていく。僕は、言葉がわからなかったからこそ、その不可思議なシステムと、それを利用して会話を紡いでいく人の営みを、知ることになった。
 そして、祖父との夏休み。
 僕は、努めて、亡くなった祖母がいた位置に座ることにした。祖父が土間で煙草を吸っている時、祖母が座っていた居間に座る。祖父が祖父の和室にいる時、僕は祖母の和室に座る。言葉はわからなかったが、話しかけられたら、「うん、うん」と肯いた。
 祖父は安心しただろうか。僕は今でも、言葉よりも間取りの力を信じている。

PR誌「ちくま」9月号