宿題の認知科学

逆さま文字、何が逆さま?

最終回、いよいよ「鏡文字」の謎に迫ります!

 こんにちは、「子どもの宿題や課題に見られる珍プレーを認知科学してみたい!」で始まった連載もついに最終回12回目を迎えました。ここまで読んでくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 今回は満を持して、ずっと気になっていた子どもの逆さま文字を取り上げたいです。そしてさらに、「鏡文字」と「鏡文字もどき」(逆さまだけど鏡像じゃない)の違いについて考えるきっかけになったいくつかの珍プレー答案をご紹介してみたいと思います。認知科学一般において、人間の能力のなかでも記憶に関わることと、操作(演算)に関わるしくみの違いをひもとくのはいわば共通の関心事だといえます。今回はそういう意味での心理言語学的な見方で「逆さま文字」を見ていく予定です。

 さて前回は往年の(?)「犬」と「太」問題について取り上げました。漢字の記憶の単位としては「犬」も「太」も、まるごとのビジュアルで貯蔵されていて、その都度間違った方が取り出されていると考えるべきなのか?それともあるいは、「大」と「、」というパーツ(字素)に分かれていて、それらは別々の部品として存在するのか、犬真面目に考察しました。そして息子のやらかす「犬」と「太」事案の多くは、おそらく後者、つまりパーツの配置ミスだという見方ができるようだと。下の写真の左上(青丸で示す)の例を点の向きも含めてみてみると、「実在する字素(パーツ)の、実在しない組み合わせ」が、まさに配置ミスにより生成された例ではないかと思えます。
 


 その流れでさらに他の漢字の例もみてみましょう。下に挙げたのはへんとつくりを左右逆にしてしまうパターン(青丸で示す、「陸」の間違い。「こざとへん」と「おおざと」はそもそも紛らわしいから無理もない)は、それこそ、「阝」と「坴」という単位というかパーツの形状に関しては記憶できている証拠だともいえます。

 ……あ、パーツの形がやっぱりバグってるやつもありましたが(↓問③。青丸で示す)、これも分類としては、左側と右側に分割できる単位の左右逆配置の例といえるでしょう。

 しかしこの写真を見ていると、問③に注目しようにも問④の解答も相当のインパクトで目が釘付けになっちゃうじゃあないですか(ピンクの丸で示す)。こちらはパーツの配置ミスというよりは、どちらかというと鏡像関係のように文字全体の姿が左右反転しているパターンであるようです(正確な反転ではなく、だいぶ崩壊してはいますが)。

 そう、これって、仮名の書き始めによく見られる所謂「鏡文字」と同じように生まれたものみたいですね。そう、ここでやっとたどり着いた本日のテーマ鏡文字。世界中の子供達にみられる現象で、私の手元の例もここでご紹介しきれないほどわんさかありますとも。ああこの頃は可愛かった……(遠い目)。
         「おおきさ253m せんかんやまと」の「か」が鏡文字
「しまありがと こたろ」の「ま」「あ」「ろ」が鏡文字。保育園卒園時に先生方にお送りしたカードです

 彼の場合、このように純粋に全体としての形が左右反転している、まさに王道的な「鏡」文字は、漢字の習い始めにも見られました。
                「虫」が鏡文字

 これらは、文字全体がまるごとの記憶単位をなしていて、その形状を把握・記憶・取り出し、を行うどこかの段階での難しさだと位置づけられるでしょう。おそらく多くのご家庭でも「それもある!」と言ってくださっている?

 このような、純粋な鏡文字、つまり全体が左右反転された文字が生まれる理由としては、大脳の左右それぞれの半球の発達のバランスが未熟であるからだという指摘をはじめ、眼球の動かし方や通常の姿勢の向きからでは上下の判別に比べ左右の識別が難しい、あるいは垂直方向の空間特性を捉えるのに必要な認知能力の発達が小学校中学年くらいまでは追いついていない、などいろいろな説明が試みられています(後述の田中2002に詳しい解説があります)。

 一方、小さい子にありがちなある意味「逆さま文字」だけど、実は鏡文字ではない、というケースも。下の写真の青丸部分は「ぼく」の「ぼ」と書くべきところ。濁点はどこにいっちゃったのかわかりませんが、残された「ほ」については、純粋な鏡文字(全体を左右反転させたもの)ではなく、「ほ」を無理矢理左右のパーツに分けた後に、左右逆に配置しています。その意味では、同じプリントの下の方にピンクの丸で印をつけた「いく」の「く」(純粋な左右反転)とは異なるしくみで起こる間違いといえます。

 これらは厳密には鏡像ではありませんので、「鏡文字もどき」とでもいうべきでしょうか。どちらかというと冒頭で言及した、パーツ配置ミスに分類されるほうですね(左右に分けられそうな仮名はもともと少ないので、なかなか発見しにくい例ではあります)。

 というわけで、漢字であれ仮名であれ「逆さま文字」界においても、ひとつの単位(漢字全体、またはそれを構成するパーツ)そのものの向きが定着していない場合と、パーツは再現できているのにその(主に左右の)配置位置において間違いが起きるという場合にやはり分けられるようです。年齢とともに解消する場合もあれば、文字の形を覚えることが生来苦手であるという個性を抱えたまま大人になることもあるかもしれません(パワーポイントでなく板書の時代に教員をしなくて良かった、私!)。

 さらには、文字以外においても、こうした、「パーツそのもの」と、「パーツの構成の仕方」が、異なる知識であること、そしてともすれば発達の順序も異なることを示唆する調査結果があります。田中敏隆さん(田中2002)によると、a.のような図形を見せて、残りの図形の中からそれと「一番似ているのはどれ?」という質問を子どもにすると、3~4歳ではb.,c.,d.の選ばれる割合はそう違わないそうです。しかし4~5歳児ではc.が特に選ばれる傾向が高くなり、その傾向は5~6歳児でさらに強まるとのこと。個別のパーツひとつひとつを別々に評価するというより、図形全体のパターンの類似(右下に黒、あとは白)が重要視されることがわかります。ところが8~9歳になるとa.と一番似ているものとしてはd.が選ばれる傾向が顕著になるそうです。要素相互間の関係を判断し、「配置は同じで、回転させただけ」であるものが優先されるということでしょうか。
 

 このことがそのまま文字の知識に当てはまるとは限らないにせよ、複数のパーツの構成が全体をなすという意味で共通する漢字の知識においても、全体をまるごとビジュアルとして判別する知識、個別のパーツに関する知識、それらパーツの配置に関する知識が役割分担しながら関わっていると考えることができそうです。

 それにしても……次の漢字まで越境しないでください!

 

 

2021年9月24日更新

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連載目次

広瀬 友紀(ひろせ ゆき)

広瀬 友紀

大阪府出身。東京大学総合文化研究科教授。専門は心理言語学、とくに言語処理。著作に『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』『ことばと算数――その間違いにはワケがある』(ともに岩波科学ライブラリー)がある。言語発達過程の子供がどのようにその知識を運用するかに関心を寄せ、まだまだ続く息子の珍プレーに喜ぶ日々。