キッドのもと

新宿キッド
ちくま文庫『キッドのもと』一部ためし読み

8月刊行、浅草キッド渾身のセルフ・ルポ、ちくま文庫『キッドのもと』から、玉袋筋太郎「新宿キッド」を大公開!

  オレの生まれ故郷は東京都新宿区の「西新宿」。大都会の新宿をつかまえて「生まれ
故郷」っていうのもなんだか違和感があるでしょ?  故郷といえば、山があって川が流れていて、雄大な自然に囲まれているイメージがあるからね。でもオレにとって、西新宿はやっぱり故郷なんだよな。
 オレが生まれたのは、西新宿一丁目十四番地四号。昔は「角筈(つのはず)」って呼ばれていたところで、今で言うとヨドバシカメラ本店の近所だな。オレが子供の頃は、ヨドバシカメラだって普通の街のカメラ屋でさ。オヤジがカメラ好きで、写真を焼くのは必ずヨドバシカメラでって決めてたから、うちにあるオレが小さい頃の写真は全部ヨドバシカメラで焼かれたものなんだ。
 あの界隈には、他にも銭湯や八百屋、魚屋や酒屋なんかが並ぶ、普通の街の風景があったんだ。今では、平日だって人でごった返す大都会だからさ、かつては西新宿一丁目にもゆったりとした時間が流れていたなんて、知ってる人は少ないだろうな。 オレが通った幼稚園は淀橋第二幼稚園。ロケーションとしては、完成したばかりの京王プラザホテルの目の前だった。今でこそ新宿には超高層ホテルはたくさんあって珍しくもなんともないけど、当時は四十七階建てのホテルなんて他にはなかったからねぇ。幼稚園からの帰り道、迎えに来てくれたお袋と京王プラザの喫茶店に行ったり、そのまま展望台に上って高いところから昭和四十年代の東京を眺めたもんだ。
 小学校は新宿区立淀橋第一小学校。当時、淀橋には第七小学校まであったぐらいだから、結構な数のガキがいたって話だよ。現在、都庁が建っている場所には、もとは「淀橋浄水場」っていうでっかい浄水場があってさ。オヤジなんかは、ガキの頃よくこの浄水場で泳いだなんて話をしてた。淀橋浄水場が取り壊された跡地は、野球場が四面とれる大きな空き地になり、小学生時代には、オレもよくそこで野球をしてたなぁ。新宿の高層ビル群の麓(ふもと)で子供たちが野球してる風景なんて、今じゃ想像もできないだろうけどさ。

 京王プラザができて以降、ニョキニョキと建ち出した住友ビル、三井ビル、明治安田生命ビル、野村ビル、新宿センタービルなどの高層ビル群、そして、小田急百貨店、京王百貨店、伊勢丹などのデパートの中も、オレにとっては格好の遊び場所だった。高層ビルは最上階まで高速エレベーターを使わないでさぁ、非常階段を使って駆け上がっていくんだ。エレベーターだと展望ロビーまでは一瞬だ。他の大人の乗客が乗っていると、向こうは「なんで、こんなビジネスビルのエレベーターの中にガキたちが乗ってるんだ?」って顔してるんだよ。そういう視線を感じるとさ、騒いだりできないけど、非常階段だったら、いるのはオレたちだけだから、遠慮なく友達とバカ話をできて楽しい時間になるんだよ。小学生の足で五十階建てのビルを上るんだから、まぁ大変なんだけど。ヘロヘロになりながら、なんとか最上階にたどり着いたら、展望ロビーで景色を見てさ。
 帰りも、もちろん使うのは非常階段。ただ、階段をそのまま下りるのもつまらないので、なんとかゲーム性が出るようにいろいろと工夫してた。たとえば、階段の手すりの十センチくらい開いた隙間が五十階から一階まで繋がっているのを利用して、その隙間にひとりずつ消しゴムを落として誰が一番下まで落とせるか、なんて遊びをしたりしてさ。
 ただ、非常階段で遊ぶなんてもっての外で、しかも大騒ぎしてるもんだから、ビルのガードマンにすぐに見つかっちゃうんだよ。調子に乗って何度も消しゴムを落としてると、決まって下の階にいるガードマンが手すりの隙間から顔を出して「コラ〜ッ!!」って怒鳴るんだ。
 で、オレたちを取っ捕まえようと、下からすごい勢いで階段を上ってくるわけ。こっちも必死に階段を駆け上がって逃げるんだけど、今度は上の階からも別のガードマンが下りてきて、あわや挟み撃ちに! でも、ビルの脱出ルートについてはガードマンよりもオレたちのほうが詳しかったから、間一髪のところで非常階段から飛び出して、高速エレベーターに乗って地下まで一気に逃げたりしてねぇ。
 夏の夜には、ロケット花火と爆竹を大量に買い込んで、ビルの暗がりでいちゃついてるカップルを爆竹で驚かせたり、何階ぐらいまでロケット花火が届くかビルに向けて発射したりと、もうやりたい放題だった。もちろん、それでガードマンに見つかって追っかけられるんだけど、逃げ足だけは速かったから、結局捕まったことは一度もなかった。

 夏休みになると、毎日のようにデパートにも通ってたなぁ。なにしろデパートは、エアコンが効いていて涼しかったからさ。
 遊びに行く時は、決まって朝一番、開店と同時に突入するんだ。まずは入り口で、キレイなデパートガールのお姉さんが「いらっしゃいませ」と丁寧に頭を下げてくれる。その時の気持ちよさと言ったらないよ! あの快感があったから、今でも高級なお店の女性に接客で頭を深々と下げられると、なんだか懐かしくなっちゃうのかな?
 で、店内に突入したら、使うのはエレベーターじゃなくて、エスカレーター。そしたらフロアごとに、一番のお客さんに店員さんと売り場責任者の背広を着たおじさんが頭を下げてくれるんだ。鼻水垂らした小学生に対して立派な大人が次から次へと、だよ。こっちも調子に乗って、「やぁ、やぁ」なんて手を挙げたりしてね。ったく、我ながら憎ったらしいガキだよ、ホント。
 目的のおもちゃ売り場じゃ、LSIベースボールゲーム(懐かしい!)や発売されたばかりだったテレビゲームのブロック崩しで遊んだりさ。もう、ズ〜ッとオレたちがやりっぱなし!
 違う小学生も来るんだけど、オレたちが凄むとすぐにひるんじゃってさ。向こうは親と一緒に来ているから、ケンカになったら自分たちが怒られちゃうしね。オレたちは子供だけだから、怖いもんなしで遊んでるわけ。親に連れられてデパートに来るヤツなんざ、ガキじゃねぇんだからカッコ悪い、と思ってた。とかいって、まあ、オレたちもガキなんだけどさ。
 仲間たちとデパートで遊んで、腹が減ったら地下の食品売り場の試食品で腹ごしらえ。特に肉屋さんの試食がベストなんだ。焼きたてのステーキを一気にさらったりして。貧乏なヤツはタッパー持参して、「これ、カァちゃんに食わせてやるんだ!」だって。ホント、たくましいよなぁ。 伊勢丹の手品グッズ売り場(ブレイク前のMr.マリックさんもここで働いていた)では、もう何度も同じマジックを見てるもんだから、周りの人にタネをバラして手品師のオジさんにぶん殴られたりしてさ。よっぽど腹が立ったのか、ガキ相手のやさしい殴り方じゃなかったんだよなぁ。
 で、ある日、その頃はもうめったに親とはデパートに行かなくなってたんだけど、おふくろが伊勢丹に行くっていうんで、一緒について行くことにしたんだ。どういう風の吹きまわしだったんだろうね。
 退屈な洋服の買い物に付き合った後、オレはお袋に「手品セットが欲しい」とおねだりした。本当は、手品セットなんて別段欲しくもなかったんだけど、ちょっとしたいたずら心が芽生えてね。
 自分の買い物に付き合わせた手前、お袋は渋々、手品グッズ売り場まで一緒にやってきた。以前オレたちを殴った手品師は、オレを見るなり「懲りずにまた来やがったか!」って顔をしたが、今日はお袋と一緒だ。
 「お母さん、ここの手品屋さんだよ」
 手品師はお袋を見るや、殴られたことを母親に言いつけて文句を言いに来たと思ったのか、表情がみるみる曇っていく。
 「お母さん、あの手品セットが欲しいんだよ」
 「どれ? どの手品セット?」
 お袋はオレに言われるまま、手品セットに目をやった。そこからの手品師の喋りが笑
っちゃってさ。いつものオレたちに対する高圧的な態度とは全然違う猫なで声で、
 「お母様、息子さんくらいの年齢でしたら、こちらのセットがオススメですよ」
 なんて言ってやがんの。その態度がおかしくてさ。内心、いつもみたいに「またお前らか! この野郎!」って口調で喋ってみろよって思いながら、冷や汗ダラダラの手品師に対して、こっちはニヤニヤ顔だよ。
 この日は結局、お袋が手品セットを買ってくれた。
 「ありがとうございます」
 頭を下げる手品師に向かって、オレは
 「また遊びに来ていいですか?」
 と聞いてみた。そしたら、
 「はい、お待ちしてます」
 だってさ!
 それ以降、手品グッズ売り場に行ってオジさんをからかっても、前みたいに怒られることはなくなった。買い物をしたオレは客であり、もう悪ガキ扱いできなくなったんだろうね。オレたちが悪ガキだったのは確かだけど、さすがに子供相手にあの時の殴り方はないと思ってたから、オジさんに対してオレなりに報復してみたんだ。やっぱり、ひでえ悪ガキだったよなぁオレ!

 また、今じゃ歌舞伎町には映画館はほとんど残ってないけどさ、かつては一般作品を上映する劇場だけじゃなくて、名画座やポルノ映画専門、ヤクザ映画専門など、多い時で四十館近くの映画館があった。まぁ、街全体が巨大なシネコンみたいなもんだったんだな。シネコンっていっても、そこは歌舞伎町。ヤクザや不良学生、オカマ、娼婦、ジャンキー、ホームレスなんかがゾンビのように溢れかえっていて、風紀がめちゃくちゃ悪いすげえデンジャラスなシネコンなんだよ。
 そんな〝歌舞伎町シネコン〟でガキの時に観た映画っていうのは、映画の中身だけじゃなく、映画館の匂いや道中での出来事まで記憶が身体に染み付いている。
 たとえば、小学生の頃に封切られた、松本零士の人気アニメ『銀河鉄道999』。初日の一回目の上映で観るために、前日の夜から友達とドキドキしながら歌舞伎町の映画館に徹夜で並んだ。小学生が歌舞伎町で夜を過ごすなんて危険極まりない行動だ。
 案の定、深夜、赤マムシドリンクを飲まずに鼻で吸っている(瓶の中に入れたシンナーを吸ってるんだな)ラリった怖い兄さんにカラまれた。
 「なんの鉄道がここから出るんだぁ〜。オレも乗るぞ〜」 そいつが連れていた彼女はもっとラリっていて、
 「このマンガ知ってるぅ〜。電車に乗るんだよぅ、もう、電車、走るから、行こうよ〜」
 と大声で叫んでる。
 映画では、主人公・星野鉄郎はメーテルへの愛情、そして別離を経て、「さらば少年の日よ〜」と一人前の男に成長していく。そんな鉄郎の大冒険に夢中になったオレは、
 「メーテルもハーロックもいないこの歌舞伎町で、一夜を過ごしたオレは鉄郎よりも強
い!」なんて思ったりもしたっけか。

 さっきから繁華街を舞台にした話ばっかりしてるから、もしかしたら「新宿には自然がないからかわいそう」って思った人も多いかもしれないけど、大間違い。新宿御苑なんて大自然よ。
 隣接する新宿高校のグラウンドのフェンスをよじ登って、潜り込んだら御苑の裏の塀。ここは、ちょうどガキが通れるくらいの広さだけぶっ壊れてて、そこから御苑の中に潜入できたんだ。
 正面から普通に入ってもいいんだけど、オレたちは悪さをしに御苑に来てるから堂々とは入れないワケ。まあ、「悪さ」って言っても、ザリガニ釣りなんだけどさ(笑)。 タコ糸と駄菓子屋で買ってきた串に刺さった二十円の酢イカで釣るんだ。で、バケツいっぱいのザリガニを捕まえたら、今度はザリガニをバラして池で泳いでるでっかい鯉を釣ったりしてた。
 一度、調子に乗って、閉園後の夜の新宿御苑に忍び込んだこともあった。それがヒドい話でさ。一緒に行った友達の中に、ボロいオモチャの懐中電灯しか持ってないヤツがいたんだけど、途中でそいつの懐中電灯の電池が切れちゃったんだよ。そしたら悪い虫が騒いじゃってさ。真っ暗な中にそいつひとりだけ置き去りにして帰っちゃった(笑)。
 静まり返った夜の新宿御苑に、「待ってよ〜!」って今にも泣き出しそうなそいつの
叫び声が響き渡ってたよ。

 山も川もなかったけど、代わりに高いビルの間を毎日たくさんの人の川が流れていた大都会、西新宿。都市開発の波に飲み込まれてしまって、オレの通った学校は、幼稚園も小学校も中学校も全部なくなっちまった。近所に住んでた友達もみんなバラバラになって、今ではどこにいるのだかまったくわからない。
 あの頃からすっかり様変わりしちまったけど、それでも今も一日に一回は新宿の街を通らないと、なんだか気持ちが落ち着かないんだよね。
 やっぱりオレにとっては生まれ故郷なんだよ、西新宿は。

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