PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

フェリーニのスケッチ画

忘れられない絵・1

PR誌「ちくま」2月号より丹治匠さんのエッセイを掲載します。

 フェリーニの描いたスケッチのなんと自由なことか。僕は時々、彼の絵を眺めて「自由」を充電することがある。
 イタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニは、映画監督になる前は風刺画家だったらしい。映画を生業としてからも、自身の映画のためのスケッチとか、夢のスケッチなど、生涯を通して絵を描いたということだ。僕自身は大学生の頃、池袋の書店で立ち読みした彼の映画に関しての分厚い本の中に初めて彼のスケッチを見つけて、その自由さに打たれた。彼のスケッチは子供の絵のようにとても大胆な線と色彩でできていて、そこには「上手く描こう」という意識が微塵も感じられない。「他人にどうみられるか」ということから遠く離れているような彼の描線は他のどんな画家のものよりも自由だと思った。

 僕が絵の「自由さ」に憧れるのは「不自由さ」の裏返しでもある。僕はいつもどこか他人の目を意識して「不自由」に絵を描いているところがあって、だからこそフェリーニの絵のような自由な線に憧れるのだと思う。そういえば、美大を目指して予備校生活をしていた時にある友人と酒を飲みながら、「無人島に一生、一人でいるとしても人は絵を描くか?」というテーマでよく論争した。友人は結構真面目な性格のヤツで、「たとえ無人島に一人だとしても人は絵を描く」と断言し、僕は、「他人に見られないなら人は絵を描かないだろう」と言った。僕は絵を描くというのはそもそも「他人の目」を意識した行為だと思っていたし、彼みたいにピュアに芸術の自由を信じることができなかったのだ。
 当然、そんな自分にファインアート(純粋芸術)は向いていなかったようで、僕は美大の在学中から順調にそこから離れていって、現在は映画やアニメーションに携わり絵を描いている。仕事の中で、監督やプロデューサーと話をして絵を修正したり加筆したりするのは日常だし、他のスタッフや外の会社に発注した絵を描き直したりもする。ここでは絵はシェアできて、複製可能、発注可能な商品でもある。
 さて、そんなスレた絵描きの自分だが、己の描く線は「自由」であってほしいと思っている。だから自分の絵に「自由」が不足してるなと思ったら、フェリーニの画集を自由欠乏症の特効薬のようにして本棚から取り出し眺める。そうすると自分の線を信じることのできる勇気が湧いてくる。そうやって「自由」を充電し仕事に戻るのである。
 ちなみに先述の友人は美大を卒業後、陶芸家としてストイックにやっており、僕達は今でもたまに酒を飲んで話すことがあるが、会話の内容は昔と変わらない。彼は今でも芸術の自由と純粋さを訴え、僕はそれが難しいということを話す。僕はいつも彼と話をしながら、彼が、映画『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスみたいに無人島の海辺に裸で座って絵を描いている姿をイメージする。
 

PR誌「ちくま」2月号

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