ごっこ遊びの好きな子どもだった。家族ごっこ、刑事ごっこ、当時人気だったテレビアニメのナントカごっこ。大きくなってもやめられなかった。ほんとうに、中学にあがるギリギリまでそういうことをしていたように思う。ひとりで。
ごっこには仲間がいた。わたし以外には見えない。
仲間とは次の敵を倒すための作戦を練ったり、時計型ライトひとつを頼りに鍾乳洞から抜け出す方法を考えたり、近所のひとり息子が起こした不祥事について意見を交わしたり、たしかに状況証拠はあの男が犯人だと語っているけれど、それを盲信するのはまずいんじゃないか、というようなことを話しあったりした。
あのころのわたしは、常になにか緊急かつ重大な事件にとり組んでいた。仲間と一緒に。
ただ、仲間とちがってわたしは小学校にも通わなければならなかったし、そこには仲間のほかに、消しゴムでこすると色が変わるペンで目がチカチカする日記を書いて交換したり、好きな男の子のイニシャルを教えあったりする友だちもいたので、生活には大変苦労した。
二十分ある休み時間には必ずビオトープへ行く。そこは桜の木があったり、背の高い草が生えていたりして、仲間とやりとりするにはちょうどよかったから。たっぷり二十分、仲間と話しあい励ましあいときには決裂したまま、教室へ戻る。
はっきり言って不気味な子どもだったと思う。生き物にも植物にもなんの興味もないくせに、ほとんど毎日ビオトープまで行っては物陰にしゃがみ、ひとりぶつぶつとやっているのだから。
たぶん、敵を倒す、鍾乳洞を脱出する、真犯人をつかまえる、そのことよりも、それを達成するまでの過程(会話、あるいは作戦会議)が重要だったのだと思う。それがなくては学校という、あの不合理で混沌とした場所にいられなかった。難事件にこころを砕いていなければ、音読も、計算ドリルも、友だちにおはようと言うこともできなかったと本気で思う。
友だちと交わすのがチカチカの日記からチカチカのメールへ、イニシャルからベッドインまでに踏むべきいくつかのステップへとかわり、学校から世の中あるいは社会へとフィールドが拡大する中で、自然、仲間も姿をかえた。
それはたいてい、そのときいちばん好きなひと(主に恋愛をしている相手、まれに信頼のおける友人)のかたちをしている。
目下とり組む事件は、鍾乳洞脱出ほど緊急でも重大でも切実でもないけれど、都合よくというべきか、いつまでたっても解決しない。おかげで我々は日々、話しあい励ましあいときには決裂さえする作戦会議を延々とおこなう羽目になる。
不条理で猥雑で危険に満ちたこの場所にいつづけるために。