◆はじめに
ウイルスと聞くと、きっとみなさんは、本当にやっかいで、憎たらしいやつ、と思うのではないでしょうか。
新型コロナウイルスのおかげで、いつもマスクをしなくてはならなかったり、行きたいところに自由に行かれなかったり、会いたい人に会えなかったり。
みなさんだけではありません。感染症の専門家からも、「この新型コロナウイルスは、まったく厄介で意地が悪い」という声が聞こえてきます。
それもそのはず。流行の山が収まりかけたかと思うと、また次の流行が起きる。次々と変異株が登場し、それまでのウイルスと置き換わる。
多くの人にとっては軽症や無症状で、見えないところで感染が連鎖していく。それが高齢者施設など弱い人のところに行ってクラスターとなって表面化する。
まったく手を焼かせます。
でも、もちろん、ウイルスは意地悪をしようと思っているわけではありません。当然のことながら、意思があるわけではありません。
それどころか、ウイルスは「生物」とさえ言えないような存在です。
なぜなら、自分自身だけで生き続け、増えることができないからです。
その点で、ウイルスはとても不完全な存在といってもいいでしょう。
にもかかわらず、なぜ、世界中に広がり、社会を大混乱に陥れているのでしょうか。
それは、ウイルスが生物の細胞に寄生し、乗っ取ることで増えていく性質を持っているからです。
ウイルスは自分だけでは生きられません。代わりに、生物の体に侵入し、相手の細胞を利用して増殖し、また、次の相手に感染し、その細胞を乗っ取って増殖するということを繰り返しているのです。
もし、乗っ取る相手がいなかったら? ウイルスの運命はそこまで。生き延びることはできません。
言い換えれば、ウイルスは動物や植物(時には細菌)が増やし、動物や植物が運んでいるのです。
もちろん、この「動物」の中には「人間」が含まれます。
だからこそ、人間がどのように行動するかによって、感染者が増えたり減ったりするのです。
どこかに感染者がいても、その人の細胞から飛び出したウイルスが、次に飛び移る相手を見つけられなければ、ウイルスは増え続けることができません。
たとえ、ウイルスに栄養を与えてシャーレの中で育てようとしても、ウイルスは育ちません。乗っ取る相手の細胞がなければなりません。
これが、大腸菌などの細菌と違ちがうところです。
新型コロナウイルスがあっという間に世界に広がったのは、ウイルスが自分で旅をしたからではありません。
世界中を旅する人間の体に乗っかって旅しただけです。
昔、飛行機がなかったころ、ウイルスは船で海を渡る人間の体に乗って旅をしていました。
たとえば奈良時代の日本。735年(天平7年)、737年(天平9年)に天然痘の流行が起きました。人口の2~3割が死亡したともいわれる大流行です。
この流行で時の権力者も死亡し、政治にも大きな影響が出ました。
奈良東大寺の大仏は、こうした社会の混乱を収めることを願って聖武天皇が建立したものだそうです。
ではなぜ天然痘の大流行が起きたのか。発端のひとつは、唐に送られた遣唐使や新羅に送られた遣新羅使の人々が中国や朝鮮半島で感染したまま戻ってきたことだと考えられています。
また、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、欧州から天然痘などの感染症が持ち込こまれ、先住民に大きな被害を与えたと考えられています。
ウイルスが感染するのは人間だけではありません。さまざまな動物に感染し、相手を利用します。
そして、このことが、今回の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)や、インフルエンザ・パンデミックの発生と密接に関係しています。
動物が持っているウイルスは、普通は人間の世界で流行を起こしたりしません。でも、遺伝子が少し変わって人間にも感染しやすくなると、新しい感染症として流行が起きることがあるのです。
たとえば、新型コロナウイルスは元をたどればコウモリが持っているウイルスだと考えられています。
SARSのウイルスも、エボラ出血熱のウイルスも、元はコウモリのウイルスだと思われます。
インフルエンザ・ウイルスは、鳥・豚・人間の間を渡り歩いて、ある時、パンデミックを起こします。
こうした、動物から人間へのウイルスの飛び移りは、人間が動物と接触する機会が増えれば増えるほど、起きやすくなります。
動物の住処である森林を伐採して開発したり、大量の家畜を飼ったりすることは、パンデミックのリスクを高めると考えられています。
こう考えてみると、目に見えない小さなウイルスが、実は人間社会を映す鏡なのだという気がしてきませんか?
この本では、まず第1章で「ウイルスは生き物なの?」としてウイルスの全般的なお話をし、第2章で「新型コロナウイルスにはどんな特徴があるのか」について、第3章で「新型ウイルスはどこから?」としてその由来を紹介します。第4章では「ウイルスと人類の闘い」について、第5章の「感染症は社会を映す」では、感染症と私たちの社会の関わりについて考えます。