PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

『シラノ』の美醜
今年見たミュージカル映画をめぐって・2

PR誌「ちくま」9月号より円堂都司昭さんのエッセイを掲載します。

 ジョー・ライト監督『シラノ』は、十九世紀末のエドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』のミュージカル化だが、原作にわりと忠実な映画化だった。シラノは幼なじみのロクサーヌを愛しているが、容貌に劣等感があり打ち明けられない。彼女は美男のクリスチャンと想いあうが、彼には機知がない。軍で友人になったシラノがクリスチャンの恋文を代筆し、愛の告白の黒子になる二人一役が始まる。
 悲喜劇のポイントは、美醜だ。原作のシラノは、鼻が巨大と設定され、過去の舞台化、映画化では付け鼻で演じられることが多かった。二枚目の俳優が、あえて正反対の役回りを演じる面白みを打ち出した例も少なくない。一方、『シラノ』は、鼻の設定をとりさり、小人症のピーター・ディンクレイジを主役にした。大胆なキャスティングだが、彼は以前に舞台版(映画の脚本も担当したエリカ・シュミット演出)でもこの役を演じていた。剣豪としての凜々しさ、本心を隠す苦しみなど表情には説得力があり、歌声も低音に魅力がある。
 映画でディンクレイジと並んで挑戦的な起用だったのは、クリスチャン役の黒人俳優ケルヴィン・ハリソン・Jrだ。劇中でクリスチャンは、原作と同じく美男として登場する。軍隊のなかでいじめられるのも新入りだからであり、シラノが姿ゆえに差別されても、クリスチャンが見た目で差別される描写は特にない。原作戯曲の誕生を題材にした映画『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』(二〇一八年)でアレクシス・ミシャリク監督は、ロスタンは行きつけのカフェの教養ある黒人店主オノレからシラノというキャラクターの着想を得たとする物語を創った。オノレは、肌の色から偏見を持たれるのだ。だが、『シラノ』のクリスチャンは、そうではない。
 アンドリュー・ロイド・ウェバー作の有名ミュージカル『オペラ座の怪人』(一九八六年)で今年、正式キャストとして初めてアフリカ系のエミリー・クアチョウがヒロインに抜擢され話題になった。また、ディズニーは二〇一七年に『美女と野獣』を実写映画化した際、一九九一年のアニメ映画に比べ多様性を強調し、冒頭の舞踏会の場面から白人と黒人が一緒に踊っていた。『オペラ座の怪人』は醜い顔を仮面で隠した男の物語であり、『美女と野獣』では、醜い老婆を邪険に扱った王子が罰として魔法で野獣にされる。二つの古典は美醜による差別がテーマだが、近年は人種的多様性を確保した配役が目指されてきた。
『シラノ』もそういうことだろう。ただ、そこでは、マイノリティはマイノリティが演じるべき、芝居の役はすべての人に開かれているべき、という二つの基準が並存している。また、美醜の差別という問題の指摘と、人種差別のないユートピア的演出が同居している。受け手としては、美醜判断と人種の問題は切り離せるのか、作品がどこにリアリティの基準をおいているのか戸惑う。それは作り手の不徹底なのか、差別問題に半端な対応しかできない現実を写しとったととらえるべきなのか、判断できない。むしろ、その居心地の悪さを味わい内省すべきなのかもしれない。

PR誌「ちくま」9月号