PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

『ウエスト・サイド・ストーリー』の男女
今年見たミュージカル映画をめぐって・1

PR誌「ちくま」8月号より円堂都司昭さんのエッセイを掲載します。

 スティーヴン・スピルバーグ監督がリメイクした『ウエスト・サイド・ストーリー』(二〇二一年。日本公開は今年)を興味深く見た。だが、もとになった一九六一年の映画『ウエスト・サイド物語』を久しぶりに見直すと、スピルバーグ版で今日的と感じられた人種間の対立、移民の貧困、ジェンダーの不平等といったモチーフの多くが、すでに盛りこまれていて驚いた。同作自体、一九五七年初演の舞台の映画化である。六十年以上たっても諸問題が解消されていないから、物語が今日的であり続けているわけだ。
 そもそもこの物語は、『ロミオとジュリエット』(十六世紀末)から物語の大枠を借りている。キャピュレット家のジュリエットとモンタギュー家のロミオという、対立する二家の若い男女が恋愛関係になる。だが、二家の争いで仲間が殺され逆上したロミオは、ジュリエットの親族を殺してしまう。その後、ジュリエットに関するメッセージが、身を隠したロミオに届けられるはずだったが伝わらない。ゆえに二人に悲劇が訪れる。『ウエスト・サイド~』は、この構図をニューヨークの若者グループ同士の移民間抗争へ置き換えた。プエルトリコ系のシャークスのリーダーを兄に持つマリアと、欧州系のジェッツのリーダーと親友であるトニーが、恋に落ちるのだ。『ウエスト・サイド~』映画二種を見てあらためて面白いと思ったのは、メッセージ不達の経緯のアレンジだ。『ロミオとジュリエット』では、伝染病の流行が理由となる。これに対し、『ウエスト・サイド~』では、マリアが兄ベルナルドの恋人アニタにトニーへのメッセージを託す。だが、シャークスのリーダーであるベルナルドは、ジェッツのリーダーであるリフを殺したため、トニーに殺されたのだ。複雑な思いを抱えたまま、アニタはジェッツのたまり場の店へ行く。だが、グループの男たちは、彼女を襲おうとする。店主の一喝で救われたものの、怒ったアニタは「マリアは殺された」と嘘をいう。この言葉が、トニーの自暴自棄な行動を招き、悲痛な結末へつながる。一方、ジェッツでは、女でありながら男集団の一員であろうとするエニーボディズが仲間から馬鹿にされている。彼女は、トニーが銃を持つ男に狙われているとの情報をもたらすことで認められるのだ。
『ロミオとジュリエット』では集団同士の対立と、集団と個人の齟齬が語られたのに加え、『ウエスト・サイド~』では、男と女の意識の違いもクローズ・アップされる。スピルバーグ版はその点をさらに強調し、アニタが男たちに弄ばれそうになる際、ジェッツ側の女たちが止めようとする場面を挿入した。また、男たちの暴走を制止する店主は、一九六一年版では男性だったが、スピルバーグ版では高齢の女性である。プエルトリコ系の彼女の亡き夫は白人という設定だ。対立する二陣営の結節点のごとき存在である。大枠としての分断だけでなく、それぞれの枠の内にも差異がある。そこに希望の道筋を見出すこと。争いのないどこかを求める「サムホエア」を他の人物ではなく、女店主に歌わせたスピルバーグの選択を支持したい。

PR誌「ちくま」8月号

関連書籍