ちくま文庫

ふたつの声が交わるところ
山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』書評

PR誌「ちくま」2022年9月号より、山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』について四元康祐さんのエッセイを公開いたします。戦時下の旧ユーゴスラヴィアで書かれた本書について、戦争について、山崎佳代子さんの詩について。ぜひお読みください。

  2004年夏、ドイツからの一時帰国中に立ち寄った池袋の書店。1冊の本の表紙に目を奪われた。ふたりの女の、4つの切れ長の目が、1組ずつ縦に並んでこっちを見ていた。それぞれの顔を真横に寝かせ、ぴったりと重ね合わせて。上の女は頭を左に、下の女は右に。ふたつの顔を隔てるように横書きされたタイトルは、

『そこから青い闇がささやき』。

 初めて目にする著者名だったが、その表紙だけで十分だった。詩の普遍と未知の異国性、ふたつの相反する力が苛烈に鬩ぎ合っているのを感じとるには。その夏、僕は生れて初めて外国の詩祭に参加することになっていた。旧ユーゴスラビアのマケドニアという国……。不意に目の前に現れた書物は、僕を遠い詩の旅へと誘っているかのようだった。

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 ひと月後、ミュンヘンから家族四人で車を駆ってマケドニアを目指す途中の僕らを、山崎佳代子さんはベオグラードで迎えてくれた。初対面の挨拶も早々に、本書にも登場する難民支援団体「ZDRAVO DA STE」の事務所を訪れ、心理学者のベスナさんを始めとする仲間たちを紹介される。その翌日には、ニッシュの町はずれにある難民センターへ。

 目まぐるしい行動の一つ一つが、その場の直観だけが頼りの、一瞬の決断によるものだということが伝わってきた。僕もまたそんな風に、長い異国暮らしを生きて来たから。それはまた詩の一行から次の行への、孤独な跳躍に取り憑かれた者同士に共通する所作でもあった。

 だが同じヨーロッパ在住とはいうものの、通貨統合やEU拡大の「成果」に沸く西欧と、ユーゴ解体と内戦、さらにはNATOによる空爆でずたずたに傷ついたバルカン地方では、天国と地獄ほどの違いがあることは、本書を読んだ僕にも想像できた。だからこそその翌年も、翌々年も、ある時は長距離バスで、ある時は夜行列車で、僕はセルビアに戻っていったのかもしれない。歴史や政治が生み出した土着性や固有性を、国家や民族、ときには言語すら超えた詩の普遍性と、どうすれば和解させることができるのか? 異国で書き続ける日本語の詩の根っこを、どこに降ろせばいいのか? 頭で考えるよりも、身体ごと移動して、山崎さんやベスナとともに難民センターでのワークショップに参加し、土地の詩人たちと詩を詠みあうことで、僕はその問いに答えようとしていたのだろう。

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 先日久しぶりにズームで山崎さんと対談する機会があった。与えられたテーマのひとつは「ヨーロッパと戦争」。山崎さんのなかで、現在のウクライナ戦争と、過去のユーゴ内戦の記憶が重なっているのが、痛いほどよく分った。あの本の表紙の、ふたつの女の顔のように。彼女にとってのユーゴ内戦は、人間の歴史を満たす無数の戦争を通じて、いまに連なっている。

「いつの日のことからか/身体という家屋の二階に/男の国の言葉が棲みついて(中略)今こそは旅の季節/床を掃ききよめ/窓を磨いたら//母の言葉ではなく昆虫の言葉を/男の言葉ではなく鳥の言葉を/樹海の言の葉に織り込んで」

 最新詩集『黙然をりて』からは、人間の饒舌、とりわけ、その場に居合わせなかった者たちの、論評的な大声に倦み疲れた詩人の姿が浮かび上がってくる。詩集にはむしろ死者たちや鳥獣の、しめやかなささやきが溢れている。

 対してこのほど復刻された本書(今度の表紙には息子さんの画いた絵が使われている)の「青い闇」には、苛烈な現実を生きた人間の声が込められている。「大きな声にさえぎられた小さな声、隠された言葉」(184頁)が。ふたつの「ささやき」が交わるところで、詩の普遍と人の固有がひとつになる。そここそが、山崎さんの(そしてすべての詩人にとっての)本当の故郷だ。