PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

躍動する体たちについて
体について・2

PR誌「ちくま」12月号より井戸川射子さんのエッセイを掲載します。

 躍動する体について書こうと思っていた、もうすぐ息子の運動会があるし、職場は高校だから体育大会もあるし。このエッセイのテーマを体についてにしたけれど、自分の体のことしか見ないのは、そんなに内省的では良くない、でもスポーツとかも観ないしなと思っていたので、秋はちょうど良かった。
 高校のの方が先にあった、曇っていた、雨が降らなくて良かった。長時間外にいるなら、天気のことなど忘れていられるような曇りが、一番いい、嬉しい。体育の教員ではないし、コロナ禍で全校集会とかもないから、運動場に出るのは久しぶりだった。黄色い砂の上の雲は風に押し流されない程度に重く、それに比べれば鮮やかな体たちの、背景となっている。海の近くだからか知らないが、校庭には幹のしっかりした南国のような木がたくさん生えている。
 いつもはある程度、やはり教室に閉じ込められてはいるのだ、離れてどこか、絶対にみんな別の方へと向かっていく若さたちが、同じく前を向いている教室というのも、それはそれで何か力に満ちたものだとは思うけど。こういう広いところで見ると全然違うな。走る時はマスクも取るし、ゼッケンも着けないから誰だかよく分からないな。
 ハチマキを工夫して、頭の部分に二つの三角形ができるように、猫の耳みたいになるように結んでる女子がいる、教師は時間と人数を測るのに必死だ。男子リレーに男性教員で作ったチームも一緒に出ていて、でも高校生たちはとても身軽で速いので追いつけない、彼らは今、人生の中でたぶん一番速いのだ。こうやって自分が出せるだけの速度で進んでいくのだ。
 保育園の運動会は違う日に、より海の近くの体育館であった。密集を避けて学年ごとにやっていた。緊張する私の手が水筒を、同じく緊張した息子の肩に掛けた。あの子があんなに、とか感動するのかなと思いながら保護者席に座る。かけっことかダンスとか、忍者でにんにんみたいな複合競技もあって、器用に何でもやっていく、という感じでもあの子はまだなくて私は、がんばって、ああ、とかの声を出すばかりだった。携帯で撮った動画には、遠いので小さい息子の姿と、私の励ましが残った。
 子育てって生き直しだってよく聞くけど、そういう感じでもないと思うな。見ながら私は自分の幼い頃の、上手くいかなかったことを思い出してしまう。私もこんなだった、周りが何をしているか、次は何をすればいいか、すぐに明確に了解するような子でもなかった。できないことも多かった、ズルもした、周りにこう思った、そういうのばかりが胸に染み出す、後悔が顔を出す、そしてもちろん生き直せない。
 まだみんな手足も短いので動きも小さい、躍動する体たち、と言ってしまうと言い過ぎの感がある。でも見るだけで、こんなに何にでも、心動いてしまうようでは毎年運動会で身が持たない。さまざまな思い出しを、それによる締め付けを落ち着かせるため撫でるようにさすってみる、私の躍動する胸、体。

PR誌「ちくま」12月号

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