単行本

優れた建築家は優れた人間観察者
『建築家は住まいの何を設計しているのか』自著解題

Webちくまの好評連載「もしも家を建てるなら」が、再編集・大幅加筆で単行本になりました。PR誌ちくまにご寄稿いただいた著者による解説を転載します。

 東日本大震災以前、住宅業界で攻勢を強めていたのがオール電化住宅だった。給湯はヒートポンプ給湯器、調理はIHクッキングヒーター。これからのスタンダードは、ガスを一切使わない暮らしです――電力会社各社は莫大な広告費を投じて、オール電化住宅の普及キャンペーンを強力に推し進めた。
 効果は絶大だった。家づくりの現場では、「新居のキッチンはIHクッキングヒーターで」と指定する奥さまが急増した。煮物料理が上手にできる細かな温度設定、火事の心配はご無用、フラットな天板で掃除もラクラク。数々の謳い文句につられて、給湯器はガスボイラーなのに、キッチンだけはIHクッキングヒーターという半オール電化住宅も数を増やしていった。
 建築家・増田奏さんの事務所にも、そんな設計依頼が次々と舞い込んだ。増田さん自身はガス派。けれど、お施主さんに「キッチンはIHで」と要望されれば、設計する戸建住宅のキッチンに素直にIHを組み込んだ。
 住宅が竣工して数カ月後。新築当初の興奮も落ち着き、日々の暮らしが平常運転に移行した頃、増田さんの事務所にIHの奥さまから電話がかかる。
「あのぉ、いまさらで恐縮なのですが、キッチンのIH、ガスに替えてもらえないでしょうか」
 増田さんは落ち着き払った口調で答える。
「そう言われると思ってました。じつはキッチンのすぐそばまでガス管を通してあるんです。工事はすぐにできますよ」
 用意周到な配慮には訳がある。
「なんとなく分かるんですよ。この奥さま、口ではIHと言っているけれど、いざ使い始めたらIHに物足りなさを感じて火の出るガスに替えたがるだろうなって。本人はまだそのことに気づいていないから、内緒でガス管だけ通しておくんです。オール電化住宅がブームのときは、似たような事例がいくつもありました」
「二世帯住宅を設計するとき、あなたがいちばん気をつけていることは何ですか?」。戸建住宅の設計で定評のある建築家にたずねると、みな判で押したように同じことを言う。
「親世帯と子世帯をできるだけ離すことです」
 子世帯が娘家族の場合はそこまで気にしなくてもよい。しかし息子家族の場合は、息子の嫁と姑がかなりの高確率でバチバチになる。だから、できるだけ物理的な距離を取っておきたい。理想は玄関から別々に分ける「完全分離型」。これがベテラン建築家たちの一致した意見である。
「いや、うちの妻は母と仲が良いので、完全分離型でなくても大丈夫ですよ」
 そう胸を張るバカ息子がたまにいるらしい。だが、建築家たちに言わせればそういう家族がいちばん危ない。ふだんから奥さんと母親がどれだけ気を遣い合い、互いの腹を探り合いながら暮らしているか、知らないのはバカ息子だけなのである。
「そういう息子さんの意見は、僕は一切無視します。二世帯住宅の設計を依頼されたら、まずは完全分離型で計画するのがいちばん安全なやり方ですからね」
 ある老建築家は力強くそう言い切ったものだ。
 長年、住宅設計の第一線を走る建築家を取材してきて、気づいた。「優れた建築家は、みな優れた人間観察者でもある」。彼らはお施主さんの要望に耳を傾けつつも、そのさらに先の先まで見据えて住宅を設計している。ときには、施主自身がまだ気づいていないことすらも察知して、間取りを細かく調整している。おかげで住み手の家族は、いつまでも心地良く幸せに暮らしていける。その何割かは、設計の裏に隠された数々の仕掛けのおかげだとは、もちろん気づいていない。
 優れた建築家は住宅を設計するとき、何を考えているのか? 何を見ているのか? 住宅を設計するとは、要するに何を設計することなのか。その一端をまとめた。

2023年1月20日更新

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藤山 和久(ふじやま かずひさ)

藤山 和久

1973年山口県生まれ。建築専門誌『建築知識』元編集長。編集者として建築・インテリア・家づくり関連の書籍、ムックの編集制作に多数たずさわる。主な担当書籍に『住まいの解剖図鑑』(増田奏)、『片づけの解剖図鑑』(鈴木信弘)、『間取りの方程式』(飯塚豊)、『エアコンのいらない家』(山田浩幸)など。著書に『建設業者』がある(いずれもエクスナレッジ刊)。現在はフリーの編集者として書籍、雑誌、動画、ウェブなどの編集制作にたずさわる一方、漁業や林業など第一次産業振興のサポートにも注力している。
https://fujiyamaoffice.com/
 

田上 千晶(たがみ ちあき)

田上 千晶

イラストレーター。『フラナリー・オコナ―全短篇(上下)』『フラナリー・オコナ―書簡集』(筑摩書房)、新潮文庫の乃南アサほか、書籍装画や挿絵を多数担当。作品集に詩画集『News from Nowhere』(詩は佐藤由美子)がある。
http://chiakitagami.com/
 

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