もしも家を建てるなら

第一回「このいえ、せまいね」
居心地のいい広さとは何だ?【アウトラインをつかむ①】

夢が膨らむマイホーム。予算の許す限り理想を盛り込みたい。「キッチンにこだわりたい」 「趣味の部屋が欲しい」……誰もが思う当然の願い。でも、その前に。本当に「良い家」は理想の実現だけで手に入るでしょうか?「玄関は、ふつうでいいです」 「寝室は、ふつうでいいです」……その「ふつう」のなかに、じつは心地よい暮らしのアベレージを上げる秘密が潜んでいるかもしれません。ふつうの裏に隠された家づくりの盲点を、百戦錬磨のプロたちと探っていきます。まずは、「快適な広さ」から。

ふつうの広さ

 土曜の午後、玄関脇の自室で書き物をしていると、家の前の公園で遊んでいた娘が慌てたように帰ってきた。当時小学2年生である。出ていくときはひとりだったが、帰ってきたときは女の子の友だち4、5人を引き連れていた。

 みな、わが家に足を踏み入れるのは初めてのようだ。とはいえ、とくに気兼ねをする様子はない。すぐさま突き当たりにあるリビングに突入する足音が聞こえてきた。大きな物音から彼女たちの動きは手に取るように分かる。女の子の集団はリビングに落ち着くのかと思いきやさにあらず、隣接する居室のドアをいきおいよく開けた。それから玄関のほうにダダッと小走りで戻りトイレのドアを開いた。トイレの向かいにある洗面脱衣室の引戸を引いた。浴室の折れ戸も開いた。そして、もう一度リビングに戻り今度はバルコニーに飛び出した。再びリビングに戻ったところでようやく一連の動きが止まった。

 お姉さん格の女の子が判定を下すように言った。「このいえ、せまいね」。

 小学生女子の集団は笑いながら廊下を駆け、来たときと同じ早さで玄関から出ていった。彼女たちは、わが家の広さを検分しに来ただけであった。

 わが家が狭いのは言われなくても分かっている。分かってはいるがこの際はっきり確かめておこうと、後日押入れの奥からマンションの賃貸契約書をひっぱり出してみた。ページの中ほど、黒い罫線で囲まれた枠内には「2LDK+S/63㎡」と書いてあった。

 娘の同級生は、小学校に上がると同時に戸建てに引っ越した子が多い。彼女たちの新居に比べればわが家が狭いのはあきらかだ。では、彼女たちが引っ越した先はどれくらいの広さなのだろうか。東京都の戸建住宅のふつうの広さである。

 調べてみると、ふつうの広さは地域によって大きく異なる。

 国土交通省発表の都道府県別統計(2020年度)によると、一住宅あたりの延床面積の平均が最も大きいのは145.17㎡(約44坪)の富山県である。2位は福井県で138.43㎡(約42坪)、3位は山形県で135.18㎡(約41坪)。最下位は言うまでもなく東京都で65.90㎡(約20坪)しかない。もっとも、これらはマンションなども含めた平均値である。戸建てにかぎれば東京都の平均はもう少し上がるだろう。

 ただし、これらは結果論だ。現状の平均値ではなく、そもそも家というものは、どれくらいの広さがあれば「ふつう」と胸を張れるのだろうか。ふつうの広さについて考えはじめると、だんだんそちらのほうが気になってくる。

 ここからは統計ではなく現場の実感である。都内を中心に戸建住宅の設計を数多く手がける60代のベテラン建築家にたずねてみた。彼の見解は次のとおりである。

「室内にも物干し場がほしい、大きな収納がほしい、できれば書斎もほしい……お施主さんから出てくる要望をなるべく汲み取ってあげようとすると、4人家族なら延床面積30坪(約100㎡)は確保したいというのが私の実感です。30坪という数字は、じつは自治体の条例からも裏づけられます。自治体によっては敷地面積の最低限度を条例で定めているところがありますが、その数字から延床面積を割り出すと、どの地域もだいたい30坪程度に落ち着くんです。つまり、行政側も戸建てに必要な広さは30坪と考えているわけです。ただ、広さというのは要望の積み上げで決まるというより、現実には予算からの逆算で決まることのほうが多いかもしれません。法律上は40坪まで建てられる敷地でも、予算の都合上30坪くらいに縮小したケースはこれまで何度もありましたので」

 ふつうの目安は延床面積30坪。ただし、広さは要望よりも予算で決まることのほうが多い。なるほど、地価の高い東京で土地から購入する家づくりともなれば、広さは予算に決められてしまうという指摘は至極もっともな話である。

地方の事情

 では、地方はどうか。

 延床面積の広いベスト3、富山、福井、山形もそうだが、地方都市の多くは東京に比べて土地が安い。人件費も安い。設計料も安い(本当は安くしたくないそうだが)。30坪なんてケチクサイことはいわず、いくらでも好きな広さにできそうである。だが、地方には地方なりの事情がある。要望の積み上げや予算とは別に、その土地ならではの理由でふつうの広さが決められる場合もある。

 中目黒に設計事務所を構える40代の女性建築家が、栃木県に住む30代の公務員夫婦に新居の設計を依頼されたときのことである。ふだん都内を主戦場にしている彼女は、4人家族の住まいを設計するにあたり東京に建てる戸建てと同じ感覚でプランニングをした。

 日曜日、打ち合わせのため事務所にやってきた施主家族を前に、彼女は出来たばかりの図面を自信をもって広げた。はじめて見るわが家の図面。ご家族はうれしそうに眺めてくれた。しかし、視線が2階の子供部屋に移ると、それまでにこやかだったご主人の顔がにわかに曇りはじめた。

「うーん、この子供部屋、僕らはいいですけど親父がなんて言うかなぁ」

 天井を見上げてひとりごとのようにつぶやいた。彼女が提案した間取りは子供部屋が4畳半だった。ご主人はその広さ(狭さ)に難色を示したのである。

 東京あたりの戸建てなら子供部屋は4畳半もあれば十分だ。しかし地方の場合は、部屋本来の機能性や快適性とは関係なく「これくらいはないと困る」という独自の広さが存在する。それを決めているのは俗に見栄や世間体と呼ばれているアレだ。世間というものが色濃く残っている地域ほどそのしばりはきつい。

 ご主人のお父さんは、息子夫婦が家づくりを始めるにあたり、「子供部屋は8畳くらいないと格好がつかんな」と話していたという。お父さんの感覚では子供部屋は最低8畳がふつうなのだ。息子は息子で、「僕らはいいですけど……」と一歩引いてみせたものの、本音では8畳くらいの子供部屋を望んでいたのかもしれない。かくして、栃木に建てる4人家族の新居は、世間体の力で子供部屋以外の部屋も少しずつ拡張され、東京の建築家の感覚では「無駄に広い」家となって竣工の日を迎えた。

 隣近所と見比べながら、〈うちもあれくらいにしておかないと格好がつかない〉という虚栄心が地域のふつうをかたちづくることもある。都内の建築家からたまに聞かされる、住宅設計にまつわる教訓である。

住宅の広さにいちばん影響を与えているのは、じつは予算や世間体だったりする
 

面積よりも大切なこと

 住まいの広さはかならずしも正攻法では決まらない。予算もあれば世間体もある。

 その一方、建築業界や不動産業界には住まいの最適な広さをはじき出す方法として、次のような公式がまことしやかに伝えられていたりもする。

「住人一人当たり8坪で考えればよい」

「住人の年齢×1㎡が適当」

 私はこの手のまゆつばものに昔から目がない。はたして、これらの公式はどこまで使い物になるのだろうか。旧知の建築家を訪ねて検証してみようと思い立った。

 訪ねたのは、東京都府中市に設計事務所を構える佐藤重徳さんである。

 かれこれ10年前になる。私が建築専門誌の編集者をしていたころ、社内で「住宅設計講座」なるスクールを企画したことがあった。雑誌の連動企画として、若手の実務者向けに実践的な設計技術を授ける講座を開講したのである。そのとき講師の一人としてお招きしたのが佐藤さんだった。

 佐藤さんは建築家・中村好文さんのお弟子さんである。建築業界がほぼCAD(computer-aided design/PCの画面上で図面を描くこと)一色で埋め尽くされた今でも、図面は一枚一枚手描きで仕上げられている。そんな佐藤さんに、

「住まいの最適な広さをはじき出す公式というのがあるのですが、どう思います?」

 とたずねてみた。すると、ちょっと困ったような顔をしてこんなふうに答えてくれた。

「まぁ、たしかに……、住まいには最適な広さという考え方があるのかもしれません。でも、僕が住宅を設計するとき、大切にしているのは広さよりも心地良さのほうです。たとえどんなに広い家であっても、居心地の良くない家はただ広いだけの寒々しい家で終わってしまいますので」

 広さを考える前に、心地良さを考えるべきだという。

 言われてみればそのとおりである。俗に狭小住宅と呼ばれる延床面積20坪少々の家でも、家族5人が楽しく暮らしている家はたくさんある。反面、ある程度広い家(延床面積40坪程度)で暮らす3人家族が、「いろいろと使い勝手が悪くてね」と漏らしている例もある。住まいの居心地はかならずしも広さに比例しない。私が過去に取材した住宅でも、広さと居心地の不整合について考えさせられるケースはいくつもあった。佐藤さんご指摘のとおりだ。

「だって、世の中のほとんどの人は、居心地の良い空間とはどういう空間をいうのか、実際に体験していないのだから分かりようがありません。そういう人たちの前に広さを売りにした広告が差し出されれば、広いこと=良いことと誤解するのは当然でしょう。
 僕がいま設計している八ヶ岳の別荘は、リビングを広くしようと思えばいくらでも広くできる余裕があります。でも、あえて広くしないように、広さだけを感じさせないように、部屋のかたちや視線の向かう先などいくつか工夫を凝らしながら、居心地が良くなるように調整しているところです。広さだけにかたよった住宅は、どうせすぐに飽きられてしまいますから」

 だがそれでも、私たちは住まいの良し悪しをつい広さという物差しで測ろうとする。建売住宅やマンションのチラシを見ながら、延床面積、部屋数、最寄り駅からの距離などを考量して、「広さのわりには高い/安い」と判定を下す。それがすべてでないと分かってはいるものの、住まいを広さで測る悪いくせはなかなか直りそうにない。

 それは無理もないことです、と佐藤さんは庶民の悪癖に理解を示す。

 住宅を設計する人は洋服の仕立屋のようなものだ、と佐藤さんはいう。最適な生地を吟味し、着る人の体にジャストフィットする洋服を丁寧に仕立てていく。それが仕立屋の本分だとするなら、住宅を設計する人もまた同じだ。ただ広いだけの空間をつくるのは、サイズの合わないだぼだぼの服をつくるのに似て、プロとして恥ずべき行為なのである。

 

居心地の良さは広さに比例するわけではない。部屋のかたち、窓の位置やサイズ、光の入り方、部屋と部屋とのつなげ方など、さまざまな要素が居心地を決めていく(設計:佐藤重徳)

納まりの良し悪し

 居心地の良い空間とは、どのようにしてつくられるのだろう。
 佐藤さんの場合、手掛かりになるのは人とものとの〝納まりの良し悪し〟だという。

「住宅の設計といっても、僕の場合は可能なかぎり家具まで自分で設計するスタイルを採っています。ですから、まず考えたいのは、生活に必要な家具がそれぞれの部屋に気持ち良く納まるかどうかです。リビングであればソファとテーブルとテレビがきちんと納まって有機的に機能するかどうか、子供部屋であればデスクと本棚とベッドが収まって子供が気持ち良く使えるかどうか。そういう基本のレイアウトさえ成立していれば、数値的には多少狭い部屋であっても毎日を居心地良く過ごせる空間になります。ささいなことですが、本棚を置く位置や向きによっても本に手を伸ばすときの感覚に違いが出ます。本に手がすっと伸びるか、伸びないか。この〝すっ〟という感覚が大切なんです。そういう細かなところを一つひとつ詰めていくと、住まいはおのずと居心地の良さを獲得していくように思います」

 日当たりが良いとか、風通しが良いとか……その手の心地良さとはひと味ちがう。あえていえば、生活者の営みに寄りそった小さな優しさの連なりが織りなす心地良さである。

 思えば佐藤さんに、「住宅の最適な広さについてどう思いますか?」と切り出したとき、真っ先に返ってきたのは建物内部についての見解ではなかった。佐藤さんの脳裏にぱっと浮かんだのは建物の外側のほうだった。

「僕はむしろ、建物の外壁から隣家までの広さをいつも気にしています。民法上は50センチ以上離していればよいとされているので、都市部の住宅密集地では外壁から隣家までのあいだは50センチぎりぎりで設計されることがよくあります。でも、それでは外廻りの空間がまったく生かされません。エアコンの室外機から排気が噴き出せば隣家の人に迷惑をかけるでしょう。ボイラーが故障しても容易に交換できません。外壁を再塗装したくても足場を掛けるスペースがありません。ですから、隣家との空間は最低でも1メートルはほしい。1メートル以上離していれば、建物のメンテナンスもラクに、きめ細かくできるようになります」

 外廻りに余裕をもたせようとすれば、場合によっては室内が多少狭くなることもある。そんなときは、施主に事情を説明して理解を求めるという。先々まで居心地良く暮らしていくために必要なことは何か、自身の考えを住み手にじっくり伝えていくのも家づくりの重要な工程のひとつなのである。

居心地の良い空間を手に入れたければ

 佐藤さんは今も、民間の建築団体などが主催する各種設計講座の講師を務められている。北は北海道から南は熊本まで、全国から20~30代の実務者が東京で開かれる講座にたくさん集まってくる。

 住宅設計の講師を依頼されるといつも同じ方法で指導している。佐藤さんは受講者たちに、いきなり次のような課題を与えるのだ。

「都心の敷地に、家族4人で住む30坪の戸建住宅を設計してください」

 じつはこの課題に、居心地の良い住宅を設計するヒントが隠されている。

 ふだん、地方で「ふつう」の住宅ばかり設計している人は、30坪の家という面積上の制約を課されるとしばし途方に暮れるという。いつもの仕事に比べて与えられる面積が狭いので、どこから手をつければよいか分からないのだ。

 はじめのうちはどの部屋も一様に狭くなる。提出される図面は、延床面積の広い住宅をそのまま縮小コピーしたような図面になる。いわゆるぬるい図面、ぼんやりした図面、緊張感のない図面だ。

 ところが、敷地の形状を変えたり、道路付けを変えたり……与条件を変えながら同じ課題に何度も取り組ませていると、しだいに限られた空間の有効な使い方や室内と屋外とのつなげ方に巧みな工夫をみせる人が現れる。狭いわりに贅肉だらけで無駄の多かった空間が、筋肉質で小気味良い場所へひと皮剥けていくのだ。

 そこに佐藤さんのねらいがある。

「小さな家の設計を自分のものにできると、再び大きな家の設計に戻っても、決して以前のような設計にはなりません。設計の質が根本から変わるからです。本棚ひとつ配置するにしても、きちんと寸法のやり取りができて、空いているスペースにポンと置くような雑な処理をしなくなります。窓を設ける位置や寸法に対する意識も研ぎ澄まされていきます。広さが限られているからこそ、逆に居心地を良くする設計に神経が行き届くようになるのです」

 小さな家の設計にはそんな効用がある。

 住み心地は、大が小を兼ねない。むしろ、小よく大を制す。

 居心地の良い空間を手に入れたければ、「小さな家の設計が得意な人に住宅の設計を依頼するとよい」。施主目線でいえば、これもひとつの家づくりの公式といえる。

 ただし、これにはひとつ注釈がつく。

 仮に、小さな家の設計が得意な人に運良く出会えたとする。しかし、その建築家が依頼者にとって最高のパートナーになるとはかぎらない。なぜなら、住まいの居心地は設計の良し悪しとは別に、建築家と施主の相性の良し悪しによっても良くなったり悪くなったりするからである。ときには相性の良し悪しが建築家の力量を凌駕することすらある。

 竣工後数年が経過した住宅の取材は、いつも満足のいく収穫があるわけではない。失礼ながら、特筆すべきところがこれといって見つからず、早々に切り上げて帰ろうかという家もたまにある。ところがそういう住宅にかぎって、目の前にいる若き建築家の仕事ぶりを、同世代の施主夫婦が熱く褒めたたえたりする。建築家と施主の相性の良さを見せつけられるのはそんなときだ。若い奥さまの口から、

「〇〇先生は私たちの好みをとてもよく分かってくださったので」

 という意味の言葉が発せられるのはたいていそんな現場である。人と人との相性はときに凡庸な設計に勝る場合もあるのだなとそのたびに感心している。ひとくちに居心地の良い家といっても、人とものとの納まりが良い家もあれば、人と人との納まりが良い家もある。家づくりの公式を複雑にする変数xである。

2021年7月9日更新

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藤山 和久(ふじやま かずひさ)

藤山 和久

1973年山口県生まれ。建築専門誌『建築知識』元編集長。編集者として建築・インテリア・家づくり関連の書籍、ムックの編集制作に多数たずさわる。主な担当書籍に『住まいの解剖図鑑』(増田奏)、『片づけの解剖図鑑』(鈴木信弘)、『間取りの方程式』(飯塚豊)、『エアコンのいらない家』(山田浩幸)など。著書に『建設業者』がある(いずれもエクスナレッジ刊)。現在はフリーの編集者として書籍、雑誌、動画、ウェブなどの編集制作にたずさわる一方、漁業や林業など第一次産業振興のサポートにも注力している。
https://fujiyamaoffice.com/
 

田上 千晶(たがみ ちあき)

田上 千晶

イラストレーター。『フラナリー・オコナ―全短篇(上下)』『フラナリー・オコナ―書簡集』(筑摩書房)、新潮文庫の乃南アサほか、書籍装画や挿絵を多数担当。作品集に詩画集『News from Nowhere』(詩は佐藤由美子)がある。
http://chiakitagami.com/