PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

私の中のリズムについて
体について・3

PR誌「ちくま」1月号より井戸川射子さんのエッセイを掲載します。

 以前、歯が痛くなったが最近耳鳴りがしてきた、細かな不調が続く。不調は妊娠、出産後から多く見られるようになり、それを経たことによるのか、加齢によるものなのかよく分からない、どちらのせいにでもできる。私の不調、疲れやすさなど大したことないものだろう、でももう友だちの結婚式が東京であるからと夜行バスに乗り、車中だけの睡眠のみで二、三日寝ずに遊び回る、みたいなことは一生私の身には関係ないことになってしまった。もうそんなことはやりたくないか、いや、これでは負け惜しみか。それで耳鳴りなんだけど、続くから病院に行ったらストレスが原因でしょうと言われ、どの不調にもストレスとホルモンが関係してくると思った。自分の中に聞こえる音を人に訴えるのも、両耳でずっとキーンと高い音がしてます、ピーンかな、静かな所で目立ちます、と伝えてしまえばそれで終わりだ。五感って正確に共有できないという当然のことを思い出すのは、不具合が起こった時ばかりだ。でも耳鳴りは、ある程度誰でもしているんだって。自分が音楽でも作る人だったら大変だろう、ずっとこんな音が聞こえていたら邪魔だろう、それともこういう嫌な音を消すために音楽を作るのか。室内の方が気になるので、保育園にお迎えに行ってそのまま、帰り道の海に寄ることが増える。外では少しマシになる耳鳴りを聞き、砂を投げ合う子どもたちを眺めながら文など考える、出てきた語を繋げて短歌を作る。

足もとは真剣に見れば怖いだろう海岸動物の殻と繊維

豪雨が降り注ぎ水たまりでできた個体だ共生は当たり前だ

わたしの光を通してしまうまぶた耳の薄い部分に透ける陽

泡には透明の生物が紛れる雨上がりなので湿りの海

大きいともう透明でいられない目立っていく血と筋肉と顔

わたしという集合で動く合流しながらわたしを大いに揺さぶる

言葉に意味などはないのかもしれずただ空に発し続けている揺れ

体の線が出る服など着たくない体の線などもうなくてよい

なだらかな魚の死骸が寝そべってそれが防波を助ける岸辺

これだけでわたしは生きていくんだ輪にできる腕で薄い肩で

 短歌は人のものを読むなら破調したのが好きだ、自分にはない思い切りがある。切れ目がよく分からないしあなたの短歌は読みにくいと、前母に言われた。仕方ない、私には私のリズムがあるから、似たような音が聞こえている人もいるだろうけど、独自の耳鳴りも生じているから。海のいろいろが聞こえるが、耳の内側でする高い音を覆い隠してくれるほどではない。文が形になると心が安らぐ。思い浮かんだ語を取りこぼしてはならないという焦りは、書いている途中常について回りながらも、私に必要なことを記録しているという満足がある。波音を、海はどう聞いているだろう。私の中のこのリズムは、あなたにどう伝わるだろう。

PR誌「ちくま」1月号

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