PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

時間
溶けるものと溶けないもの・3

PR誌「ちくま」7月号より劇作家・兼島拓也さんのエッセイを掲載します。

 沖縄のぜんざいは冷たい。甘く煮た金時豆と白玉がのったかき氷だ。富士家というお店が有名で、店舗だけじゃなく屋台もある。ショッピングセンターの中で、テナントが並んだ売り場ではなく、立体駐車場からの出入口付近に出店していて、買い物帰りについつい買ってしまうような「くすぐり」をもっている。
 その日、買い物を終えたわたしも、そのくすぐりにまんまとやられてしまった。富士家のシステムでは、購入時にいつ食べるかを聞かれる。「今すぐ」なのか「三〇分後」なのか「一時間後」なのか選べるのだ。わたしは「今すぐ」と答えた。
 車内に乗り込み、さっそくぜんざいの蓋を外す。スプーンで氷を解しているとき、はたと気づく。家電売り場で買ったプリンタインクがない。あれ?
 ひとつひとつ記憶を辿る。インク買って、100均に行き、何も買わずにそのまま出て、トイレに行って個室に入り、ベビーチェアの座面にインクを置いて……!!!
 一目散にトイレに向かう。100均横のトイレは駐車した場所から一番遠くにあった。中に入り一番手前の扉を開けようとすると、なんと鍵がかかっている。
 ため息を押し殺しつつ、しばらくその場で待機する。二〜三分の時間が何十倍のように感じられる。後から来た人が、空いている他の個室に目もくれず手前の扉前で待ち構えているわたしに、怪訝な視線を送る。
 それをやり過ごしている間に、水洗の音が聞こえ、扉が開いた。その人は、目の前で立っているわたしを見た瞬間、こうなることはわかっていたとでもいうような顔でこう言った。「あ、これですよね」。彼はインクの箱をわたしに手渡した。
 おい、手も洗ってねえのに人のインクに触るな。なんて口が裂けても言えない。できるだけ丁重にお礼を言い、車へと向かう。
 運転席のドアに手をかけた瞬間、スマホが震える。ディレクターからの着信だった。朝に出来立ての脚本データを送っていたので、それについての話だろう。「兼島さん、すこし時間いいですか?」
 いいですよ、と答えたが、彼は話が長い。すこしで終わるなんてことはない。車に乗り込むと、スプーンが刺さったままで蓋が半分開いたぜんざいがわたしを待ち受けていた。
 ああ、そうだった。どうしよう。ぜんざいのために電話を打ち切るべきか? でもなんて言えばいい? ディレクターのボルテージはどんどん上がっている。
 しばし考え、わたしは意を決する。静かにぜんざいをスプーンで掬い、電話の向こうには届かないよう気をつけて口の中に運ぶ。シャリ、などという音が聞こえたらおしまいなので、舌の上に乗せてその熱で徐々に溶かすようにして味わう。これは、ぜんざいの食べ方としてどうなのだろうか(電話の応対としてどうなのかは問わない)。絶対に一番いい食べ方ではない。
 ディレクターは三〇分間しゃべり続けた。わたしは「わかりました」とだけ答えて電話を切った。なにがわかったのか、自分でもまったくわかっていない。
 ぜんざいは、すっかり飲み物になっていた。シャリシャリの氷を浮かべた、甘い飲み物。わたしは冷たさに額を痛めながらも、それを飲み干し、エンジンをかけ車を発進させた。

PR誌「ちくま」7月号