ちくま新書

おじいさんの脳、若い人の脳
『老後は上機嫌』ためし読み

70代の後半に入った池田清彦さん・南伸坊さんが語る、これまでの人生と人生のこれから。笑いなしでは読めない、抱腹絶倒の人生賛歌対談。「生きる」ってのは非常に面倒くさいが、どうせなら、笑って面白く、楽しんだもん勝ち! 上機嫌に過ごすためのヒントを、脳のしくみや不思議から語った第5章から、ためし読みとして一部公開します。
イラストレーション=南伸坊

†おじいさんの脳は記憶が多すぎる

池田 おじいさんの脳は、どうしても働きが悪くなるよね。簡単には壊れないから心配しなくてもいいんだけど、問題は年をとると記憶が多くなることなんだよ。生きてる時間が長い分、いろんなことを記憶していて、記憶の収蔵庫がいっぱいになっている。
 記憶をすぐに引っ張り出せればいいんだけど、加齢とともに引っ張り出す働きが弱くなるから、本当は覚えてるんだけど思い出せなかったりする。人の名前とか固有名詞とか、聞けば分かるんだけど、引っ張り出そうと思っても引っ張り出せない。そういうことがよく起こると、自分もいよいよボケてきたなとか思うよね。引っ張り出す力が衰えてくるのが、脳の老化現象の最初だね。
 若い人がゲームを得意なのは、覚えてることが少ないからだと思う。脳の情報処理機能のピークは、一九歳あたりだと言われているんだけど、くだらない記憶がまだあんまりないから、動きがいいんじゃないのかな。七十代の俺らの脳って、ヤバいこととか、とんでもない変なこととか、エピソード記憶がいっぱい詰まってて、引っ張り出す時に人に言えないようなことばっかり出てくるよな。
 アハハ。そうだねえ。
池田 記憶の収蔵庫がいっぱいになると、そこがでかくなって、他の機能を担ってるところが浸食されて、思い出す働きが衰えていくのかもしれないね。真面目な人は一生懸命思い出そうとするけど、あれは駄目だね。
 え? そうなんですか。頑張って思い出すと、脳にいいって聞いたことあるけど。
池田 思い出すことをさっさと諦めて、すぐにネットで検索したほうがいい。関連する断片的な言葉をいろいろ入れて何回か検索すると、これだっていう情報がすぐに出てくるから。そうすると、脳に新たなターム(用語)として書き込まれる。思い出せないたびに検索することを繰り返しているうちに、そのタームを忘れなくなってくる。
 思い出そうとしてる時間は、無駄なんだよ。なるべく思い出そうとしないほうがいい。

†記憶の収納と神経細胞の数

 思い出せないことって、例えば人名なら、どういうわけかいつも同じ人の名前が思い出せないんですよ。何度も同じことを思い出せないんですよね。この間もこれ思い出せなかったなっていうことはクッキリ覚えている。
池田 それは僕もよくあるよ。山や人の名前が多いね。一回しか登ったことのない、どうでもいい山の名前は覚えてるのに、何回も登ったり眺めたりして、よく知っているはずの山の名前を思い出せなかったりするんだよね。人の名前も同じで、あんまり親しくないのにすぐ思い出せる人と、かなり親しいのになかなか思い出せない人がいる。どうしてなんだろうね。
 僕の経験では、何回か思い出せないことがあると、そうなる傾向がありますね。脳科学的にはどうなのか分かりませんけど、脳が「忘れること」を覚えちゃうっていうか、思い出せないことを覚えてしまって、思い出せなくなるという回路になっちゃうんじゃないかな。
池田 僕が最近、思い出せなかったのは、コマツナっていう野菜の名前。家庭菜園でコマツナを植えてるんだけど、コマツナっていう名前がなかなか出てこない。かみさんにいつも「何を植えたっけ」って聞いて、「ボケてんじゃないの」って言われてさ。 畑にはコマツナの他にカラシナやミブナも植えてあって、コマツナってその中でも一番ポピュラーなんだけど、思い出せなかった。だけど、コマツナを思い出せなかった話をしょっちゅうしてたら、思い出せるようになった。脳って不思議だよね。
 僕が思うに、同じカテゴリーの言葉は間違えやすい。右と左、上と下とか。ユーチューブの自分の番組で恐竜の話をしている時、ティラノサウルスと言おうとして、トリケラトプスって言ってしまうことがよくある。脳の収納場所がすぐ傍で、記憶を引っ張り出そうとして、間違えて隣を引っ掛けちゃうんじゃないかな。ティラノサウルスと言おうと思って、南伸坊とは絶対言わない(笑)。カテゴリーが全く違うと引っかかってこない。
 昔まだカーナビがない頃、うちのかみさんと俺の姉ちゃんと、俺が運転してドライブに行った時、姉ちゃんが道を知ってるっていうから、教えてもらいながら運転してたんだよ。で、姉ちゃんが「清彦、そこ、左ね」と言って、俺は「うん、分かった、左ね」って返事して、右にハンドルを切った。それを見てかみさんが「逆じゃない」ってびっくりしてた。姉弟ともに口では「左」って言って、右に行って納得しているから、あなたたちの頭の中は一体どうなってるんだって呆れてたよ(笑)。
 アハハ。
池田 姉ちゃんも俺も、右と左を間違えて引っ掛けたんだね。その時に姉ちゃんは「左」って言いながら、目は右を見てた。だから、俺は右に行ったんだろうな。
 人間の脳はうんといいところと、うんと駄目なところがあるよな。年をとった人の脳のいいところは収納している記憶が増えること、駄目なところは記憶を引き出すのが下手になること。いくらいっぱい記憶があっても引き出せなかったら、宝の持ち腐れだね。
 大脳の神経細胞の数は、約一六〇億といわれている。毎日一〇万ずつなくなるという説もあるけど、そうだとしても簡単には全部なくならない。減るのは、一年で三六五〇万、一〇〇年でも三六億五〇〇〇万だからね。年とともに神経細胞が消えるのに加速がかかったとしても、一〇〇億ぐらいは残っていると思う。ただ、年をとるとアミロイドベータというたんぱく質が、神経細胞を死滅させるらしいから、もっと減っているかもしれないな。

†脳細胞のコミュニケーション

 記憶のたとえ話で、棚に入れとくとか、引き出しに整理しとくとかっていう言い方で、説明しますよね。あれ、イメージ優先のタイプとしてはコマルんですよ。引き出しとか具体的に想起しちゃうから。実態に近いのは、どういうことなんでしょうか。
 回路がつながって思い出すとも言うけど、もっと直感的に、どういうふうに記憶が貯蔵されてて、どうやって引き出すのかを表せる言葉ってないんですかね。
池田 一六〇億の神経細胞が、いくつもグループをつくって、グループのメンバー同士で連絡を取り合い、グループAは南さんの名前、グループBは南さんの顔、グループCは南さんが最近書いた本のタイトル、という感じで、グループごとに覚えることを分担している、というイメージだと分かりやすいかもしれない。
 だけど、寝ても覚めても南さんのことを考えてるわけじゃない。普段は忘れている。
そうすると、南さんのことを記憶しているグループは活動を停止するんだよ。で、なんかの拍子に、「そう言えばこないだの南さんの本は面白かったな。なんていう題名だったっけ」と思い出そうとした時に、グループCが活動を再開して思い出すんだね。ところが、グループCのメンバーが全員揃わなかったり、揃っても応答しないメンバーがいたりすることがある。そうすると、思い出せなくなる。
 神経細胞は、何か新しいことを覚えるたびにグループを結成して、そのことを考えなくなると活動を停止して、思い出そうとすると再活動を始める、という感じだね。とても動的で、同じ状態に留まってない。
 具体的にいうと、神経細胞は他の細胞にはない突起があるのが特徴で、この突起で他の神経細胞と情報をやり取りするネットワークをつくることによって、何かを記憶したり、記憶を引き出したりしている。ネットワークは何を覚えるか、何を思い出すかで、電気的につながる神経細胞を変えていく。
 例えば、南さんの服の色を覚える時と、南さんの好物を思い出す時では、神経細胞の電気的なつながり方が違うわけだ。グループというのはネットワークのことで、脳の中では常にいろんなネットワークが働いていてそのネットワークによって、言葉を話したり、似てるとか考えたりもできるんだよ。
 回路がつながって思い出すというのは、まさにその通りで、ネットワークがスムーズに再現されて回路がつながれば、すぐに思い出せる。うまくいかないと、さっきの南さんのナイチンゲールや俺のコマツナみたいに、いくら思い出そうとしても思い出せない。
 繰り返しになるけど、そういう時は無理に回路をつなげようとしないで、検索とかして覚え直して、新たにネットワークをつくったほうがいい。古い回路はつながりが悪くなって、使いものにならなくなっているかもしれないからね。
 神経細胞同士は、人間みたいに言葉でコミュニケーションしているわけじゃない。脳の言語はさっきも言ったように電気信号なんだよ。神経細胞の突起の先端にあるシナプスが、口と耳の両方みたいなもんだね。脳ではインプットされた情報が電気信号に変換されて、まずAという神経細胞に伝わり、Aからシナプスを介してBという神経細胞に伝えられ、Bはそれを受け取って、今度はCという神経細胞に伝達する。そうやって、次から次にいろんな細胞に伝達することで、ネットワークが形成される。
 だけど、シナプスとシナプスの間には隙間が開いていて、電気信号はこの隙間を飛び越えられない。それをアシストするために、シナプスは神経伝達物質という化学物質を隙間に出す。そうすると、電気信号が神経細胞のAからBに伝わるんだよね。
 神経伝達物質は一〇〇種類ぐらいあるとも言われてて、情報伝達のバトン役だけじゃなく、行動や感情、睡眠といったあらゆる脳機能に関与している。だから、単純な計算も複雑な思考も、好きとか嫌いとかの気持ちも全部、電気信号と化学物質から生み出されているんだよ。
 すごくわかりやすい! イメージつかめた人多いんじゃないかな。

ーーー
【目次より】

第1章 無計画に生きよう
…「好きだ」って思うことが一番大事/脳の使い分けと発達/才能は脳の偏りである/老人は無計画なほうが幸せ/一〇年前の自分と今の自分は同じじゃない⁉…
 
第2章 最強の老人ってなんだ 
…トキソプラズマに感染した脳/変なかたちでも、生物は死なない/「似てる」は一点豪華主義/生物は最強、似顔絵も最強/顔面効果/「わかる」「面白い」の根源には何がある?/脳の入力と出力…

第3章 考える老人 
…面白いと感じるのはどういうときか/「分かり直す」ってうれしい/SNSバカ//人類はいつか絶滅するって、考えない?…

第4章 おじいさんとAI 
…老人は転ぶ/養老孟司さんは新しいもの好き/AIができないこと―天変地異の予想/地球は大切にしなくたって、びくともしない/死ぬこと考えたってしょうがない…

第5章 おじいさんの脳、若い人の脳 
…おじいさんの脳は記憶が多すぎる/脳細胞のコミュニケーション/すべての人は変態だ!/変態理論が教育を救う/「分からない」を分かってくれない/AIの絵はなぜつまらないのか/首尾一貫はバカのやること/頑張らなくてもできることをやれ/「役に立つ」ことを考えるとバカを見る…

第6章 老人の未来、日本の未来 
…金は使うモノ、拝むものじゃない/変化を柔軟に/ルールがないほうが儲かった/ハッピーに生きるには/吉本隆明と誌上バトル/それでも本を書く意味/病気はどうですか?/死ぬ前にやることやっておく…

 

2024年6月7日更新

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池田 清彦(いけだ きよひこ)

池田 清彦

1947年東京生まれ。東京教育大学理学部卒業、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。山梨大学教育人間科学部教授、早稲田大学国際教養学部教授を経て、現在、山梨大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。専門は理論生物学、構造主義生物学。構造主義生物学の地平から多分野にわたって評論活動を行っている。主な著書は、『構造主義生物学とは何か』(海鳴社)、『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)、『やがて消えゆく我が身なら』『生物学もの知り帖』(KADOKAWA)、『「進化論」を書き換える』『この世はウソでできている』(新潮社)、『自粛バカ』(宝島社新書)、『生きているとはどういうことか』(筑摩選書)、『環境問題のウソ』(ちくまプリマー新書)など、多数。「まぐまぐ!」でメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』(https://www.mag2.com/m/0001657188)を隔週で配信中。

南 伸坊(みなみ しんぼう)

南 伸坊

1947年東京生まれ。イラストレーター。美学校「美術演習」教場修了。雑誌『ガロ』の編集長を経て、80年よりフリーとなり、イラストレーション+エッセイで活躍。また、赤瀬川原平、藤森照信らと路上観察学会を設立し、その成果は文章やTV等で発表されている。著書に『笑う写真』『李白の月』(以上、ちくま文庫)、『モンガイカンの美術館』(朝日文庫)、『装丁/南伸坊』(フレーベル館)、『本人の人々』(マガジンハウス)、『仙人の壺』(新潮社)など多数。

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