雑誌の仕事がメインのスタイリストという仕事柄もあり、本屋はよくのぞく。そんな時偶然見つけたのが、『きもの自在』(晶文社、一九九三年刊)だ。長らく私の書棚の目立つ所に収まっていて、時折パラパラと頁をめくりたくなる本のひとつになっていた。
当時の私は鶴見和子という名前には聞き覚えがあっても、恥ずかしながらその社会学者としての卓越した仕事については無知だった。だがその本を読み進めるうちに、よくあるきもの好きによる気軽なきもの談義とは全く異なるきものへの深い思いにふれ、どんどんひきこまれてしまった。
四十代半ばだった当時の私は、この本の中の一枚の写真を見つけた時、大袈裟に聞こえるかもしれないが狂喜したと言ってもよいだろう。本文とは関係なくはさまれた写真(今回の文庫本では巻頭にある)で、千羽鶴柄の大島紬のきものに銀鼠地に御所解模様の染め帯をした鶴見さんが写っている。
当時も雑誌のきものページを担当することがあった私は大島紬をスッキリと現代的に着るのではなく、はんなりと優しく着たいと考えていた。その頃よく見かけたのは無地に近い大島紬を、洋服と同じように帯も濃淡か同系色でまとめるという着方だったので、それに抵抗していたのだ。せっかく日本人がきものを着るなら、洋服感覚とかスッキリとモダンにとか考えずに着ればよい。きものはきものらしく着る。そう考えていた私の気持にピタリとはまり、しかも完成度の高い美しさだったのが鶴見さんのその写真だったのだ。帯揚と帯締の色の取り合わせも絶妙で、少し白いものが見える髪と白い半衿とで、千羽鶴がさらに躍動的に映える。きものならではの柄同士の組み合わせが、織と染めとでピシャリときまっていた。無論、長年着慣れた鶴見さんならではのゆったり美しい着付けと凜々しいたたずまいがあってこそだが。それからの私は本棚から引っぱり出しては、時々その頁を眺めていた。
今回、久々にその頁をじっくり眺めてみると初めて見た時の嬉しさが思い出されて懐しく感じている自分がいた。あれから二十年以上がたち、私自身の仕事も以前よりきものに関するものが増えている。若い女性向けの雑誌で、きものの連載ページも担当している。
きものを着慣れない人たちにとって、帯ときものの組み合わせがいちばん難問ということで、何をいつどう着るかが連載のテーマになっている。そういう人たちにも鶴見流の自由な発想の帯やきものを是非見て欲しいと考えてしまう。もちろんそれは一年を通じてきもので通し、家事から国際会議、山登りまできものでこなしてしまう達人、鶴見和子だからこそのものではあるが。少なくともきものを型にはめて考え過ぎていることを改めて思い出させてくれるはずだ。
きものと帯の組み合わせ以上に問題なのがきものを自分で着られないということだ。私はこう言うことにしている。百年と少し前には日本人は全員きもの。老若男女、みんなが朝起きて自分で着て仕事をしていたのだから、誰だって着られるはずと。そんな私の決まり文句は聞き流してしまう人たちも、この本を読んだら、日本人ときものが切っても切れないものであることがすんなりわかってもらえるのではないだろうか。
日本の生活の中にとじこめられた狭い意味のきものだけでなく、広い視点でとらえたきもののことが、アメリカ在住の聞き手・藤本和子さんとのやりとりで、わかりやすく明かされていくのが魅力だ。読み進めていくと、きものの着方にこそ、心のあり方が現われる。心の乱れも、体型も隠せないのがきものという深くこわい話に導かれていくことになる。
きもの自在な人と承知していたつもりだったが、それ以上に心を打たれたのが、きものと洋服の二重生活をやめて、きっぱりときものだけを選んだ鶴見さんの潔さに対してかもしれない。
(はら・ゆみこ スタイリスト)