ちくま新書

人類学とともに生きて
「ヒト」を学ぶ/「ヒト」から学ぶ

12月刊、尾本惠一『ヒトと文明』を冒頭を公開します。「ヒト」が様々な角度から掘り下げていった一冊です。

†めざましい生物科学の進展

 二〇世紀後半からの生物科学の発展には目を見張るものがある。中でも、人類学者である私にとっては、生物の多様性や進化の研究が科学として確立し、その基盤となる自然史への興味が一般の人の間にも広がったことがいちばん喜ばしい。
  自然史(博物学)の研究は、今まで大学ではなく博物館が「場」としてふさわしいとされ、梅棹忠夫(国立民族学博物館の元館長)によってやや好意的に「枚挙生物学」と呼ばれ、実験研究を中心とする生命科学とは一線を画されてきた。それが今日では、分子系統学や生物行動学を巻き込む生物学の最先端分野の一つに変貌している。一九九九年に設立された日本進化学会の大会に参加して、大勢の若い研究者の熱心な発表や議論を聞いていると、「進化論は科学ではない」と言われた往年(一九五〇年代)のことが思い出され感無量だった。
  一九六〇年代以降、自然人類学(生物学的人類学)のパラダイム転換といえるいくつかの変化があった。次々に発見される化石人類だけでなく現生人(ヒト)の集団遺伝学や、霊長類(サル)の行動学などの研究が格段に進展し、ヒトの進化に関する新たな証拠が明らかにされた。広く信じられてきた「猿人」「原人」「旧人」「新人」という、発展段階説といえる単一系統の人類進化像はもはや成り立たなくなった。また、古典的人種分類は完全に破綻し、ヒトの地理的多様性を示す民族集団(エスニック・グループ)の遺伝的近縁性や、表現型の自然環境への適応の研究にとって代わられた。さらに、新たな先史考古学的発見によって、家畜や栽培植物の起源や「文明」の歴史についても新たな考えが出てきた。
  二一世紀に入ると、自然人類学の一分野である分子人類学も個々の遺伝子DNAだけでなくゲノム(全塩基配列)の科学として、従来は夢にすぎなかったさまざまな進化的現象の理解に向けて新たな出発点に立ち、常識を覆す発見が相次いだ。
  例をあげれば、①ゲノムの比較によって、分類学上チンパンジーやゴリラを人類(ヒト科)に含めることが承認された。②化石人類のDNA抽出と塩基配列の解析技術が発達し、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とヒト(ホモ・サピエンス)の間に過去に起きた混血が証明された。③もっとも衝撃的な発見は、シベリアのアルタイ山中にあるデニソワ洞窟からえられた古人骨のゲノム分析によって、ネアンデルタール人とは別の旧人類(デニソワ人)がかつて存在したことが判明した。しかもこの人類のDNAの痕跡がパプア・ニューギニアやオーストラリアなどの現生先住民から発見され、五.七万年前にアフリカを出てアジア・オセアニアに拡がったヒトの早期移住の過程でデニソワ人との遭遇と混血があった証拠とされた

†今日の人類学に欠けているもの――学際的な「ヒト学」の必要性

  しかし、私には、今日の人類学にまだ不満がある。同じ人類学といいながら、自然人類学と文化人類学がほぼ独立の分野になっていて両者間の会話がほとんどないことは、本来の人類学の総合性からみて如何なものか。遺伝子や身体だけでも、また文化や社会だけでも人間の完全な理解には至らない。
  自然人類学は、ダーウィンが想像したヒトとサルの進化的連続性を証明することには成功した。しかし、いまだに化石人類やサル類の研究に重点が置かれ、遺伝子や脳、行動、成長など現代人だからこそ可能な研究は医生物学や心理学などに任されている。また、地球環境、人口、平和、人権など現在ヒトが直面している大問題に対して人類学者はほとんど発言していない。
  最近、ヒトとチンパンジーのゲノムの塩基配列が九八パーセントと高い一致度を示すことから、大型類人猿が分類学上の「ヒト科」(ホミニッド)に含められるようになった。これによって、以前から多くの生物学者の間に潜在していた、ヒトを「単なる」サルの一種とみなす傾向が強まっている。極端な議論として、チンパンジーの「人権」を主張する向きさえある。
  人類学者が長年主張してきた「文化を持ち、文明を造る動物」としてのヒトは、どこへ行くのか。「ユニークなヒト」という概念は中世ヨーロッパにおける「人間中心主義」の復活と疑われるのか。また、文化や文明は自然科学者が扱う問題ではないのだろうか。
 私は、生物学としての人類学および人間に関する諸学との学際的研究を行っている者として、今一度ヒトという動物の特異性と多様性および進化の歴史を検討した上で、「現代文明下のヒト」を対象とする新たな学際的研究としての「ヒト学」の必要性を痛感している。

†ソロ演奏からオーケストラへ

  生物学としての人類学の教育・研究にたずさわって五〇年以上になる。ずいぶんと紆余曲折ある学者人生だった。主として三つの画期があったと思う。第一期は二四歳で人類学と出会うまで、第二期は三〇代から六〇歳ごろまで、大学で専門(ディシプリン)の研究に熱中したとき、またその後の第三期は還暦を過ぎてから、京都と大阪で専門を超える学際的(インターディシプリナリー)な研究を行った時期である。
  音楽にたとえると、専門研究は、特定の楽器の演奏技術を磨き、リサイタルを行えるようになることである。しかし、ソロでは物足りないなら、異なる楽器をもった何人かが集まって、三重奏や四重奏などを演奏する。これが学際研究にあたる。さらに進んで、さまざまな楽器をたずさえた数十人またはそれ以上の人が集まるオーケストラという表現方法がある。この場合、指揮者のもとに全員が心を一つにして、あるテーマ、たとえば、「第九」を演奏するように共同研究を行う。これが大規模な学際研究に相当する。人類学という学問にとってどの演奏方法が適当か、考えてみたい

†理系と文系

  子どものころ、熱心な昆虫少年だった私は、生物の重要な特徴は「多様性」とそれを生んだ「進化」にあると信じ、東京大学教養学部の理科Ⅱ類に入った。しかし、一九五〇年代初頭の当時、生物研究の最重要課題は「生命」の基本法則の解明であるとされ、多様性などは趣味の問題であり、また進化も「証明できない」ので科学ではないと言われていた。あまり本意ではなかった医学部への受験に失敗し、理系の学部専門課程では適当な居場所を見つけることができず、いっそ語学や文系の世界も経験しておこうと思い、文学部の独文学科に進んだ。両親が昭和の初期にベルリンに住んだことがあり、非常なドイツ贔屓であったことにも影響された。
  だがあるとき、全く偶然の機会から理学部人類学教室の鈴木尚(ひさし)教授に出会ったことが、その後の私の人生を決定づける結果になった。この出会いがなかったら、私は全く別の人生を歩んだに違いない。鈴木先生の助言を受けて、私は文学部を卒業してから理学部に入学し直し、自然科学に基づく人類学を学ぶことによって、念願であった生物の多様性と進化の研究への道が開かれた。
  東京大学理学部人類学教室の伝統であるこの学問には、博物学に由来する長い歴史があり、その点でも昆虫少年だった私には親しみがもてた。それだけではなく、人類学はヒトという「文化を持ち、文明を造る」特殊な動物に関する多様な専門分野をかかえていて、今後大いに発展する可能性を秘めていると思えたのである(本書第一章、第二章)。
大学院博士課程のとき念願だったドイツ留学を果たし、一九六〇年代から急速に発達した遺伝学の技術を用いる分子人類学という専門分野をえらんだ。帰国後は日本列島やアジア・太平洋の先住民族の起源を研究し、それなりの成果をえた(第三章、第四章)。

†学際研究から総合研究へ

  しかし、六〇歳で大学の定年を迎えて、京都の国際日本文化研究センター(日文研)に研究の場を移したことで、私は人類学に対する考え方をさらに一歩進めることができた。日文研は、わが国の大学で講座制に代表された専門研究・教育のタテ社会的閉鎖性に対抗する目的で、梅原猛先生らの努力によって一九八七年に設立された文部省(当時)の大学共同研究機関である。型破りの哲学者である梅原所長のもと、理系・文系を問わず専門の異なる内外の学者が集い、ユニークかつ活発な学際的研究が行われていた。
  ここで私は、それまでの自然科学一本の研究法を捨てて人文・社会科学の研究者も含めた学際研究を行うこととした。京都にいた五年間に実施した「日本人および日本文化の起源」という研究プロジェクトでは、人類学だけでなく地質・地理学、先史・考古学や民族学のほか、文化・社会科学をも含む幅広い分野間の研究交流が行われ、まさにオーケストラと言ってよいものだった(第四章、第五章)。
  日文研を定年退職後、またもや思いがけず、大阪の桃山学院大学文学部(当時)で人類学の応用としての「先住民族の人権」というテーマで研究・教育を行うことができた。これには、同大元学長で比較民俗学者の沖浦和光教授の温かい配慮があった。ここで私は、あらためて「先住民族とは何か」「人権とは何か」という問題に向き合うことになる(第五章、第六章)。
  古今東西、ヒトのユニークな点は何かについて多くの意見が出されているが、私は直観的に個体発生(成長・発育)の特異性がきわめて重要であると考えていた。七〇歳で桃山学院大を退職した私は、高畑尚之学長(当時)のご厚意によって、総合研究大学院大学(総研大)のシニア研究員という資格で、神奈川県葉山のキャンパスで「ヒトの個体発生の特異性に関する総合的研究」を実施した。そこでは、ネオテニー(幼形成熟)という現象について海外の専門家を招いて学際的討論を行ったが、残念ながら体調を崩したため完成させることができなかった。
  本書は、高校生や文系の読者にも自然人類学という学問を知ってもらおうと、学術的ではあるが平易な解説書を目指した。私の個人的な研究史に立ち入った部分もあり、教科書というよりは随筆に近いが、わが国の人類学の歴史および発展を紹介するために必要と考えた。

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